第69話 絶望の淵で
男が再び口を開く。
「……愚かな女だ。自分の置かれた状況が理解できていないのか」
「あなたたちこそ、しでかした事の重大さが理解できていないようね。首尾よく私を王宮から引っ張り出したところで、どうせすぐに身元はバレるわ。ここがどこだか知らないけれど、必ず見つかるわよ。王家の力を侮らない方がいい。そちらこそ、早く逃げた方がいいんじゃないの?」
とにかく時間を稼ぐしかない。私はそう思った。
どの道この状況じゃ、私がここから逃げ出すことはできない。せめて誰かが助けに来てくれるまで、いや、それを信じて、少しでも生き延びるための時間稼ぎをしなくては……!
そう思った私は、できる限りゆっくりと、途切れることなく喋り続けた。
「随分と荒っぽい手を考えたものね。一体どなたの差し金か見当もつかないけれど、こんなやり方をするなんて、ろくな雇い主じゃないわ。あなたたち、ここで私を殺めてどこかへ姿を隠したところで、必ず捕まるわよ。そして処刑される。取り返しがつかないことになる前に、考えを改めて未遂のまま逃げた方がいいんじゃなくて?今ならまだ、たとえ捕まったとしても極刑にはならな……、ぐ……っ!」
すると突然、目の前の大男が私の胸ぐらを掴み、片手で持ち上げた。すごい力だ。恐怖のあまり怯んだところに、まるで感情のこもらない声で男が言った。
「その雇い主から、殺す前に必ずこれをくれてやれとの指示だ」
その直後だった。
頬に凄まじい衝撃が走り、耳元で大きな破裂音がした。そのあまりの勢いと強さに、脳が大きく揺さぶられたような感覚に陥る。視界が大きく揺れ、直後に吐き気もこみ上げてきた。
私を掴んでいた男から、容赦のない力で頬を打たれたのだ。
ヴィントでもここまでの力で私をぶったことはなかった。口の中に鉄錆のような味が一気に広がり、口の端からこぼれ出た。
男が私から手を離し、私は固い床の上に放り出された。その弾みに頭の横を強くぶつけ、ますます目が回る。
意識が朦朧とし、気付けば私の目からは止めどなく涙が溢れていた。
(ああ……、もう、ダメかもしれないな……)
強い痛みに心が折れかかり、そんな考えが頭をよぎる。今の男の言葉で、私は察した。誰がこんなことを計画したのかを。
ここまで私を強く恨む理由がある人は、一人だけだ。
「もういい。時間をかけ過ぎた。さっさと始末してずらかろうぜ」
別の男が初めて口を開いた。すると男はああ、と返事をし、私の前から離れた。
その足元をぼんやりと見ていると、今度は別の男が横からやって来て私の前に立つ。ぶらんと下がったその手に、大きなナイフのようなものが握られていることに気付いた。
これで喉を裂かれるのか。
ここで私の人生は終わるのか。
そう思った瞬間、私の頭の中にまた、大切なあの子の笑顔がよぎる。
ああ、アリューシャ様……。どんなに嘆くことだろう。
ずっとそばにいると約束したのに。
それに……。
『ミラベル』
私の名を優しく呼ぶ、愛しい人の声。
(────冗談じゃない!!)
その瞬間、ふいに気力が全身に漲り、私は両腕両足を縛られたままの体でがむしゃらにもがき、暴れまくった。目の前のナイフを持った男の脛を、思い切り蹴りつける。
「いてっ!……クソッ!大人しくしろ!」
「誰が大人しくなんてするものですか!誰かぁーーっ!!誰か助けてぇーーーっ!!」
「っ!!こっ……、こいつ……っ!」
「キャアーーーッ!!誰か来てぇーーーっ!!」
私は全力で暴れ、叫んだ。大人しく殺されてたまるか。せっかく幸せになれるところだったのに!許さない!
最後の最後まで、あがき続けてやるから!
「いたっ!……このアマ!!」
「おいっ!早く抑えろ!首を切るんだ!」
私は肩を大きく振りながら、床の上をゴロゴロと左右に転がった。案の定、それは長くは続かなかった。相手は屈強そうな男四人。こんな状態で、太刀打ちできるはずがない。
「いい加減にしろ!!」
ゴツッ!という音とともにこめかみに強烈な痛みを感じたその時、私の体の上に男の一人が跨って座った。完全に動きを封じられてしまったし、再び殴られた衝撃で視界がグラグラと揺れている。……もうダメだ。
「……セレオン、さま……」
私が小さく呟いた途端、首元をグッと押さえつけられ、跨った男の右手が大きく振り上げられた。
そしてそのナイフの先端が不気味に光った、その時だった。
ドンドンドンドンッ!!
遠くで激しくドアをノックするような音が聞こえたかと思うと、何かを破壊するような激しい音が続けざまに聞こえてきた。ガンッ、バキッ、という乱暴な音は次第に大きくなり、目の前の男たちが明らかに動揺している。
すると。
「ミラベルーーッ!!」
(…………?)
今の、声……。まさか……、
(……セレオン、殿下……?)
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