第3話 月とアップルパイ


 数日間、わたしは処断を待つ罪人のような気持ちと表情で過ごした。

 たぶん全身が煤けてみえただろう。炭、焼いていないのに。

 屈強な兵士たちが扉を蹴破って入ってくる夢を何度も見て、そのつど、飛び起きた。


 が、来ない。

 仲の良い裏づとめだけでなく、母屋の下女たちのわたしへの応対も、まったくそれまでと変わらなかった。厨房の使用人は何人か話せるひとがいたから、なにも聞いてないよ、とは教えてもらっていたけれど、不安だったから庭で馬周りの使用人を捕まえて聞いてみた。よりリディスさまに近いだろうと思ったのだ。

 やっぱり、あの出来事はリディスさまは誰にも話していないらしい。

 わたしはほぅっと息を吐いた。

 使用人は怪訝な表情を浮かべたが、続けてさらに大事なことを教えてくれた。


 リディスさまは国を出られた。

 戦争に勝って支配下に収めた国の内政を監督するため、しばらく戻ってこられない。


 ひゃっほう。

 わたしは内心で快哉を叫んだが、もちろん鎮痛な表情のまま、静かに頷いた。


 お茶会が復活した。

 季節も良い。

 材料もふんだんにある。

 南国から到来した豆を薄くスライスして蜜で和え、ふんだんに載せたクッキー。乾燥した果実をたっぷり混ぜ込んだ歯応えさっくりのケーキ。ほろ苦い豆粉とクリームをあわせてたっぷり盛り付けたタルト。

 寂しそうだったみんなが満面の笑みになるのが嬉しかった。

 ひゃっほう。


 それでもたまに、一行は帰国した。月に一度くらいのその機会にお茶会がでくわさないよう、わたしたちは慎重に情報を集めて準備した。

 帰国の当日、屋敷に戻ってくる長い馬列を、みなしおらしく頭を下げて出迎えた。

 そしていなくなれば、お茶会だ。ひゃっほう。


 ……ただ。

 なんだか気になることがあった。

 

 馬上のリディスさまは、常に凛と胸を張り、荒々しく燃えるような髪を逆立てていた。真っ直ぐ前を見据え、迷いなど微塵も感じられない。最初の帰国のときも、その次も、そのことはなにも変わらない。

 それ、でも。

 なんだか、少しずつ顔色が悪くなっているように感じたのだ。


 ふた月前、洗い場で洗濯係の下男たちが噂をしているのを聞いた。

 支配下の国のことがうまくいっていないらしい。反乱、暴動、といった物騒な言葉もいくつか聞こえた。

 リディスさまもなあ、いくさ場では最強だが、政治のこととなるとからっきし、っていうじゃねえか。まあ、人情やら他人の気持ちなんて分かりそうもないお方だからな、ましてや敗戦国での仕事だろう。

 そういって肩をすくめた下男たちの言葉は、妙にわたしの中に残り続けた。


 そうして、今月。

 帰館は、一昨日だった。そのときにはもう、リディスさまの憔悴ぶりは誰の目にも明らかだった。迎え出た家令に馬上で声をかけられたが、リディスさまは呆然と目線を泳がせたまま、しばらく返事をしなかった。

 ひそひそと囁く家人たちのなかで、わたしはなぜか、彼の言葉を思い出していた。


 菓子ぐらい、好きに食えばよかろう。

 そんな、子供の食い物。


 たくさんのりんごと小麦粉、お砂糖を抱えて小屋に戻ってきた今も、どうしてもリディスさまの少しやつれた横顔と、その言葉が離れない。

 ふんふん、と頭を振って、わたしはアップルパイの下拵えに取り掛かった。


 パイはたくさんできたから、お茶会はいつもより人数が多かったのに、ずいぶん余ってしまった。みんなにもお土産に持って行ってもらったけれど、それでもかなり余った。

 これは夜もパイだなあ、香草をもらったからそれでスープを作って済ませてしまおう、と、わたしは少し張ったおなかをさすりながら考えていた。


 夜も、余った。困った。

 この国は一年を通じて冷涼で、そう気温は高くならないけれど、ちょっと心配だ。といって食べ物を捨てるなどという選択肢はわたしの中には存在しない。

 ううんとしばらく考えた末に、ぽんと手を叩く。母屋の裏の警備のひと! 夜通しで立哨している彼らに夜食で差し入れよう。

 余り物を押し付けられる彼らの迷惑もちらと頭に浮かんだけれど、寂しく廃棄されるパイが悲しげに手を振るのが見えてしまった。やむを得ない。うん。


 繕いものと片付けをしていると、すぐに夜半になった。窓から月あかりが差し込んでいる。朝が早い使用人はもう休んでいる時刻だ。

 わたしはパイを小さく分けて木皿に載せ、布を被せ、籠に収めた。肩掛けを羽織って外に出る。今日はたくさん食べたせいもあって、なんだか身体が火照っている。夜風が気持ちいい。


 母屋の裏に行くためには、例の木立と練兵場を通ることになる。もちろん誰もいない。しんとした中、小さく虫やら蛙の声が聞こえる。夜に女がひとり出歩くような場所ではないが、ここは炎鬼えんき将軍の屋敷うちだ。ここに出る賊徒がいれば、その勇気を褒めてあげたいくらいだ。


 それより、頭上に見える月。なんて明るく大きく、綺麗なんだろう。圧倒されるような思いで見惚れながら、わたしは草むらを歩いた。


 と。


 「わっ」


 思わず声が出る。

 足先が何かに引っかかった。

 つんのめりそうになり、慌てて体勢を戻す。

 

 「え、なに」


 嫌な予感がした。賊徒は出ないだろうが、森が近いこの場所には時折り、野犬や狐が出ることがある。

 恐る恐る一歩下がり、見下ろす。


 にんげん、だった。

 夜陰に溶け込むような黒い装束。

 横向きに寝転がり、長い足を投げ出して、胸のあたりに帯剣を置いている。

 袖と襟には、黄金の刺繍飾り。

 肩までかかる真紅の髪が、月明かりに浮いて暴れている。


 「……り、リディス……さ、ま……?」


 小さく声をかけ、そおっと覗き込む。返事はない。

 背を丸めたまま、それでもよく見ればちいさく身動きをしている。

 いや、身動きではない。肩で息をしているのだ。わずかに震えているようにも見える。


 「え、うそ……だ、大丈夫、ですか」


 やはり返事がない。

 が、ほんの少し顔をこちらに持ち上げ、閉じていた目を薄く開いた。

 迷うようにわたしに向けられた、その紅い瞳。

 月明かりを受けて輝くその色は、わたしのなかのなにかを小さく刺激した。


 「ど、どしよ……あの、お屋敷のどなたか、お呼びしますね……お待ち」


 ください、と言おうとして、失敗した。

 振り返って歩きだそうとしたわたしの腕を、リディスさまの大きな手のひらが掴んだのだ。ひ、とわたしは声を上げそうになり、口を押さえた。


 「……だい、じょうぶ、だ……誰も、呼ぶ、な……」


 リディスさまは肘で身体を支え、半身を起こして頭を振った。


 「……夜風にあたって、考えごとをしていただけだ……心配いらぬ」

 「え……だって、あんな苦しそうに……」


 わたしの言葉にリディスさまは、不覚、と言わんばかりに眉を顰めて横を向いた。


 「月を見上げて考えごとをしていた。そうしたら、眩暈がな」

 「……眩暈……お加減、悪いんですか」

 「いや、俺は病を得たことがない。ただ……」

 「……?」

 「このところ、食が進まん。そのためかも知れんな……驚かせてすまなかった」


 そういい、リディスさまはもう一度軽く頭を振って、立ちあがろうとした。地面にこぶしをついて膝を立て、だけど、そこでよろめいてしまった。

 わたしは咄嗟に走り寄って背中に手をあて、支える。が、重い。


 「きゃ」


 どさり、と、一緒に倒れる形になった。

 リディスさまの胸の上に、わたしの頭。

 頬に彼の動悸を感じながら、三拍数えるほどわたしは硬直し、弾かれるように飛び起きた。


 「あああああ、すすすすみません、申し訳ございません、あの……」

 「……すまん。不甲斐ない」


 彼は横たわったまま、なかば呆然と声を出した。本音なのだろう。ふう、と息を吐いて、深呼吸をした。

 と、なにやら鼻をうごめかす。

 頭のなかの何かを探すような表情。やおら眉をあげ、驚いたような表情をつくって、顔をあげた。横座りしているわたしの膝の上の籠に視線を落とす。

 気づいて、わたしはまず籠、ついでリディスさまの顔を見た。


 「……あ、の……?」

 「……いや、なんでもない」


 言いながら、彼の目は籠に釘付けになっている。穏やかな表情ではない。眉を逆立て、怒りに耐えるような目つき。

 わたしは思わずにじり下がろうとして、ふと、思い出した。

 木立のところでお茶会の様子を見ていた時の、彼の表情。

 ちょうどこんな感じだった。

 あれ、これは……もしかして。


 「……あの……これ、昼に焼いた、アップルパイ、です」

 「……そう、か」

 「もし、よろしければ……おひとつ、いかが、ですか」


 そう言いながら、布を取る。焼いてからずいぶん経っているのに、甘く濃厚な香りがふわりと広がった。

 リディスさまの目が大きく見開かれる。

 が、顔を背けた。


 「……いらぬ」

 

 その顔の横に、わたしは籠から木皿を取り出し、差し出してみせた。

 色よく焼けたパイたちが、彼を誘って月明かりに輝いている。

 横目でそれを追っているのを見ながら、わたしはさらに、ぐい、と押し出す。


 「どうぞ」


 呼吸の三十回分ほどの時間、彼は動かなかった。

 額に汗が浮かんでいるように見えた。


 と、左右を小さく見回し、パイのひとつに、ゆっくりと手を伸ばす。

 怯えるように口に運ぶ。

 かり、と、わずかに齧り、しばらく口に含んで黙っている。

 やがて眉をあげ、鼻腔をひろげ、それから大きな口で一息に残りを食べてしまった。すぐに次のパイに手を伸ばす。今度は噛み締めるように味を確かめ、食感を味わい、香りを堪能する。

 わたしがあっけに取られて見ている前で、パイは次々と彼のお腹に収まっていった。


 そうして、最後の一個を口に含むとき。

 わたしは彼の顔をみて、ぎょっとなった。


 大軍の先頭を征き、敵を蹴散らし、悪鬼すら飲み込むとされる炎鬼将軍。

 彼はいま、パイにかぶりつきながら、大粒の涙をこぼしていた。

  

 

 

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