「手伝うよ。細い剣でよければ」

「……力任せにはこないか」


 ライカンのパワー勝負なら死だ。


 ライカンは俺を捨てて後ずさる。


 ゆっくりと後ろ向きに離れていく。


 それにスカーレットがレイピア片手に追おうとするが、俺は彼女を止めた。スカーレットの柔らかでごつごつした手の感触と、汗と涙の塩辛い匂いがした。


 スカーレットの大きな背中が頼もしいなァッたく。

 

「ライカンに一対一で負けないなんて本当にすごい。リドリー、かっこよかった。でもここまでかな」


 と、スカーレットの賞賛だ。


 そしてこれ以上は許さないと。


 ライカンはリューリアなのだ。


 リューリアも手加減してくれた。


 でなければ俺は今頃胃袋の中だ。


 ッたく、このパーティーは……。


 だが、かっこいい、か。


 俺がかっこいいと言われるのか。


 想像したこともなかった言葉だ。


「僕は取り戻す……正しくないと……」


 と、ライカンがうなる。


 逆立っていた毛は寝ている。


 だが……様子がおかしい。


「絆を深めないと外れてしまう」


 ライカンは、いや、リューリアは何を言っているんだ。俺のなかで違和感が起きあがる。


 ギルヴァンではないリューリアを知った。


 子供っぽい、嫉妬もする、普通の男だ。


 高潔というわけでも無人格でもないリューリアという男は、良くも悪くも、普通の人だった。


 だが今はどうだ?


 何かがおかしい。


「嫌だ嫌だ嫌だ! 僕にはこの道しかないんだ。迷うな、迷うな! 最強の勇者になるんだ!」


 ライカンが俺を睨む。


 そこにあった俺への怨みは消えていた。


 代わりに見えたのはほとんど呪いの使命に燃える子供の狂乱あるいは盲信を貫くがむしゃらだ。


 スカーレットがオオガマイタチから降りる。


「すまない。スカーレット」


「手伝うよ。細い剣でよければ」


 それより、と、スカーレットが振り返らずに言う。


「傷は?」


「なぁに俺は弱い。大抵の傷なら慣れてる」


 俺は肉に力を入れた。


 ハラワタを焼かれたのとは違うのだ。


 獣の爪に剥がれた程度であれば、肉に力を入れ、筋繊維で引っ張ることで傷から流れる血を止めた。


「き、気持ち悪いかな……」


「スカーレット……傷つく」


「ごめん、リドリー」


 ライカンが伏せた。


 ライカンの脚に力が溜まる。


 分からず屋にもほどがある。


 仲良くしようと言っている!


 ライカンが今まさに跳びかかろうとした。


──その瞬間である。


「両方とも動かないで! 動かないでよ!」


 と、グリフォンとともにあらわれた少女。


 金髪に長い三つ編み、戦乙女らしい視界の広い羽根を模した装飾のある兜をした長耳が、まぶしいほど太腿を輝かせ賓乳を張って言う。


 そんな美少女など、ルーネだ!


 グリフォンもレギーナさまか!


「ルーネ!?」


 驚いた声は俺かスカーレット。


 もしかしたら両方かもしれん。


 とにかく、ルーネの乱入だ。


 ルーネは弓ではなく、馬上で使うようなえぐいサイズのロングソードを軽々と振り回し、そして剣先をライカンに向ける。


「去りなさい! お前の居場所ではない!」


「ッ!!」


 ライカンは慟哭していた。


 まるで迷子の子供のように。


 突然、誰もいなくなった。


 そんな不安が見えた気がした。


 ルーネ、それは、違うんだ!!


 ライカンの正体はリューリアだ!


 俺は言ってしまいたかった。


 今、リューリアは独りじゃないか。


 俺は自分が助かるために、友だちになろうとしていたリューリアを見捨てるのか?


 そんなことは俺が許さない。


「ルーネ。俺に任せてくれ」


「あなたは下がって。……悪いけどあなた程度で太刀打ちできる相手じゃない。このライカンは手強いのよ」


 と、グリフォンの上から、ルーネは見下ろすこともなく非情なまでにハッキリ言う。


 まいるな。事実だ。


「リドリー、後は任せて」


 と、ルーネに強く言われた。


 強者に守られるのは望むところ。


 だが今はその手を振り払わなきゃならねぇ。


「スカーレット。レギーナに、リドリーを運ばせて。酷い怪我だ。村にはまだ学園の医療班がいる。彼らに治療を頼んで!」


 助かる言葉のはずだ。


 ルーネが代わりにライカンと戦うのだから。


 ルーネが軽やかにレギーナさまから降りた。


 レギーナさまは膝を折り、俺が乗りやすいよう、俺の腹に擦り寄る。レギーナさまは見た目だけでなく生き様まで高貴だな……。


 俺はレギーナさまを撫でた。


 レギーナさまは猛禽の目を細める。


 だが俺は乗ることはできないんだ。


「許してくれ」


 ライカンとルーネが対峙していた。

 

 ライカンは今にも崩れ落ちそうだ。


 ライカンは無傷だが、俺のほうがしっかり立っているし、実質、判定勝ちで良いのでは?


 良かないだろうよ。


「なんのつもり、リドリー」


 と、ルーネのキツい、アメジストじみた淡い紫の瞳が、荒々しく加工されて鋭くなっているかのように俺を刺す。


「あれは俺の大切な人なんです」


「……ライカンだ、リドリー」


「おかしいこと言ってるのはわかってます。ライカンを見逃すには村が近いこともわかってます。それでも、それでも、見逃してやってください」


 俺はライカンを前に、無防備に土下座した。


「俺の惚れたライカンです。もし──」


 俺は額を泥に沈めた。


 俺は覚悟できていた。


「──そいつが人を喰えば俺は自分の首を斬る」



 なんなんだあいつはッ。


 僕は森の奥へ全力で逃げた。


 ルーネに剣を向けられた。


 スカーレットに剣を向けられた。


 僕のパーティーの全員に、敵意を!


 もう戻れない僕は一生ライカンだ。


 もう二度と人間のフリなんてできない。


 こんな世界にくるんじゃなかった。


 呼ばれるんじゃなかった。


 突然、みんなと引き離されてこんな大陸に跳ばされて……貴族に拾われて勇者の子だとかなんだとか触れまわれて、あっという間に、学園にまで入れられて……。


 僕は誰なんだ?


 僕は、ドラグヘイムで何になったんだ?


「リドリー……」


 情けない声が出てしまう。


 もっと小さくて子イヌなら隠れられた。


 僕は……大きすぎる。


 でも今はリドリーのとこにしか居場所がない。


 リドリーは嘘を吐いていないのか?


 嘘は匂いでわかる。


 恐怖も匂いがする。


 リドリーは本気だった。


 本気で、僕が誰かを噛めば、リドリーは自分の首を斬る覚悟だった。


 あはッ、あはは……リドリー……。


 僕の体が人間に戻っていく。


 毛は抜け落ち、骨が砕け溶ける痛み。


 ライカンの骨が作り替えられ人間に戻る。


「があッ!!」


 涙も、唾液も、糞尿も撒き散らす。


 痛くて動けない。


 だが、人間に戻った。


「リドリー……」


 僕の居場所。


 憎いリドリーのとこだけになっちゃったよ。

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