第10話 しあわせの場所


 ルキソエール家は武人の家柄だ。

 王国の創立に関わる英雄のひとりに端を発するという。


 リディスさまは小さく囁くように、そんなところから話を始めた。

 わたしは少し離れたところの丸椅子に腰をかけ、彼の顔をじっと見つめる。


 ルキソエール家に生まれる子は性別を問わず大柄で、かつ頑強な体質に育つことが多かった。性質も豪胆、剛毅。強い向上心と意欲を持つことが望まれたし、それが家風とされたという。幼少のうちから武芸を叩き込まれ、戦略・戦術の英才教育を受けることになる。

 男児は国軍を支える要職に就くことを期待され、女児は国内外の諸侯へ嫁ぐことにより情報収集と策謀の一端を担うことを求められたらしい。

 

 リディスさまは、そんな家の次男として生まれた。

 二つ年上のお兄さまはルキソエール家の家風を体現したかのような子で、体格も大きく、小さな頃から剣術で年上の練習相手を圧倒したという。勉強も得意で、リディスさまのお父さま、現在は隠居して西方の別邸に引き込んでいる先代の将軍も大きな期待をかけていたらしい。


 一方で、リディスさまは体格こそ劣らなかったけれど、どちらかといえば優しく大人しい性質に生まれついた。読書を好んで、運動はさほど得意ではなく、いつも眩しく兄を見上げていたんだ、と、リディスさまは遠い思い出を見遣るように目元を柔らかくして、そう言った。

 家族も、使用人たちも、兄も自分も、いつも笑っていたんだ、と。


 リディスさまの世界が変わったのは、彼が十歳のときだった。

 嵐の夜だったという。

 お兄さまが幼年学校の寄宿舎から夏の休校で帰宅する時に、馬車が事故にあった。河岸の道が崩れ、お兄さまを乗せたキャビンは崖下に転落した。御者も含め、助かったものはいなかったという。


 家族から笑いが消えた。


 お父さま、先代将軍は、すべての期待をリディスさまに振り向けた。

 お兄さまにできたことは、すべてリディスさまにもできるものだと考え、要求し、できなければ声を荒げ、手を上げた。心を患って伏せてしまったお母さまにそれを止めることはできなかったという。


 家庭教師と武芸の教官がつけられ、勉強は深夜に及び、教練は早朝から始められた。休日はなく、外出は最低限の所用と教練のおりだけとなり、友人たちと子どもだけで会うことは許されなかった。


 制限は食事にも及んだ。筋肉の増強に役立つ素材を、とお父さまが厳格に選んだものだけが与えられ、すべての間食が禁じられた。

 リディスさまもお兄さまも、小さな頃から甘いものが大好物だったという。お茶の時間に家族で笑いながら食べた揚げ菓子の味がいまでも忘れられないのだ、と、リディスさまは寂しそうに言った。

 

 リディスさまは必死に努力し、堪え、期待に応えようとし、できないのは自分が駄目だからだと、兄と違って怠惰だからだと、自らを責めた。

 心も身体も、ついてくるはずがない。やがて調子を崩し、なにもかもうまくいかないようになる。それをまたお父さまに責められ、毎日泣いていたという。


 使用人のひとり、先ほど会ったテハナさんの同僚は、特にリディスさまと仲が良かった。幼い頃からリディスさまのそばについていた彼女は、リディスさまがとうに限界に至っていることを知って、ずっと心を痛めていた。


 そしてある日、彼女はこっそりと菓子を作って、深夜、リディスさまのところに持って行った。幼い兄弟のために焼いたのとおなじ作り方で、おなじ味で。

 リディスさまは戸惑いながらもそれを食べ、涙を流して感謝したという。


 その菓子の残りを、リディスさまは大事に机の引き出しに隠しておき、そうして、お父さまに見つかった。

 リディスさまも打擲されたが、すぐに特定された使用人にもまた、苛烈な罰が降った。罵られ、晒し者のように家人らの眼前で打ち据えられた。リディスさまもそれを見るように命じられた。目を逸らすことを許されなかった。


 顔を腫らした使用人が暇を出され、追い出されるように屋敷を出るときに、リディスさまは縋ろうとし、できなかった。

 寂しげに笑った使用人は、最後に頭を下げて、涙を落としながら、どうかお元気で、とだけ告げて去ったという。


 菓子、甘いものの味は、その日からリディスさまにとっての、毒となった。


 「……というところで、だな……非常に言い出しにくいのだが……」


 俯いてとつとつと語っていたリディスさまが、ふいに目を上げ、まずはぎょっとし、それからわたしと調理台の上を見比べながら声の調子を変えた。


 「……ふぇ?」

 「そろそろ限界だと、思うのだ……氷が、な……すでに三分の一ほどになってしまっている」

 「……は、ふぐぅ」

 「その……あれを、頼みたいのだが……」

 「ふぃ、ふぃま、やりまふ、から……」


 わたしは普通に発声したつもりなのだが、できていない。

 なんじゃこりゃ、と思って口元に手をやると、だらだらに流れた涙と鼻水が混ざったものが大量に手に触れた。

 リディスさまがちょっと引いた顔で、わたしの右をそれそれというように指さす。布巾が何枚か置いてあった。鷲掴みにしてぶいいと鼻をかむ。大丈夫。もはや保つべき体面などとっくに崩壊している。


 「ふぃ、ふぃつれい、ひまひた……」

 「……なにを言っているのかわからぬが、大事ないか」


 もっかい、ぶいいい。


 「……はひ、申し訳ありません……」

 「俺は……なにかまた、間違えたのか」

 「いえ、いえいえいえ、じゃなくて……あの……あの」


 なにか言おうと思うと、ぶわわっと湧いてくるものがあって、言葉が繋げない。リディスさまは妙な顔で黙り込み、わたしの顔を見つめている。

 すうはあ、すうはあと何度か息をして、わたしはちょっとだけ下を向き、それから彼の顔をしっかり、正面から見据えた。


 「……パフェ。作りましょう。最高のパフェを」


 リディスさまは少し面食らったような表情を作り、それから緩めた。目元がすこし潤んでいるように見えた。


 黒い布を取り去ると、つやつやしたものが現れた。

 硝子にみえる。でも、もっともっと透きとおっている。

 顔を近づけただけでひんやりした空気を感じる。

 リディスさまと目を見合わせ、ん、と頷き合う。


 北の遠征先で同行した従者たちが食べているのを、リディスさまは街の視察の際に目撃したのだという。それからずっと、彼らの幸せそうな表情が脳裏を離れなかったのだと。

 レシピはわからない。

 でも、園庭係のナツァグさんに教えてもらっていた。

 クリームと卵、砂糖を混ぜて、凍らせる。そうして細かく切り混ぜて柔らかくして、盛り付けて。そこに果物やら焼き菓子やら飾り付け、仕上げにシロップ。


 ふんす、と鼻息を吐いて、厨房を探った。必要なものはすぐに見つかった。エプロンもふたつ、見つけた。ひとつはわたしが身につけ、もうひとつはリディスさまに手渡す。


 「ん?」

 「氷、砕いてください。細かめに」

 「……どうやって」

 「お任せします」


 リディスさまはしばし黙り、それから頷いて、ぎゅっと袖を捲り上げた。拳を握る。ふううと呼吸を整え、腕を額の前に上げる。


 「……はあああっ!」


 リディスさまの拳が氷を破砕してゆく。破片が飛ぶ。それを避けながらわたしは大きめの器を用意し、氷のかけらを集めてゆく。途中から手が痛くなったらしく、リディスさまは置いてあった帯剣を抜き払い、氷に叩きつけはじめた。

 

 器に氷の破片がいっぱいになった。

 中くらいの器をその上に置き、用意されていた新鮮そうなクリームを注ぎ入れる。砂糖と、卵黄も。よくかき混ぜて、湿らせた清潔な布をその上に被せる。さらにその上に氷の破片を盛り付けて、全体をゆっくりゆすって、しばらく待つ。

 たぶんこうすれば、氷の破片とおなじ温度まで、クリームは冷えるはず。


 待っている間に果物を切ったり、小麦粉と砂糖と、残った卵白を使って簡単な焼き菓子を作る。戸棚に南国の豆菓子もあったから、それも使うことにする。


 じっと見ているリディスさまの前で、氷を避ける。器を取り出す。布を取り払う。

 ねっとりとした黄褐色の塊ができていた。

 ナイフを差し入れ、丁寧に切り混ぜる。


 厨房で見つけたいちばん素敵な器ふたつに、それを盛り分ける。

 そこに焼き菓子と果物と、豆菓子を添えてゆく。

 シロップはたくさんあったから、たっぷりとかけまわしてゆく。


 「……どうぞ」


 リディスさまの前に、パフェの器とカトラリーを置く。

 ごくり、という音が聞こえる。

 わたしの前にも置き、姿勢を整える。リディスさまも習ってくれたのか、背筋を伸ばす。顔を見合わせ、互いに決然と頷く。


 カトラリーの丸い先端で、切り取るように、黄褐色のそれを持ち上げる。

 口に含む。

 

 「……んんんっ」


 声が出てしまった。が、その声はわたしだけのものではない。

 リディスさまともう一度顔を見合わせ、今度は声を出して互いに笑った。

 

 脈絡もなく、しあわせの場所、ということばが胸に浮かんだ。


 


 

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