第2部

「はァ〜〜〜〜〜〜………………」

「走れ!」


 汚泥に足をとられる。


 私は頭から突っこんだ。


 不愉快を極める悪臭。


 ドロドロと沈むクソ。


 おまけに異常な蒸し暑さ。


 胸甲だけで軽いとはいえ、汗でハットの頭から股まで濡れきっている。


 私は仲間に拾いあげられた。


 皆が同じように汚泥を走る。


 旧下水道は、ノリダリンナでも放棄地区に入る、古い要塞跡地の更に下に埋められた区画だ。


 超帝国時代の中でも古い遺跡……。


 トレーダとして安請負したか!!


「大丈夫ならさっさと立て!」


 と、ライフルマンが急かす。


 急かしてきたライフルマンの肩には、汚泥まみれの汚れのなかに狼妖精のエンブレムが描きこまれていた。


「奴らがくるぞ!」


 奴ら……。


 下水道の進路方向が灯る。


 いや、今来た方向にも!!


「挟まれたか!?」


 トレーダらは憎々しく睨む。


 トレーダらは怯えは見せない。


「銃を構えよォ!」


 下水道のトンネルを隊長の声が反射する。


 下水道は想像を絶する分厚さがある響き。


「撃てェー!」


 地上は──遥か頭上の上だ。


 奴らが押し寄せてくるのを聞いた。



 王都エーテルハイム。


 ギンヌンガプ王国の中心だ。


 凄い栄えている石造りの町。


 前世の摩天楼みたいなコンクリートと鉄に超高層ビルは無いが、見上げるほど巨大な建築物は所狭しと並んでいて、いかにもな大都会だ。


 人も明るく、希望に満ちている!


 が、リドリー・バルカは絶望だ!


「落ちた……」


 俺が王都にいるのは、学園に入学するためだ。その為に貯金して、旅費を稼ぎ、行商人の小間使いをし、路銀を稼ぎ、勉強する!


 試験なんて楽勝!


 たかを括っていたら普通に落第した。


 逆に試験官も、俺が、強面の騎士団長イレーヌ・ヴィンケルマンの推薦ということを知っていて最後まで、裏口入学させるか悩んでいたようだ。


 裏口でもなんでも入学したかった。


 そこは上手く誤魔化してくれよな。


「はァ〜〜〜〜〜〜………………」


 村には帰れねぇ。


 トンボ帰りは情けないとか以前に、旅費が何もないのだ。王都で稼がないことには村に帰ることもできない。


 チクショー!


 行商人のオドシめッ!


 なぁにが北方冒険だ!


 数年くらい平気だぜ言うんじゃなかった!


「はァ〜〜〜〜〜〜………………」


 ため息がとまらねぇぜ。


 今は門番のアルバイトをしている。


 王都の門番なんて高級取りだと、飛びついたのが運の尽きてやつだったな。正規の門番が見ているから、俺は積荷のあらためや、通行証の確認とか、キツくてヤバい矢面ばっかりだ。


 しかも事務仕事まで!


 おかげで読み書きの字も増えた。


 書けなかったり不備で鉄拳制裁!


 クソだよ、門番の仕事はな……。


「スカーレットは勇者認定される頃なのかな」


 ギルティヴァンパイアオーバーロードでは、学園を卒業して、実績を認められた者に対して勇者の資格が送られる。


 勇者といえど免許制みたいなものだ。


 スカーレットはギルヴァンでは最弱なので、だいたい勇者試験に失敗する。卒業前に合格しているのが普通のなかスカーレットは万年落第し続けて……というのは本編の話だ。


「昔が懐かしいな」


 俺はスカーレット達とともに魔人と戦った過去の伝説を思いだす。村ではちょっとしたヒーローだった。村を出れば凡人以下なのは残等なのか?


 だがスカーレットは違うだろうな。


 魔人を倒した経験は、きっと、スカーレットを勇者にしてしまうのだろう。……正直に言えばスカーレットには勇者なんかなってほしくないがな。


 でもスカーレットは確か、勇者になることが夢なんだよな。レッドナイト家で一番の無能というのひっくり返して、父親を楽させてやりたいんだっけ?


 ギルヴァンでそんな設定あった気がする。


 俺は全力で応援するのが筋なんだろうな。


 そういう意味ではルーネにも言えるなぁ。


 主人公リューリアは別だ。


 あの毛むくじゃらは世界を救わないと。


「みんな元気にしているといいな」


 俺は門番に支給される、皿みたいな浅く広い鉄帽子をあげて空を見た。王都のデカい城壁よりもなお遥かに高く、広かった。


 かつての仲間たちの顔が勇者で笑っていた。


 スカーレットたちには絶対に会いたくねェ!


「おじさん」


 と、ちっさい声。


「おにいさんだ」


 俺が空の浮かぶ未来の勇者たちを消していると、声をかけられた。


 目線を下げる。


 ちっこい奴だ。


 青い月のような長い髪が光って見えた。


 顔……を、飛ばしてデケェおっぱいだ。黒い薄手のシャツは、はち切れそうなほどに引き伸ばされている。おっぱいがデカいのだ。下着は無いのか段差の突起だ。それにダメージを気にしていないようなゴツい生地のズボンを履いている。ズボンは肉尻にぴっちり沿っていて正面からでも輪郭が見える。


「私はラフィーリア」


 と、ラフィーリアは胸を揺らした。いや、彼女は揺らしたくて揺らしたのではない大きすぎて揺れたのだ。黒シャツを着ているだけで重力に無防備なはずのおっぱいは筋力の鍛錬の賜物なのか、それとも、ギルヴァンの法則なのか、極めて凛々しく正面から重力にあらがい、いっそ無重力だ。


 ラフィーリアは胸の前で手を組み胸を隠す。


 デケェおっぱいのラフィーリアと目があう。


 真っ白な肌の顔に二つの美しすぎる蒼い瞳。


「……きみがリドリー・バルカ?」


「どこかの誰かから依頼でも受けてますか」


 なんで名前を知っているのかなんて訊かん。


 どこかで聞いて、俺の人相まで知っている。


 問題なのは誰が遣わしたかだ。


 この『ギルヴァンのおっかない女』を!


「ふふーん……それはヒ・ミ・ツ・だよ」


 声ちっさ。


 ラフィーリアのライトブルーの瞳が俺を品定め。


 ラフィーリアはギルティヴァンパイアオーバーロードに登場するキャラクターだ。ギルヴァンのシナリオは無駄に複雑なのだがその中でも、最終的に帝国評議会の議員を皆殺しにするのがラフィーリアだ。つまりはとびっきりヤバい女が堂々と王都を真っ昼間に歩いている。


 ラフィーリアは人間ではない。


 自称蠱惑的なサキュバス。


 実際にはダンピールだ。


 人間と吸血鬼の混血だ。


 ギルヴァンにはタイトルのヴァンパイアはいないくせにダンピールたちの悲哀はあるのだ。


「私にご用事があってのことだとは思うのですがラフィーリアさん。どうも俺には検討がつきませんで……申し訳ないが教えてくれませんか?」


「察しの悪い。でもかまわないわ。とある村での魔人退治に参加していた、ただの村人が、どんな人か見にきただけよ」


「あぁ、なるほど。ですが村人なんかよりも騎士団にはイレーヌ・ヴィンケルマンさまが、学園の生徒にも多数の参加者がいたはずですよ。門番代行で日銭を稼いでいる男に聞く話もないのではと、私は浅慮してしまいますが」


「謙虚なこと。その学生の参加者である『黄金の一年生たち』の一人である“リューリア”が散々方々に言いふらしているのだもの。あれが他人を褒めて、バカにされると牙を見せるなんて、どんな人か気になるじゃない。で、見つけたってわけ」


 何やってん主人公リューリア!?


「リューリアとは友人ではありますが……」


「私もリューリアとは友人なんだ」


 嘘だろ。


 ギルヴァンで、主人公リューリアとラフィーリアが最初に遭遇したのは屍喰い事件だ。王都から近い港湾要塞ノルダリンナがグール化したときのはずだ。


 シナリオが玉突きした結果変わるのはともかく、会っていないものが会っている理由は二つ推測できる。


 そもそもギルヴァンとズレている。


 どうしようもない。


 もう一つのほうを考えるしかないが、こっちは、俺がリューリアに関わった結果でリューリアたちの行動が変わり、本編との歪みがラフィーリアを引き寄せたというものだ。


 リューリアが言いふらし、王都にいたラフィーリアが潜在的な脅威を確認しに来たのかも。だが、なぜ、直接の接触をしたのかわからない。


 最有力はラフィーリアがバカということだ。


「学園の生徒たちが言いふらしているから、王都のあちこちで魔人、OSET、騎士団、村の名もなき勇士についてそれなりに知っているてものね」


 俺は聞いたことがないぞ?


 友だちがいないから知らないと?


 確かに学生と会うと気まずいから避けたが。


 いや、友だちではなく学園が遠いせいだな。


「ちなみに俺、噂よりかっこいいですか?」


 俺はちょっと照れながら訊いてみた。


 ラフィーリアは満面の笑みであった。


 俺はラフィーリアのその顔を、ギルヴァンの画面で見たことがある。具体的には命乞いする餌を前にしたシーンと、力量差を理解していない愚か者と対峙したシーンだ。


 つまりはラフィーリアに悪意がある。


 噂の俺は絶対にろくなのじゃないな。


 考えたら俺、学生らから良い印象ないだろ。


 命を助けたとかなんて全然ないしな。なんなら戦える騎士や学生(未来の勇者)の背中に隠れていたまである。


 噂を聞くのが怖くなってきたな!


「噂よりは良い男で安心したよ」


 と、ラフィーリアに言われてしまった。


 ラフィーリアは髪も目も美しいというのに、すっごい意地悪に口も目も歪めていた。


 ラフィーリアを手助けしたくなくなるな。


 俺には全然そんな力は無いんだけどな!!


 ギルヴァンにある屍喰い事件は当然ながら主人公リューリアと愉快な仲間たちの介入で一件落着となる。ただ屍喰い事件は、終始、どうしようもない事態にだけ翻弄された人々が結果的に悪役として征伐されるし、勝利した勢力、主人公リューリアを味方にした勢力も、それ以後には決して表にはできない秘密と粛清の恐怖に追い詰められていく。


 救いはない事件が屍喰い事件なのだ。


 放っておいても、これからノルダリンナ港で屍喰い事件は起きるのだろう。主人公リューリアと仲間に任せるのがなんだかんだでもっとも優れた結果になるもんだ。だって最上の結果を引けるのが主人公なのだから。


「おっと、お姉さんを見つめて秘密を明かそうなんてリドリーくんはエッチだな」


「どこがお姉さんですか。精々、妹とか姪っ子でしょうにラフィーリアさんは」


「この母性溢れる乳を見て強がるなよ」


「強がってませんが?」


「ほほぉ。じゃダンピールと言っても?」


「ダンピールがどうしたんです」


「私の正体はダンピールだ」


「へぇ〜」


「怖がれリドリー」


「人間と変わりませんね」


「ダンピールだからな」


「子供とか作れるんです?」


「作れると思う。そういう趣味か?」


「いえ、なんとなく生体に興味で」


「ほんとか〜? ふッ、素直に誘えば宿を借りてやってもよいのだぞ。ただし朝陽は拝めないがな一滴残らず血を吸いあげてやる」


「個人的な興味ですよ。ヴァンパイアはある分類法では植物とされていて宇宙樹や木の精霊みたいな植物の怪物と同じ扱いですし人間とは動物と植物で根本から違いますよね」


 と、言いながら俺は逃げる準備だ。


 ダンピールに目付けされても良いことなし。


「へぇ……」


 と、ラフィーリアの輝く蒼の目が光る。


 なんだか物凄く嫌な予感がするのだが。


 リドリー・バルカ、良い予感はことごとく外すが、悪い予感はことごとく当たるのだァ!


「リドリー、ヴァンパイアに興味があるんだぁ」


「……なにか? ラフィーリア嬢?」


「ヴァンパイアに興味があるなら、ちょっと、お願いを聞いてくれないかな。せっかく縁結びしたんだから初回サービスしてくれない?」


「嫌ですよ!? 門番代行ありますし!」


 情けない話だが、日銭を稼いでいるのだ。


 学園のスカーレットたちに見つかる前に、村へ帰る資金を貯めなくてはなのだから休んではいられないのだ。


 旅費というものはけっこうな金額になる。


 食い詰め溜めてんだから遊んでられるか!


「お願い……リドリーにしか頼めない」


 ラフィーリアが真剣な眼差しだ。


 嘘は微塵もなく本当に、困っていた。


 俺はラフィーリアの目に射抜かれた。


 いやいや、サキュバスダンピールだ。


 男を騙して手玉にするとかあるだろ。


 たぶん魅了のチャームとかの魔法だ。


……でも、もし、手助けが必要なら?


 他人を助けるのなんて、良かろう悪かろうどっちの理由でも傷つきまくりだろ。騙されたなら美幼女にしてやられたと仕方がない。……本当に困っていたときには見捨てたくないなァ。


 分からないなら。


 したほうが良いと思ったほうを信じよう。


 俺は、ラフィーリアの話にのろうとした。


「リドリー! このクソ野郎ッ!」


「やべッ。本物の衛兵だ」


 先輩というか、門番というか、サボるために俺を雇った衛兵がピカピカの胸甲、兜、籠手に脛当てに腰の剣をはいていた。


 完全装備だ。


 いつもは錆びてても俺にやらせるだろ。


 衛兵は慌てた様子で俺を怒鳴りつけた。


 鉄拳制裁をされるか?


 俺は歯を食い縛った。


 歯が折られるのは避けたい。


 できるだけ上半身だけで威力をかわす!


 殴られ慣れてるんでなァ!


 鉄拳はいつまでも飛んでこなかった。


「ラフィーリア?」


 ラフィーリアを衛兵が見ていた。


 ラフィーリアは見た目は幼女だ。


 居丈高な衛兵ならケリを入れて追い散らす。


 だが衛兵先輩は呆けているように見つめる。


「リドリー・バルカに給金を満額払い、今後数ヶ月の前払いをする」


「……リドリー・バルカに給金を満額払い、今後数ヶ月の前払いをする」


「リドリー・バルカが数ヶ月間、門番を離れているが、数ヶ月間リドリー・バルカが門番でいるように振る舞いその代わりをするものを立てる」


「……リドリー・バルカが数ヶ月間、門番を離れているが、数ヶ月間リドリー・バルカが門番でいるように振る舞いその代わりをするものを立てる」


「行きなさい」


 と、ラフィーリアが言えば衛兵は詰所に入る。


 詰所からは俺とラフィーリアが見えていた。


 見えていたが、衛兵は何も言わなくなった。


「え〜と、ラフィーリア?」


「乙女の秘密」


 と、ラフィーリアは柔らかな唇に指を当てた。


 ラフィーリアは去っていく。


「迎えに行くまで待ってて、リドリーくん」


 声ちっさ。


 ラフィーリアは手を振り、霧のように人の波のなかへと溶けて消えていった。ラフィーリアの背中を見送りながら、俺は身震いした。


「俺はとんでもに巻き込まれたのでは……?」


 ラフィーリア。


 ラフィーリア・ノルダリンナ。


 ラフィーリアはこれから起こる屍喰い事件の主犯者と公式に公開される犯人だ。ギルヴァンのこのシナリオのラスボスなのだ。


 ラフィーリアの誘いを受けた。


 サキュバスでダンピールの!!


 なんだか俺怖くなってきたな。


 宿に帰ってノミだらけのベッドで寝よう。

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