第19話 王太子殿下とのひととき

 座学が苦手と仰っていたわりには、アリューシャ王女の物覚えはかなりいい方だった。

 地理も歴史も語学も、様々な情報と関連付けて覚えやすいように教えればスルスルと吸収していく。この数週間で驚くほど多くの知識を身に付けられた。


「君のおかげでアリューシャが随分と楽しそうだ。しかも勉強の捗り具合が以前とは段違いらしい。アリューシャの教師たちが絶賛していたよ。君には本当に感謝しているよ、ミラベル嬢」


 ある日、セレオン王太子殿下に呼び出されお部屋に伺った時にそんなことを言われた。出された紅茶に口をつけていた私は、それをそっとテーブルに戻し、恐縮しながら答える。


「そ、それはようございました。が……、その、アリューシャ様の先生方は、ご不快な思いをされてはいらっしゃいませんか?いきなりやって来た私が横から勝手に教育に手出しをしているようで……」


 初めはほんの少しだけ、お勉強のコツをお教えするつもりでいた。けれど私と二人で勉強するのをアリューシャ様がことのほか喜び、結局毎日のように私との勉強の時間を取るようになってしまった。先生方には先生方のやり方があるだろうに、私が勝手な真似をしているとお怒りになってはいないかと、最近ヒヤヒヤしていたのだ。

 だけどセレオン殿下は、緩く首を左右に振りながら笑っている。


「むしろ教師陣は君に感謝しているようだよ。正直皆かなり手を焼いていたんだ。いつまで経ってもアリューシャの教育は進まず、本人にもやる気はない。時には座学の時間になるとどこかへ隠れてしまって、侍女たち総出で王宮中を探し回ったりしていたんだ」

「そ、そうだったのですか……」

「だから君のおかげでアリューシャが勉強に前向きになり、講義の時間までに予習や復習を済ませてくれていることに感激していたよ。……あの子は君のことが大好きみたいだ。君が優しいからだろうね」

「そんなことは……。光栄ですわ」


 とんでもなく美しいお顔立ちでこんな風に優しく微笑まれ褒め称えられれば、不慣れな私は挙動不審になるしかない。みっともない態度はとるまいと思ってはいても……、こんな綺麗な目でジッと見つめられると、思わず俯いてしまう。


(……あ、そうだ)


 照れまくって忘れていたけど、ふと思い出した。

 言わなきゃと思っていたことがあったんだった。


「殿下、その……、いつもあんなに素敵なドレスをたくさん、本当にありがとうございます」

「気に入ってくれているかな?君が喜んでくれると嬉しい。今日のドレスも、とてもよく似合っているよ」

「あ、ありがとうございます。……はい。どれもとても素敵で……。ですが、その、こんなに毎日新しいものをいただいてしまうのは、あまりにも申し訳なくて……」


 毎朝侍女の方が「王太子殿下からでございます」と言ってはその日私が着る新しいドレスを持ってきてくれるものだから、お部屋のクローゼットの中は今やドレスだらけだ。実家で暮らしていた時でさえ、こんなにたくさんのドレスは持っていなかった。

 そもそもこんなにたくさん贈られても、ここを出ることになったらどうすればいいのか。私が働きながら一人で暮らせるくらいの部屋は、きっとここのように広くはない。家賃の安いアパートに引っ越したら、いただいたドレスたちで私が埋もれてしまう。


「そんなに遠慮することはないよ。とんでもなく値の張るものを贈っているわけじゃない。それに……、アリューシャの教育の一環でもあると思っているんだ。ほら、大好きな君が美しい装いをしてその優雅な立ち居振る舞いを見せてくれれば、あいつのことだ、きっと自分もミラベル嬢のようになりたいと羨望の眼差しを向けることだろう」

「……そ……そう、でしょうか……」

「そうだよ。だから何も遠慮はいらない。ここで与えられるものは何でも素直に受け取っておくれ。……私の気持ちだ」


 王太子殿下からそこまで言われてしまったら、これ以上否定するわけにはいかない。

 

「……はい。お心遣い、感謝いたします、殿下」


 私の返事に満足したらしいセレオン殿下は、嬉しそうに微笑んだ。……本当にお優しい方だ。こんな方がこの国を担っていくのなら、きっと安泰ね。

 そんなことを考えていると、セレオン殿下がぽつりと言った。


「君は立場や身分に関係なく、誰にでも優しくできる素晴らしい人だよ。貴族の人間は、なかなかそうはできない者も多い。君のような人なら、きっと……、」

「……。……?」

「……いや、……ともかく、いつもありがとう、ミラベル嬢。どうか引き続きゆっくりと過ごしてくれ」

「は、はい。ありがとうございます」


 正直に言うと、もう左耳の調子もだいぶいい。聴力の回復も実感できるし、痛みもほとんどなくなっている。このままいけばあとは放っておいても自然と治りそうなものだけれど……。

 何となくそれを言い出せる雰囲気ではなくて、この日の会話はこれで終わったのだった。






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