第6話 まだ見ぬ恋人
使用人の洗濯は母屋の水場ですることになっている。
母屋の東側の隅に、庇がかかった半室内の場所がある。そこに川から引いて濾過した水を通して、誰でも自由に使えるようにしてあるのだ。
厨房は母屋の使用人とそれ以外で分かれているが、水場は共同だ。執事だったり奥づかえの侍女といった上級の使用人の洗濯は、専門の洗濯係が日に一度あつめて、まとめて洗う。それ以外の使用人は炊事と同じく、各自だ。
洗い場は横長の台のようになっていて、それが十台ほど設置されている。どこを誰がつかうか特に決められてはいないけれど、なんとなく、奥のほうがより上級の役職の洗濯係が使うようになっている。
庭や畑といった外の使用人たちは、遠慮しているわけでもないけれど、自然と一番外側、物干し場に面したところを使うようにしているらしい。彼らと仲の良いわたしも、そこを使うようにしている。
普段は顔を合わせない職種の使用人どうしが集まるこの場所は、気兼ねなくおしゃべりを楽しめる社交場でもあるから、洗濯をしている短い時間でもこの家の情報がたくさん手に入る。水場のなかは仕切りがあるわけでもなく、石造りの壁に声がよく反響して、話し声がよく聞こえるのだ。
「ああ、そういえばな、隣国のあの件、やっと解決したらしいぞ。お館さま、自ら出向かれたそうだ」
お館さま、すなわち当主リディスさま。
わたしの耳がぴくりと動き、ざぶざぶ布を揉んでいた手を止めた。
馬まわりと修繕担当の使用人が壁にもたれて話をしている。
「あれだけ手を焼いたのになあ。さすがのお館さまのご威光も通じない相手だったんだろう、例の悪徳商人」
「そうなんだよ。既得権益で凝り固まってて、そのおかげで国も経済も傾いて、あげくにうちの国に戦をしかける羽目になったっていうのにな」
「お館さまも手荒なことしないように、話し合いでなんとかする姿勢だったから、舐められたんだろう。一体どうやって言うこと聞かせたんだ?」
「ああ、それがな。今回はお館さまの顔をみたら震え上がって、何も言えなくなったらしいぞ」
「へ、会うのは初めてじゃないんだろう?」
「そのはずなんだがな。なんだか、お顔つきが違った、って噂だぜ。なんというか、迫力というか、力がみなぎってるというか」
「そういえば最近、急にお元気になられたし、いろんなことがうまく回ってるらしいしな。いったい、どうされたんだろな」
「ま、いいことには違いねえよ」
わたしは素知らぬ顔で洗い物を絞り、籠に押し込んで立ち上がった。物干しの方へ移動し、ぱんぱんと引っ張りながら干してゆく。
ひらひらと暖かい風にゆらめくたくさんの布地がわたしの顔を隠しているから、ふふ、とにやけたところは誰にも見られずに済んだ。
そうしてひとしきりにやにやしてから、我に返った。なんでわたし、笑ってるんだろ。そう思いつくとなんだか恥ずかしいような悔しいような、奇妙な気分になって、ふん、と口を引き結び、しかめ面をつくって炭焼き小屋に帰ってきた。
◇
何日か、穏やかな日が過ぎた。
お茶会も何度か開くことができた。天気にも恵まれ、もちろんリディスさまの姿もなく、伸び伸びと新作のお菓子をみんなで楽しんだ。
この国はいま、北方に勢力を伸ばしている。リディスさまがいまいるのも、すぐ北に隣接している国だ。その国は南北に長く、南部はこの国とそう変わらない穏やかな気候だけど、北部の険しい山脈地帯では、夏でも雪が降るといわれている。
なので、現地から交代で戻ってくる兵士や家人たちがお土産に持って帰るものも、寒冷地特産らしい珍しい産品が多くなっている。
もちろんわたしにはお土産をくれる人などいないが、使用人たちがたまに貰い受けることがあり、そういう時は惜しげもなくお茶会に出してくれるのだ。
「ユキジカの燻製だって」
お茶会の準備をしていると、園庭係のおばちゃん、ナツァグさんがやってきて、嬉しそうにそういいながら、薄くスライスされたお肉が盛り付けられた木皿をテーブルに置いた。
「へええ。ユキジカ。はじめて見た」
「エルちゃんは南の出身だもんね。この国にはたまに入ってくるんだよ。市場ではあんまり見ないけど……雪の上で暮らす鹿なんだって」
「ふうん。これ、このままでいただけるのかな」
「柔らかかったよ。味見してみて」
勧められて、フォークでひとつとり、口に運ぶ。塩気と香ばしさと、濃厚な旨味がふわっと広がった。
「んん、美味しい! 臭みもなくて、さっぱりしてて」
「だろう。あはは、まあ、あたしが自慢しても仕方ないんだけどさ。甘いものの合間にこういうものもいいよね」
「うんうん、今日はチーズも用意してないし、ありがたいよ。だけど、へええ。北国かあ。どんなお菓子があるのかなあ」
「牛やら羊が良いから、クリームをたっぷり使ったお菓子が多いらしいよ。まあそりゃ、この国にもあるけど、北国のは濃厚で美味しいんだってね。持って帰るのに何日かかかるから、あたしは口にしたことないけどねえ」
わたしは頷きながら、雪を被った高い山を背景に、たくさんの牛と羊がのんびり草を食んでいる情景を思い浮かべていた。その横でわたしは草地に腰を下ろし、きゅっと味のつまったクリームをたっぷりパンに載せて、口に運んでいる。
思わず涎が垂れそうになった。
「……いいなあ……行ってみたいなあ……」
「このユキジカくれたの、奥つかえの侍女でさ、あたしと同じ村の出身なんだけど、なんでも向こうですごいお菓子、食べたんだって」
「ど、どんなの」
わたしは思わず身を乗り出した。ナツァグさんはにんまりと大きな笑みを浮かべて見せた。
「パフェ、って言うんだって」
「……ぱふぇ」
「ああ。クリームと卵と砂糖と混ぜて凍らせて、またそれを切り混ぜて柔らかくして、そこにまたクリームやら小さく切ったケーキやら、果物やらを豪勢に載せて、しかもシロップなんかもたっぷりかけていただくんだってさ」
「……すごい……」
「南国の豆をすりつぶして砂糖とバターと混ぜて練って、それを載せることもあるんだって。もう、なんだろね。あたしゃ想像しただけで溶けちまいそうだったよ」
無理もない。わたしもいま現在、溶けている。
パフェ。なんて恐ろしいお菓子。
それだけでも美味しいケーキや果物を、え、凍らせたクリームに砂糖を混ぜて、そこに載せるの? さらにクリームやシロップまでかけるって? そんなの食べて大丈夫? もう他のお菓子、なにも食べられなくなっちゃわない?
ぽかんと開けた口を上空に晒しながら妄想にふけるわたしの裾を、だが、ナツァグさんは辛そうな顔で引っ張った。眉根を寄せて、小さく首を振っている。
「……すまなかったね。あたしたちの手が届かない、夢みたいなものの話をして。辛くなるばかりだね」
「……で、でも、クリームもケーキも、手に入るし……」
「それだけじゃパフェにならないんだよ。クリームを凍らせなきゃならない」
「……あ」
そうなのだ。
この国は温暖で安定した気候だが、代わりに、冬にもそう気温が下がらない。まれに氷点下となることがあり、薄く氷が張ることもあるが、日中にはすぐに溶けてしまう。料理やお菓子作りに使えるものではない。
だから、この国で氷をつかった料理なりお菓子は、たいへんな贅沢品なのだ。専門の業者がいろいろな技術を使って他の国から運んできて、王室なり有力な貴族に献上したりするけれど、このルキソエール家にすら到来したと聞いたことがない。まして庶民の手に入ることなど、あり得ない。
「……パフェ……」
呆然と呟き、俯いたわたしの肩を、ナツァグさんはぽんぽんと叩いた。
「きっといつか会えるよ。強く願えば、想いは通じるもんだ」
「……うん……」
なにやら異国に去った恋人のような立ち位置に収まった、パフェ。
妄想のなかで、美しい山脈と草地、そして牛と羊を背景に、たかだかとクリームを盛り付けられた愛しいその方は、まだ見ぬ美しい笑顔をわたしに向けていた。
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