第70話 戻ってきた
朦朧とする頭に届いた、愛しい人の声。けれど、幻聴のような気もする。だってこんなところで、セレオン殿下の声がするはずが、ないもの……。
そう思った。けれど。
「ミラベル!!……早くここを開けろ!早く!!」
「殿下!下がってください!!」
取り乱したセレオン殿下の声と、それを制するジーンさんと思われる人の声は、すぐそこまで迫っている、ような気がする。というかもう、すぐ隣から聞こえてきているような……。
「お、おい!もうマズい!行くぞ!!」
「どこからだよ!!出口はそこだけだ!!」
ふいにお腹の上が軽くなり、呼吸が楽になる。そうか……、私今まで男に押し潰されていたんだっけ。
そんなことを考えているうちに、意識がだんだんと遠くなる。けれど、大きな音と人々の喚き散らす声、ドタバタとした騒がしい周囲の雰囲気は伝わってくる。部屋の扉が大きく開かれたのか、風がふわりと顔にかかった。
「ミラベル!!ミラベル!!」
「うわぁっ!!」
「動くな!!抵抗するのならばこの場で斬る!!」
この空間に、今どれだけの人がいるんだろう。そう思うほどの凄まじい騒動の中、私の全身の力が抜けていく。すると、ふいに体が宙に浮くような感覚がして、その後私は大きな手にしっかりと抱きかかえられた。
鼻腔をくすぐる、甘く上品な、この香り。
ああ、私、今……、
「ミラベル……ッ!ああ、生きていてくれたか……!こんな……、私のミラベルに、こんなむごいことを……!」
セレオン殿下の腕に、抱かれているんだわ……。
夢なのか現実なのか、もう分からない。
けれど、愛しい人の気配に安心した私は、その香りに身を委ね、そのまま意識を手放したのだった──────
◇ ◇ ◇
「……、……ん……、」
痛い。
頭が痛い……。
それに、何だかすごく……、口の中が、苦い……。何?これ……。
「……?」
ふかふかとした、柔らかく心地の良い感覚。ここはベッドの上だろうか。
眉間に皺を寄せながらゆっくりと目を開けると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうな大好きな人の顔だった。
「ミラベル!」
「……でん、か……」
一言喋るだけで口の中にひどい痛みが走る。その時、私の右手がセレオン殿下の両手でしっかりと握りしめられている感覚に気付いた。目の前の殿下は目のふちを赤く染め、充血した真っ赤な瞳で食い入るように私を見つめている。いつも完璧にセットされた美しい金髪は乱れ、前髪が額に下りている。
「ああ、やっと気がついたか……!私が分かるか?ミラベル」
「……でんか……。……は、い……」
「ああ……!よかった……!ミラベル……ッ!!」
動きづらい口をどうにか動かしながら私が返事をすると、セレオン殿下はその整ったお顔をくしゃりと歪め、握った私の手を自身の額に当てた。しっかりと握ってくれているその両手が、ガクガクと震えている。
その熱い感覚を受け止めながら、だんだんと記憶が戻ってきた。……そうだ、私……。どこだか分からない場所に、突然連れ去られて……。大きな男たちに、脅されたんだった。
(じゃあ、もしかして……、私、助かったの?あの時聞こえた殿下の声は、夢じゃなかったってこと……?)
……え?
じゃあセレオン殿下は、まさか自ら危険な場所に乗り込んできたってこと?王太子殿下が?
それに、アリューシャ王女は……?このことを知っているのだろうか。大丈夫かな。私を心配して、泣いていないだろうか。
「……でんか……、う……っ、」
いろいろと聞きたいことはあるけれど、少し動かすだけで口内にひどい痛みが走る。私が顔を歪めた途端、セレオン殿下が焦った声で制した。
「まだ何も喋らなくていい、ミラベル。君は頬と口の中に怪我をしているんだ。もう手当ては終わっている。薬を塗ってあるから、苦いだろうが、我慢しておくれ。……ああ、可哀相に……」
苦しげにそう呟くと、殿下は私の手をご自分の唇に押し当て、頬を擦り寄せ、そして今度は私の髪を撫でた。
(殿下……。こんなに心配してくださって……)
ふと気付くと、殿下の後ろにジーンさんが立っているのが見える。心なしか、こちらを見ているジーンさんの表情もホッとしているようだ。
ああ、私、生きてるんだな。
無事大切な人たちの元に、戻って来られたんだ……。
そう自覚した途端、今目覚めたばかりだというのに急に猛烈な眠気に襲われる。開けたばかりの瞼が今にも閉じそうだ。
「……眠いのか?ミラベル。痛み止めも飲ませてあるからね。今はまだ、ゆっくり休んでおくれ。……愛してるよ」
殿下のその声に安心した私は、再び意識を手放しはじめた。
眠りに落ちる瞬間、殿下の低く静かな声が聞こえた。
「……やはり君を離れた部屋にいさせたのは間違いだった。これからはもう決して、私のそばから離さないよ。そして……、奴らには徹底的に制裁を加えねば──────」
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