第41話 強硬手段

「よぉ。この前は随分な態度だったじゃねぇか、ミラベル」

「……っ、」


 元夫の恨みがましい低い声に、ぞくりと背筋が泡立つ。なぜ?今どうしてウィリス侯爵令嬢が、ヴィントのことを呼んだの?なぜこの二人がここに一緒にいるの……?

 頭が真っ白になりながらも、私はにじり寄ってくるヴィントから距離を取ろうと無意識にじりじりと後ろに下がる。ウィリス侯爵令嬢はそんな私を冷たい目で睨みつけながら言った。


「あなた結婚歴があったのね。知らなかったわ。こちらの方とご夫婦だったのでしょう?……本当にしたたかね。田舎の伯爵夫人の座では満足できずに、夫を捨てて王都に出てきて、ついには王宮の中にまで入り込んだだなんて。その上セレオン殿下のお心まで掴もうと、あざとく立ち回って……、嫌な人。さっさと故郷にお帰りなさいな。こうして旦那様がお迎えに来てくださったことだし。……目障りなのよ、あなた」

「お前……、ただの下働きじゃなくて、王女殿下の教育係なんかやってるんだって?ふは、随分と出世したもんだ。驚いたぜ。こちらのご令嬢の話によると、なかなか狡猾に立ち回ってるらしいな。やるじゃねぇか」


 互いが互いに、私のことを自分に都合がいいように悪く伝えあっているのは明白だった。だけど二人の目的はよく分かっている。ウィリス侯爵令嬢は私をこの王宮から追い出したくて、ヴィントは私の貰っているお給金を奪いたい、そして私を連れて帰り、領地の労働力として酷使することが目的なのだろう。


「……無断で王宮内に入り込むなんて……っ、どうかしてるわ。こんなこと、許されるはずが……っ」

「あら、違うわ。こちらの方はあなたの身内でしょう?何やら下心があってこの王宮に居座ってしまった元妻を、いるべき場所へ連れ戻そうとなさっているだけよ。復縁してくださるそうよ、あなたと」

「は……っ?!」


 復縁?冗談じゃない。ヴィントにはブリジットという後妻がいるし、そもそも復縁なんてこちらが絶対にお断りだ。


「なぁ、ミラベル。ここで貰ってる給金を素直に俺に渡せよ。お前は自分の働きでハセルタイン伯爵家への恩は返し終わったなんて薄情なこと言ってやがったが、俺は全くそうは思わねぇ。まだまだ返すべきだろう。自分を買いかぶりすぎだ。そしてうちへのありがたみが分かってなさすぎなんだよお前は。……どちらか選べ。今後ここで得る給金を俺に全部流すか、それとも、もうこのまま俺と一緒にハセルタイン領へ帰って、以前のように死にもの狂い働くかだ」

「っ?!……馬鹿なことを言わないで!どちらも嫌に決まっているでしょう」


 どうやらこいつの言う“復縁”とは、以前のように私を無給の使用人として酷使することを指しているらしい。本当に、どうしようもない屑だ。

 私の答えを聞いたヴィントは、顔を歪め舌打ちをする。そしてズカズカと私に近寄ってくると、強い力で私の手首を掴んだ。驚いて体が強張り、避ける余裕はなかった。


「は……っ、離して……!大声を出すわよ!こんなところで騒ぎを起こしたら……っ、」

「こんなところで騒ぎを起こしたら、恥をかくのはあなたよ、貧乏子爵家のお嬢さん。王宮の庭園に連れ込んだかつての夫とお金のことで激しく揉めていたなんてセレオン殿下のお耳に入れば、きっと呆れて目が覚めることでしょうね。卑しい小娘なんかさっさと追い出さなくてはとお思いになるはずだわ」


 ウィリス侯爵令嬢は扇で口元を隠し、その美しい瞳を三日月のように細めてクスクスと笑っている。ひどい……!ヴィントを連れ込んだのは自分のくせに……っ!


「どっちにするか選べミラベル!!俺とハセルタイン領に帰るか、それともこのまま俺に大人しく帰ってほしいなら、今後王宮で得る給金を毎月俺に渡すと約束するかだ!今まで貰った分もな!」

「ちょっと!馬鹿言わないで。大人しく帰れだなんて言ってないわ。確実にこの小娘を領地に連れて帰れと私は言ったのよ。このまま連れて帰れば、小娘の荷物やこれまでの給金は後から送ってもらえるはずよ。とっとと二人で行って!」

「……チッ……!」


 私のことなどそっちのけで、ウィリス侯爵令嬢がヴィントに命じ、その言葉にヴィントが憎々しげに舌打ちをする。ヴィントとしては、本音は私にできるだけ長く王宮で働かせ、その給金を自分に横流しさせたいのだろう。どっちにしても、絶対に受け入れられない。


「はっ、離してってば!!」

「うるせぇ!大人しく来い!!また殴られてぇのか!!」

「嫌……っ!!」


 ギリ、と骨にくい込むほど強い力で手首を掴まれる。その手から逃れようと、私はヴィントの手にもう片方の手で爪を立てながら引き剥がそうと必死にもがく。だけどこの男の力には到底かなわない。私はその格好のままずるずると引きずられはじめた。私たちがここまで暴れていても、遠巻きに眺めているウィリス侯爵令嬢の護衛や侍女たちは微動だにしない。彼女から事前に命じられているのだろう。

 どうしよう。どうしよう。このままじゃ、本当にここから連れ出されてしまう……!


「いっ、嫌ぁ……っ!だ、誰か……っ!!」

「黙れ!!」

「っ!!」


 パンッ!


 衝撃とともに、頬に痛みが走る。私を掴んでいない方の手で、ヴィントが私の頬をぶったのだ。だけど構っていられない。私はここを離れたくない。アリューシャ王女のおそばを……、それに、


(セレオン殿下のおそばを……)


 頭の中に、セレオン殿下の優しい瞳が、声が、ふいによみがえり、胸が締めつけられるように痛む。


 私はヴィントを睨みつけ、がむしゃらに暴れた。


「もう止めて!何をされようと、あなたのところになんか二度と帰らないわ!私はもう、あなたとは無関係の人間なのよ。いつまでも私につきまとわないで、ブリジットさんと二人で力を合わせて頑張りなさいよ!私はもう、あなたがどうなろうと知ったことじゃないわ!離して!!」

「……この女……っ!生意気な口ばかりききやがって!!黙って従え!!」

「きゃあっ!」


 私の言葉が逆鱗に触れたらしいヴィントが、今度は私の髪を鷲掴みにした。痛みで思わず悲鳴が漏れた、その時だった。




「何をしている!!」






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