第四章

第一話 幕府軍上使、九州到着

「四郎様、四郎様、大変です」


 早朝、新兵衛の忙しない声が響き渡り、私は飛び起きた。どたどたと急を要するような足音が響き渡ってくる。また悪い報告が来たのかと思い、鼓動が早鐘を打ち、胸が苦しくなった。


 どたんっ。


「転んだか?」


「転んだな」


 新兵衛の急報だと思い部屋を飛び出すと、同じく飛び出して来た大蔵と鉢合わせになった。その時、大きな衝突音が鳴り響いた。


 先に進むと廊下で新兵衛が突っ伏していた。


「何をやっとるんだ、お主は、この大うつけ者がっ」


「五月蝿い。それより四郎様大変なんです」


「大変なのはお主の顔だ。鼻血が出ているぞ」


 大蔵は手拭いを取り出すと呆れた様子で新兵衛の顔を拭ってやる。


 手拭いに付いた血を見て情けないような申し訳ないような顔を一瞬したが、直ぐに厳しい表情へと変わった。


「幕府軍上使、板倉重昌が九州に到着しました」


 呆けている場合じゃないんだぞ。と言わんばかりに大蔵の方に首を突き上げそう言った。


「遂に来たか。それでどれくらいの数で来たんだ」


 と聞き返すが、大蔵は新兵衛の仕草が気に入らなかったようで、新兵衛を羽交締めにし持ち上げていた。


 まったくー、話が進まない二人とも真面目にやりなさい。


 私が冷たい視線を向けていると、視線に気づいた二人は恐縮し反省しているような顔をしてきた。


「板倉の手勢は千にも満たないと思いますが、佐賀藩が島原へ熊本藩が天草へそれぞれ三万ほどの手勢で出陣の準備を整えているようです」


 三万か。


 さらに諸藩も加わってくると思われるので、少なくとも四万はこちらに向かって来ると思われるとのことだった。


 四万もか。


「四郎、心配するな、四万ならこっちもそれくらいだろ」


 四万もいるか?と思った。こちらは多めに見積もっても二万ってところだろう。もしかして女、子供も手勢に入れているのか。


「原城に共に籠城している者は皆、手勢だ」


 まあそうなのかもしれないが、都合のいい解釈をしてからに。


 単純に考えると、こちらの倍の兵数が向かってきているということになる。果たして防ぎ切れるであろうか。


「だから心配するなって、富岡の話は聞いているんだろ」


 不安感に包み込まれてしまって、頭を抱え込んでしまった私に大蔵は意気揚々にそう言ってきた。


 天草の戦いでは大蔵のお陰で富岡城城代の三宅重利を、見事、討ち取る事ができた。


 大勝利に士気が高揚した天草の民達は、勢いそのままに富岡城まで押し寄せたそうだ。

 椿の敵討ちをすると心に決めた者、人質を取り戻すためと意気込んだ者を加え、手勢一万二千もの数で富岡城に押し寄せたそうだ。


 富岡城内に残っていて応戦した兵数は千五百ほどだったと聞いている。それにもかかわらず攻めきれなかったとのことだ。


 大蔵が言っていた、城攻めの難しさを体現する形となってしまったのだ。


「十倍近い数でも落とせなかったんだ。四万なんて容易く蹴散らせるよ」


 そうであると良いのだが。大蔵のようにお気楽な考え方をすることは、私にはできなかった。


「どこに行くんだよ」


「風に当たってくる」


 そう言って私は城壁外へと歩を進めた。いずれこの地は幕府軍で溢れかえることになるのだろう。今のところ全く想像する事はできないが、今のうちに周辺を散策しておこうと思った。


 平穏な風が流れている。


 直にこの周辺一帯はゆっくり歩く事もできなくなってしまうのだろう。


 城壁外には沢山の防護柵、土手が造られていて、さらに数を増やすべく人々は奮闘して作業をしているようだった。


 後で大蔵、新兵衛にも手伝うよう言い付けなくてはいけないな。


 柵は大勢が横一列になって突進できなくするのに効果的らしい。列に乱れが生じれば、つけ込む隙ができやすいのだとか。


 私が近づいていくと皆、顔を上げ笑顔で挨拶してくる。皆の表情からは悲壮感は感じられなかった。


 皆、何を考えながら作業を続けているのだろうか。この程度の防護策で幕府軍を撃退できると考えているのだろうか。


「大蔵殿がいち早くこの場に籠城し戦おうと言ってくれたお陰で防備は万全じゃ」


 話しかけてきたのは宗意殿だった。宗意殿は土手造りを指揮していた。土手を登った位置は城壁から狙撃した際に、殺傷能力が出る距離に計算して造られているとのことだ。


「鉄砲に不慣れな者でも土手を登った者、越えて来た者を狙撃するように決めておけば狙いやすいじゃろ」


 なるほど、流石だなと思った。大勢の敵に囲まれて仕舞えば、混乱し状況判断を誤りがちになってしまう。どこを狙ったらいいのか分からなくなってしまうことだろう。狙い所を決めておけば焦ることなく対応できるだろう。


 それに土手を造っておけば下る時、人はどうしても視線が下に向きやすいんだとか、そこに隙ができやすいんだそうだ。

 そして土手を避けようとするとその先には、落とし穴が待っているようにしているのだとか。


 此れ見よがしに造られた落とし穴に、落ちる者などいるのだろうか。甚だ疑問である。


「これでは城壁の前に来るのも一苦労でございますな」


 敵兵が悪戦苦闘している姿を思い浮かべているのだろうか。宗意殿はえらくご機嫌な様子で高笑いしていた。


 もしかしたら宗意殿は大蔵と似て、捻くれた性格をしているのかもしれない。と思った。


「拙者が造った土手を見て恐れをなして、談判を申し出てくれると良いですな」


 流石にそれはないだろう。鋭い目の宗意殿からそんな冗談を聞けるとは思わなかった。私は作り笑いを浮かべながら頭を下げその場を立ち去ることにした。


 北の空から嫌な気配が漂って来たような気がして悪寒が走った。立ち止まり両腕で肩を抱くようにし、北の空を見上げる。


 幕府軍は九州に到着したばかりだ。島原に到着するまで、もう数日かかるであろう。


 島原に到着したらどう動くのであろうか。


 幕府の威厳を保つため、反旗を翻した者には容赦しないだろう。いきなり総攻撃で来るだろうか。その時は持ち堪える事ができるであろうか。


 考え事をしながら歩を進めていると二之丸の前に来ていた。そこでは弓矢を製作しているようだった。

 しかし、驚いた。人丈以上に積み上がった矢の山がいくつもある。この短期間にこれだけの矢をよく拵えたものだ。この場の者達にも頭の下がる思いである。


「四郎様」


 女の人の声がした。


 楓だった。楓は丸い大きな目を見開きこちらを見つめていた。仲の良かった椿の死を受け入れられず、塞ぎ込んでしまっていると聞いていたが、どうやら立ち直ってくれたようだ。


「表敬訪問ですか?」


「まあ、そんなところです」


 吸い込まれてしまいそうな丸い目に、思わず目を逸らしてしまう。何故、動揺していることを隠すように目を逸らしてしまったのか、自分でも分からなかった。


「これだけの数の矢、皆さんだけで拵えたのですか?」


「敵の数は四万と聞いています。一人に三本は浴びせると考えれば、まだまだ足りません」


 一人に三本も浴びせるのか。これまた怨念のこもった言い方だなと思った。切支丹の信者とは思えないような言い草だが、椿のことがあるだけにここは笑って流すことにしよう。


 ふと目に入った楓の手はひび割れ、あかぎれだらけとなっていた。何と痛々しい状況のまま作業を続けているのだろうか。見回すと他の者達も手が赤くなっているようだった。


 楓の手をそっと取ると祈りを捧げた。


 そのまま全員の手を取り祈りを捧げて回った。


「四郎様、私なんかの為に勿体無い」


 皆、同じことを口々に言う。勿体無いのはこちらの方だ。皆の気持ちが本当に勿体無い。


 皆の為にも強くならなければならないと、思い知らされてしまった。

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