第20話 母の提案(※sideセレオン)

 君のような人ならきっと、良き王太子妃になってくれるのだろうね──────


 謙虚に礼を述べる彼女の姿を見ているうちに、ふいにそんな言葉が口をついて出そうになり、慌ててごまかした。

 ミラベル嬢が私の部屋を辞した後、一人ため息をつく。話せば話すほど、彼女に心惹かれていく自分がいる。


「先ほど何を仰るつもりだったのですか?」

「……。」


 隅に控えていたジーンが、目ざとく突っ込んでくる。無駄だと思いつつもひとまず惚けてみせた。


「……何がだ」

「君のような人ならきっと良き王太子妃になれる、とでも仰りたかったのではないですか?」


 ……相変わらず鋭い奴だ。


「何か問題か?私の婚約者は別にまだ決まったわけではない」

「存じ上げておりますよ。何も問題だとは申しておりません。何をそんなにムキになっておられるのですか?」

「……ふん。嫌な奴だなお前」


 ジーンの目に揶揄するような色が浮かんでいるのを見て、こちらもわざと悪態をつく。


「ですが、そうは簡単にいきませんよ殿下。俺などがわざわざ進言することでもないでしょうが、殿下のご婚約者候補のお二人は、国内で絶大な権力を誇るオルブライト公爵家とウィリス侯爵家のご令嬢。どちらかに決まるのは揺るぎない事実だと、誰もが信じております」

「……よく分かっているさ」


 私と二人でいる時にだけする、少しくだけた口調でそう諭してくるジーンに返事をしながら、憂鬱な気分になる。


「あの二人はなぁ……。どうも倫理観に信用が置けない。果たしてあれが王太子妃の器なのか?美貌や教養、マナーに非の打ち所がないのは理解しているが」


 傲慢で、自分たちの出世のことばかり考えているのが見え見えな彼女らに比べたら、ミラベル嬢の方がどれほど向いていることか。彼女は謙虚で心優しく、努力家だ。下位貴族の出身でありながら、あの見事なまでの美しい所作。高位貴族の令嬢たちにも引けを取らない。


「ところで、王妃陛下がお呼びだそうですよ。手が空いたら顔を出すようにと」


 ジーンは突然この話を切り上げると、私にそう告げた。


「母上が?何か伝言は?」

「いえ、特には聞いておりません。急ぎでもないようでしたが」

「……そうか」


 何だろう。母上は本当に大した用事でもなく、ただ茶をしながら話したいという理由だけでも私を呼び出すからな。


(まぁ、手が空いているうちに行っておくか)


 そう思った私はゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。







「……アリューシャちゃんの教育が随分と捗りはじめたみたいね」

「もうお耳に入っておりますか」


 優雅にティーカップを傾けながら、母は楽しそうに微笑んでいる。このレミーアレン王国の王妃である私の母は、温和でのんびりした性格の人だ。九年前、父にアリューシャという庶子がいることを聞かされ、その娘が突然王宮に現れた時も、特に動じることも激昂することもなかった。まぁ母君がお亡くなりに?それはさぞや心細いでしょうねと、幼いアリューシャのことを気遣っていた。


「ふふ。聞いているわ。一悶着あったそうね。アリューシャちゃんが無事でよかったわ。陛下には報告していないの?」

「ええ、まぁ。今回の件は私の側近たちが解決しましたので伏せております。父上に話せば騒ぎが大きくなることは目に見えていますので」

「そうね。仏頂面の朴念仁だから分かりづらいけど、あれでもあの人なりにアリューシャちゃんのことを気にかけているから」


 母はそう言って上品に笑うと、紅茶のカップをそっと置き、真正面から私を見て尋ねた。


「……それで?どういう方なの?アリューシャちゃんがことのほか懐いているというそのご令嬢は」


 ……やはりミラベル嬢のことが耳に入り、気になっていたのか。

 私は業務連絡でもするかのように、努めて淡々と彼女について話す。


「ミラベル・クルースという名の女性です。西方にあった元クルース子爵領の領主の娘でしたが、子爵夫妻は数年前に事故で亡くなっています。彼女自身はとある伯爵家に嫁いだようですが、不幸な結婚生活だったようです。夫の暴力により負傷していた左耳を、騒ぎを起こしたアリューシャを助けに入った時にさらにひどく痛めてしまったようで、王太子宮に客人として留まってもらい、手当てを受けていただいてます」

「そう……」


 母は静かにそう相づちを打つと、また紅茶を一口飲んだ。


「それは丁重におもてなししなくてはね。ではその方が完全に回復するまで、あなたのところに滞在してもらうことになるのね。アリューシャちゃんはさぞ嬉しいでしょう。優しい方が近くにいてくれて。その方のおかげでアリューシャちゃんのマナーも、随分と身に付いてきたのでしょう?」

「ええ。本当に、彼女には感謝しています」

「じゃあ、そろそろ良さそうね。参加させても。私もその方に会ってみたいし」

「……。何がですか?」


 その言葉に、私は思わず母の顔を見つめる。

 母は楽しそうに微笑んだ。




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