第5話 甘いものがお嫌い


 翌朝、早朝。

 リディスさま一行の出発を見送る歓声が聞こえる。


 わたしは小屋から出なかった。

 畑の使用人たちが夜明け頃に声をかけてくれたけど、具合悪いとかなんとか言って、扉は開けなかった。実際になんだか、怠かったし。

 午前中は、ぼけっと過ごした。


 どう考えても、わたしが悪い。


 たしかに、余りもののアップルパイにはひどく不釣り合いなお礼だし、深夜に訪ねてきて戸口に置いていくのはちょっと怖いし、美味しかったのひとこともないのはどうかと思う。

 でも、相手はこの屋敷の主、国の軍勢の大半の指揮権を持つ、炎鬼えんき将軍。そもそも捕虜同然のわたしなんかが口をきける相手ではない。月夜の練兵場で蹴つまづいた時点で斬り捨てられていてもおかしくないのだ。

 なのに、わざわざお礼の品物を用意し、自ら持参した。夜中だったのは、たぶん人目を憚ったのだろうし、自由に動けるのはそういう時刻だけなのだろう。

 それに、部下に預けることができなかったのだろうと思う。炭焼小屋の虜囚の女に贈り物を渡しておいてほしい、など、言えるわけもない。

 その意味では、たぶん、ネックレスを購入するのも、かなり苦しい言い訳を用意しなければならなかっただろうな、と思う。


 リディスさまは独身だ。付き合っている女性がいるとも、縁談があるとも聞こえてきていない。そういう噂があれば家中で広まるのは早いし、なによりそういう話題が大好きな侍女たちから隠し果せるものでもない。引く手は数多だろうけれど、今のところは、実際になにもないんだろうと思う。

 となると、ネックレスは母親、つまり先代の妻への贈り物、ぐらいに説明したのではないだろうか。

 先代は将軍職こそ拝命しなかったものの、リディスさま同様に武名を馳せた武人だった。リディスさまが戦で活躍し始めたころに落馬して腰を痛め、いまは隠居して東方の丘陵地帯の別荘に引き込んでいる。


 つまり。

 炎鬼将軍、屋敷の主、無敵の武人、リディス・ルキソエールさまは、相当の苦労をしてネックレスを調達し、礼などする必要もない相手にわざわざ足を運び、夜半だろうと叩き起こせばよいのに気を使って戸口に置いていってくれたのだ。


 これだけのことをしてもらったのに、文句をいう阿呆。

 あまつさえ泣きながらお礼の品物を突き返して、口もきかずに戻ってくる阿呆。

 そんな阿呆がいるなら顔が見てみたい。


 わたしは鏡をじっと見つめた。

 阿呆の顔は、少しむくんでいた。


 ぱん、と頬を叩く。

 機会があるかはわからないけど、必ず謝ろう。

 そう決めたら、身体が動き出した。


 使用人ではないからお役目というものはないのだけれど、ここしばらくは、畑や園庭の仕事を手伝ったり、裏まわりの掃除をしてみたり、隣接する森での薬草や香草の採取についていったりと、それなりに仕事をさせてもらっているのだ。


 そしてなにより、料理とお菓子づくり。

 裏づとめには、母屋の使用人と違って、食事係がいるわけではない。共同の炊事場があって、そこでそれぞれ支度をしている。独り者どうしで相談し、当番制で担当することもある。

 材料は市場で買ってくることもあるし、屋敷の仕事として採れた野菜や肉、山菜の端切れなどを使っても良いことになっているそうだ。

 みんなそれぞれ料理はできるし、特に不便をしていたわけじゃないだろうけど、それでもわたしの出現はありがたかった、と口々に言ってくれた。


 わたしは手が空いたときにはだいたい、お菓子でなければ日持ちのする加工食を作っている。炭焼きの道具を使った燻製だったり、酢と塩と香草で野菜を漬け込んだり。日々の仕事が忙しくてそういうことに手が回らない裏づとめのみんなに、機会があるごとに差し入れているのだ。

 味付けも喜ばれた。わたしができるのは隣国の庶民料理だけど、この国にはあまり伝わっておらず、香りをしっかりつけた独特の風味が珍しかったらしい。


 そういうわけで、わたしの存在は公式には囚われの身、裏づとめのみんなにとってはお菓子とお惣菜の係、という感じになっているのだ。


 「エル」


 お昼すぎ、台所で豆を選り分けているときに、頭の高さの窓の外から声をかけられた。ひょいとつま先で立つと、柵の向こうで明るい茶色のおさげが揺れているのが見える。

 

 「ネノ。お昼の片付け、もう終わったの?」

 「うん、今日は執事長さんたち出かけてるから、人数少なかったんだ。いま、忙しい?」

 「あ、大丈夫。開けるね」


 手をはたいて戸口に駆け寄り、ひっかけ鍵を外した。引き開けると、布をかけた木皿を抱えて、母屋の厨房で働いているネノが立っていた。

 厨房担当の使用人たちは、初めの頃は、元の敵国の領主の娘ということで口もきいてくれなかった。それでも、まいにち顔を合わせているうちに馴染んできて、笑って会話できる人も増えてきた。

 そのうちでいちばん仲が良いのが、同い年のネノだった。

 笑うととても幼く見えるネノは、わたしの母国に近い村の出身ということもあって、いまでは時間があるとこうして炭焼小屋を訪ねてきてくれるようになっている。


 「これ、執事室のお昼、作りすぎて。チーズとほうれん草のキッシュ。好きだっけ?」


 勧められた椅子に腰をかけて、ネノはテーブルにそろりと木皿を置きながら声を出した。


 「わ、ありがとう。夜にいただくね。ネノが作ったの?」

 「今日はやらせてくれるかなあと思ったら、卵割りだけだった」

 「あはは。まあ、司厨長さん、卵料理にうるさいもんね」

 「なんだよねえ」


 わたしが置いた果汁のカップを手に取り、こくりと飲んで、はあ、と息を吐いた。


 「はやくお館さまにお出しする料理、担当してみたいよ。お菓子でもいいから」

 「んっふ」


 カップを傾けながら、わたしはむせそうになり、変な声を出してしまった。けほけほと咳き込む。


 「どうしたの」

 「あ、や……むせただけ。ごめん」

 「気をつけてね。あ、そういえば朝のお館さまのお見送り、エル、来てなかったんじゃない?」


 ……バレていた。


 「……うん、ちょっと朝方は体調、悪くて」

 「え、大丈夫? 風邪?」

 「じゃない、けど、まあ……あはは。リディスさま、無事に出発された?」

 「うん、お元気に。最近ずっと調子を崩されていたみたいだけど、ここ何日か、急によくなられて。お顔もずいぶん明るくなられた、って、奥づかえの侍女たちが言ってたよ」

 「そ、そうなんだ」

 「あ、それで可笑しいことがあってさ」


 ネノは口を塞いでふふと吹き出して、わたしに顔を近づけてきた。


 「なんかね、お館さまが執事さんに尋ねたんだって。りんごを使った菓子、さくさくした皮の菓子を知ってるか、って。そりゃあパイに決まってるけど、お館さま、お菓子はぜんぜん召し上がらないからご存じないんだなあって」

 「え」


 わたしは思わず声をあげた。

 アップルパイの話が出たことにも驚いたし、それに。


 「リディスさま、お菓子、食べないの……?」

 「うん、少なくともお屋敷うちでは。厨房から出したこともないし、どこかで買ってこられたこともないと思う。甘いものがすっごくお嫌いみたいだよ。お料理のお砂糖も、あんまり使わないようにしてるはず」

 「……へえ……」

 「でさ、お菓子お嫌いなのにそんな話をされるということは、きっとお元気になられたのはここ何日かで出したことがある食後のりんごか、お肉のパイのおかげだとお館さまはお考えなんだろう、ってなってさ。りんごだ、肉だ、って、デザートの担当と肉料理の担当が喧嘩はじめちゃったの」


 要らぬ、と顔をそむけて。

 それから次々と口に放り込んでいった、月夜のアップルパイ。

 ぽろぽろとこぼした、涙。

 

 楽しそうに話すネノの顔を見ながら、わたしは心のうちで首を傾げていた。


 


 

 

 

 


 

 

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