「なァにがよろしくだあのババア!!」

「なァにがよろしくだあのババア!!」


──ノルダリンナ港。


 要塞に守られたこの港には、軍艦を何十隻を引き上げられるドックや、一般の商船や漁船が積荷をおろす仕事が乱雑に混ざりあってカオスな目まぐるしさだ。


 忙しさは豊かの証拠でもある。


 大量の船、大量の荷物、大量の人だ。


 そんななかでラグナ・ゴジソンはもうずっと文句しか言わずに、漁船が揚げて帰ってきた魚のカゴを背負い働き続けていた。


「ラグナ、ふらついてると転けるぞ」


 と、俺もカゴ満載の魚を運ぶ。


 俺とラグナは、ノルダリンナで人夫として路銀を稼いでいた。一日働けば一週間は滞在できる。何事も銭は必要なのである。


「あるがとうございやす!!」


 仕事おわりにはお金を貰った。


 食い伸ばせば一〇日の資金だ。


「リドリー、お前、体力あるんだから軍艦の解体のほうにいかないか? キツいが銭が違うぞ、銭が」


 と仲良くなった人夫に誘われた。


 筋骨隆々の若々しいおっさんだ。


 丁重にお断りしておいた。


「なんで稼ぎがいるんだよリドリー! ババアに言われてた村はマルメリルダーラで、ノルダリンナじゃねぇだろうがよ!」


「ラグナ、その通りだ。だがマルメリルダーラを想像してみろ。小さな村だぞ。もし俺らが調査してみろ、寝込みに大岩を頭に落とされて潰され、みぐるみ剥がれてニソククジラの餌だろさ」


「人喰い人じゃあるまいし……」


 お?


「おーい、だんなー!」


 俺は適当な人夫仲間に声をかけた。


 霜が降りても湯気をたてそうな筋骨のある熱量のゴリラがふてぶてしく振り返る。サメに食われた歯形が肩から腹までアーチを描いている。曰く、サメの顎を外した筋肉である。


「マルメリルダーラの伝説を教えてくれよ!」


「……リドリー、おめぇはまた……」


「お願い! こいつに教えてやってくれよ、マルメリルダーラの伝説を!」


「ッたく、こいつァ口に出しちゃいけねぇが」


 と、いつもの前置きのあとに教えてくれた。


「マルメリルダーラは漁村だ。昔からあの土地には魚が多く採れる。クラーケンが寝床にしていて、そいつを食うために世界中から魚が集まってきているなんて話があるくらいだ。実際、とてつもなく深い、深い、水深の湾になっていてクラーケンだって寝れそうな場所だ」


 俺は貰い物の噛みタバコを渡した。


「豊かさが永遠に続くと信じられていたマルメリルダーラを不漁が襲った。不漁は何年も続いて、何人も死んだ。そんなとき、マルメリルダーラに人魚が漂着した。そいつはとてつもなく巨大な人魚で、マルメリルダーラの生き残りは人魚の腹を食って、腹で暮らせるくらい大きかったそうだ。

人魚でデカいと言っても半分は人間だ。人間を半分食った同族殺しに海の神は怒って罰を与えた。空から光の槍が落ちてきて、光を浴びた漁村の人間はみな狂って、殺しあい、狂気は肉を変えて人間ではないものにしていった。

穢れたマルメリルダーラを何世紀ものあいだ、浄化しようと、傭兵崩れや軍隊、騎士団が乗りこんだがマルメリルダーラはより巨大な肉になっただけに終わった。禁断の地マルメリルダーラ、生き物を食い、増える飢餓の村の怪物たちだ」


「い、今はどうなってるんだ!?」


 ラグナが声を裏返しながら言う。


「……行けばわかるさ……」


 と、人夫仲間が鼻歌を挟むながら去る。


 鼻歌……。


『そして老人は帰ってこない』だな。


 ギルヴァンで歌っていたキャラがいた。


 オフィーリアの持ち歌というか……。


「どういうことだよ! バケモンがいるそうじゃないかリドリー! ただの漁村じゃないみたいなこと言ってたぞあのおっさんは!」


「まあまあ落ち着け、脅しだよ。マルメリルダーラの漁村は、少なくとも今は、普通の漁村だ。ほら、あの船を見ろ、会話を聞いていたがマルメリルダーラから出た船だ」


「……伝説は伝説だと?」


「少なくとも今は普通に人が暮らしてる」


「脅すんじゃねぇよ……」


「怖がりすぎだろ、お前」


「海て苦手なんだよ」


 と、ラグナは海の先を見つめていた。


 ラグナが泳げないのかもしれないな。


 俺も泳げたとしても泳ぎたくないぞ。


 ラグナが海を苦手な気持ちはわかる。


 海水を浴びるとベタベタするしなあ。


 あと、海水にはいろんな小さい生物だ。


「おッ、見たことない船だ。リドリー・バルカですー! こんにちわー!」


 俺は手を振った。


 厳つい水夫が手を振りかえしてくれた。


 取り敢えず、ノルダリンナで働きだしてから手当たり次第、人懐っこく名前を広めている。ラグナは変なプライドあるからな。


 そんなこんなで。


 俺は雇い主を迎えに行った。


 ラフィーリアのことだ。


 彼女も情報収集に働いている。


「ぜぇ……ぜぇ……」


「リドリーちゃん! きみの推薦で雇ったけど流石にこれじゃ困るわあよ!!」


「すんません、ピットさん」


 俺は大衆酒場『海と女と男の境亭』の主人であるピットに頭を下げた。ピットは女みたいな口調で筋骨隆々たくましい心は女の男なのだ。


 ラグナは腰が痛いということで宿に帰った。


 あとでラグナの腰に効く薬も買わないとだ。


「リドリー……」


「ほら、ラフィーリアしっかりして」


 ラフィーリアはへろへろだ。


 まったく、鬼も恐れるダンピールが大衆酒場のウェイトレスでへこたれるとはな!


「大ジョッキを二〇個も持って、何度も屋上から地下まで往復してみなさいよ」


 今にも死にそうなラフィーリアに言われてしまった。ラフィーリアそんな口調だったかな?


 ラフィーリアはすっかり足腰立たないらしい。


 しっかりものなダンピールだな。


 ラフィーリアを背負って帰るまでが一日だ。


「情報収集してきましたよ、ラフィーリアさん。やはりマルメリルダーラへの水路は再開されています」


「勇者を食い殺した魔人は討伐されたと聞かないのに不思議な話じゃない、リドリー」


「マルメリルダーラに人間がいるとは思えません。しかし、今日見かけた船の水夫は、ラフィーリアさんの言うヴァンパイアでなければ魔人でもありませんでしたよ。人間でした」


「……情報がいるね」


「マルメリルダーラには近づかないほうが」


「わかってるわよ!」


 ラフィーリアを背負って港町を歩く。


 すれ違った親子に「あのお兄さんずっと独り言喋ってる!」「病気なんでしょ」と言われた。


 心外すぎる。


 ラフィーリアの声は小さいからなあ。


 仕方がないか。


 ラフィーリアが落ちかけたので、彼女の尻を持ち直して背負いなおす。


「お尻の割れ目に入れたら殺すわよ」


 凄まじく怖いささやきが聞こえた。


 俺以外には聞こえていない声だな。


 ラフィーリアを背負うのは嫌いじゃない。


 もし……俺に妹がいたらこんなだろうか?


 ラフィーリアはちょっとわがままだなあ。


 自分の好きなように、しようとしている。


 ラフィーリアは少し危ういな。


 そういえばギルヴァンでのラフィーリアは、彼女の立てた計画が崩れるほど冷静さを失っていき、ほとんど自爆したような敗北を、主人公リューリアにしてしまうのだ。


 ラフィーリアの気は短いのだろう。


「おい見ろよ、可愛い女背負ってるぜ」


「裏で男を半殺しにして奪うか!?」


「ばーか。あいつら、ピットの野郎の目付きだぞ。俺らがバラされて餌にされてるよ」


「ちぇっ!」


 チンピラ風情がこそこそと言う。


 バッチリ俺の耳には届いてるぞ。


 過ぎ去った小汚い臭う四人だな。


 迂闊だと女は人攫いされそうだ。


 ラフィーリアを一人では歩かせられないな。


 町中で堂々と剣を抜いて流血沙汰とか、ヤクザもんとシティウォッチが銃と槍で市街戦をしているようなのに比べれば、治安は良いほうなんだがな。


「リドリー」


 と、オフィーリアが耳元でささやく。


「ノルダリンナ港は豚小屋」


 うーん……。



「お前たち──」


 宿『ユグドラの苗木』前。


 俺は背後から声を投げられた。


 太く、くぐもった熊じみた声。


「──動くな」


 ノルダリンナの夜はエーテルガスのパイプが空中を飛び交って敷かれたエーテルガス灯で明るい。夜が深くなっても道には人がいるほどだ。


 だがユグドラの苗木は安い宿だ。


 安い宿は、安い客がいつくもの。


 そんな宿前で夜な夜な立っていれば物盗りにあうか誘拐されてしまう……俺たちは待ち伏せされた。


「御用で?」


 と、俺はゆっくりと振り返る。


 ノルダリンナの石造りの町が、月明かりとエーテルガス灯の光のせいで陰鬱な冷たさを感じさせた。


 大きい。背中を丸めた大柄な人間だった。


 こいつ、まさか──。


 巨躯。


 鋼体。


 そして──デカすぎる大剣。


 鎧というには熊の毛皮を纏った蛮族とも思えるその巨躯な人間は、狩りが目前の肉食獣にも似た静かな動き、鋭く、見下ろしてくる。


「お、いや、私はリドリー・バルカ! 背中のはラフィーリア。あ、あなたはいったい?」


「俺はノルダリンナ要塞兵団の元兵団長ドラコ」


 ドラコは、ギルティヴァンパイアオーバーロード にも登場する『英雄だったもの』だ。ドラコとは本名ではないが、これは正確に表している。ドラコは『竜頭の秘技』をおさめていて制限はあるが竜へと至る到達者の一人なのだ。竜に至り、戻るものは多くはない。語られることはない生きた伝説。


「到達者がなぜ……」


「ほお……貴様、リドリーか」


「なぜ私程度の名前を」


「小耳にな」


 俺は驚きを皮の下に封じた。


 相手はドラコだぞ、人外に至った人だ。


 ドラコは必ずしも人類の味方ではない。


 だがどうして夜のノルダリンナにいる。


 俺はドラコを走査した。


 デカい剣はファイヤソードか。


 こいつァ、ファイヤソードなんてバカみたいな名前だが、フォースソードシリーズというふざけた英雄剣の一振りだ。たぶん、コピーだ。オリジナルは人間の扱う武器じゃない。


 ドラコは使わないという信頼がある。


「リドリー、ドラコて?」


 と、背中のラフィーリアが肩を掴む。


「すっごい強い普通の人間。背中のファイヤソードのコピーを見てもたぶん本人。ラフィーリア、動けるか」


「ファイヤソードまで見抜くとは驚きだ」


 と、ドラコは笑いもしない。


 ドラコが炎剣に手を伸ばす。


 信じられないほど、自然だ。


 水が流れるように全ての筋繊維が一本単位で動き、同時に、動いたのがわからないほどの瞬発の衝撃だけで水平に跳ぶ!


 その動きは美しかった。


「ラフィーリア!」


 俺はラフィーリアを背負ったまま跳ぶ。


 足で石畳を砕くほどの覚悟で力を張る。


 脚部の筋肉の繊維に渾身をこめた!!


 初動は見えた。


 ドラコが背中から炎剣を抜く前に組みつく!


 俺のラフィーリアから外した腕を今度は、ドラコの太腿を抱えこむよう抱きあげて倒す……筈だった。


「……」


 肩にドラコを当てている。


 腕はドラコの足を奪った。


 だが……動かない。


 ドラコの体は、足は、大木の幹のごとく微動だにしない。俺とラフィーリアを足した体重を、抜剣のモーション中、浮いた足で受けて、なお!


 本当に人間か!?


 化け物め!!!!


 炎剣の軌跡を見ずに組みついた。


 止めるしかない、と、反射した。


 今、俺は石畳を見ている。


 後頭部、背中、その遥か上には、ドラコの抜く炎剣がまさに振り下ろされようとしている。俺は間に合わないはずの時間で、ドラコから手を離して飛び退いた。


 素手で炎剣を持つ手を止める?


 ドラコの振り下ろす腕は“斬れる”ぞ。


 俺は一心不乱に醜く石畳を転がった。


 おかしな話じゃあねぇかよ。


 生きていないタイミングだ。


 なのに俺は生きてる!


「……なぜ亜種がいる」

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