第二話 幕府軍上使、軍令を発する
風が冷たさを増し凍えるようになってきた頃、大勢の人の波が押し寄せ原城を取り囲み出した。
人の波はとどまることを知らず、原城前に押し寄せてくる。
永遠に流れは止まらないのではないかと思われるほど次々と現れ、溢れ出してきていた。堰き止めることができず、溢れ出してしまった水のように辺り一体に広がりだしている。
見渡せる風景一面が全て人で覆われていく。人が波のように揺れ動いているような光景を、ただ茫然と眺めていることしかできなかった。
目の前に溢れている人全てが敵なのだ。何か行動を起こさなくてはいけないのだろうが、体が動かなかった、思考が停止してしまった。
雀の上の鷹猫の下の鼠とは今の私のことを言っているのだろう。
「四郎様、四郎様、大変です。幕府軍が現れました」
「分かってるよ。意外と時間掛かったな」
いつものように慌てふためいている新兵衛が現れたと思ったら、大蔵も続いて後から現れ、新兵衛の動きをを制すると押し退けるようにして、私の隣に立ち不敵な笑いを浮かべながらそう言った。
九州に到着したと報告が入ってから十日以上経っていた。ここ数日、毎日のように遅い遅い、まだ来ないのか、と大蔵はやきもきしていた様子だった。
「あまりにも遅いから、途中でおっ死んじまったのかと思ってたし」
「何か色々工作した上での到着なのだろう」
飄々とした大蔵の態度に幾分、気持ちが楽になってきた。
「どうする?」
「取り合えず皆を集めてくれ、皆、不安感でいっぱいだろうから私が奮い立たせる」
一番慄いていたくせに、よく言うよとでも思ったのだろう。大蔵は私の顔に視線を向け、眉毛を少し上げた。
「新兵衛みたいな腰抜けもいるだろうからな」
大蔵は私に気を遣ったのか、私のことは追求せず蔑むような目で新兵衛を見て嘲笑った。
新兵衛は怒った様子になり大蔵に反抗しようとしたが、頭を抑えられ口を閉ざすしかなかった。
新兵衛は大蔵に一蹴され不貞腐れて拗ねてしまっていた。その様子を見て大蔵はさらに鼻で笑っていた。
これこれ、あまり無粋な真似をするではない。
全く緊張感の無い奴等だ。戯れあっている二人をよそに、城を出ると外の様子を見るために皆、我先にと城壁の方へ走り出していた。
「焦ることはない。申し合わせていた通りに持ち場に着き、指示を待ってください」
私はその言葉を何度も何度も繰り返しながら、二之丸の方へ走り出した。私の声を聞いた者達は素直に従ってくれ、持ち場に戻って行く。
「流石、御子様のお言葉には影響力がありますね」
私の後を追いかけて来ていた大蔵が、皮肉混じりにそう言ってきた。大蔵が私のことを皮肉る時はだいたい御子様と呼ぶ。
「大蔵の言うことは誰も聞かないもんな」
私がそう言うと鼻を鳴らしながら反論してきた。聞こえませんと言いたげに、わざとらしく耳を塞ぐと更に大きく鼻を鳴らしてきた。私はお構いなしにそのまま二之丸へ向かって行った。
「蘆塚殿、どのような様子ですか?」
二之丸の守備を任されている蘆塚殿の下に到着すると声をかけた。遠くの細かい動きまで見落とさないように食い入るように、城壁外に目を凝らしていたせいなのか一度目は何も反応がなかった。
もう一度聞き直すと驚いたようにこちらを振り向き、私のことを確認すると頭を下げた。
「三万以上、四万以下ってところでしょうね。手勢はこちらと変わりない数じゃな。あの数なら問題なかろう」
強がっているのか何なのか、蘆塚殿も大蔵と同じ事を言ってきたので思わず笑ってしまった。皆、当たり前のように女、子供も手勢に数える。
私も横に立ち外の様子を窺っていると、騎馬が三騎こちらに走り寄ってきた。
「使者でしょうね。まずはどう動くか拝見しましょう」
「使者が来たぞー、手向かうでないぞーっ」
蘆塚殿は大声で指示を送る。皆、戦などしたことがない。いきなり現れた敵兵に驚き発砲してしまったら、重要な情報を逃してしまうかもしれない。
何度も何度も手向かうなと叫び続けていた。
「某は幕府軍上使、板倉重昌様の使いである」
使者は口上を高々と述べる。
内容は軍勢の狼藉を禁止し女、子供は敵対しない限り殺すことは禁止、投降者は咎めず退城を許すとの軍令を発したとの事だった。
その提案に私は痺れた。
流石は幕府の中枢におられる方だ。話が分かる。藩側の人間は私達のことを人として扱ってくれなかった。
「大蔵、深江村で知り合った老婆様等の下に行って退城するよう説得してくれ」
「お、おう」
やはり幕府軍の上使を任されるようなお方だ。板倉重昌殿は立派な御仁のようだと感じた。
「某は総大将、天草四郎なり、その言葉に二言はないかーっ」
「板倉重昌様は幕府軍上使、板倉重昌様のお言葉は徳川家光公の御言葉そのものであられる」
「蘆塚殿、立派な御仁が来られたようだ。交渉は私がする故、一人でも多くの者に退城するよう説得して下さい」
私の言葉に蘆塚殿はえらく驚いたようだった。
「四郎様、前にも言っていた者がいたと思いますが、四郎様が我々をお救いになるのではなく、我々が四郎様を救いたいのです。投降を希望する者などおりません」
「分かってます。分かってますがお願いします。一人でも多くの者を退城させて下さい」
懇願するように言うと蘆塚殿は渋々ながらも従ってくれた。新兵衛にも一緒に回ってくれとお願いした。新兵衛は弁が立つ、上手く立ち回ってくれるだろう。
「いやー、参った。骨が折れた、骨が折れた」
しばらくすると大蔵が多くのご老人、子供達を引き連れ戻ってきた。だいぶ抵抗されたのだろう、疲労困憊の様子だった。
かなりの面倒ごととなったようだが、それでも私の気持ちを汲んで皆を説得して連れてきてくれたようだ。
やはり大蔵は一番、私の気持ちを汲んでくれる友だ。
「苦労かけたな」
「幕府軍、皆殺しにするより大変な仕事だったよ」
どんな虐殺行為に合うことになっても我々は恐れない。この場に残れば何かしらの役に立つので残る。と言われ何度も押し問答したとか。
最後は必ず交渉を成功させ、無事に事を済ませると約束するから言う事を聞いてくれ。と、懇願して何とか納得させたそうだ。
「俺の言うことは誰も聞かないとか言われたくないからな」
まだ覚えていたのか、結構根にもつ奴だな。
大蔵、蘆塚殿、新兵衛の協力により、当初、四万二千程いた籠城者のうち五千ほど説得に応じさせることができた。
皆の努力に感謝しかない。
「新兵衛、頼みがある。この者達と一緒にお主も退城してはくれぬか」
私がそう伝えるとえらく動揺した様子で、四郎様も私を腰抜けだと思ってのお言葉ですか。私などいても仕方がないからそう言うのですか。と、散々抵抗された。
「そうではない。新兵衛は弁が立ち、頭の回転が速い。この者達だけを外に出すのは心許ない。新兵衛が付いて行ってくれるとなれば私も安心できる」
「楓にこの役目をお願いしたのだが、首を縦に振ってくれぬ。頼れるのはお主だけだ。やってくれぬか?」
「分かりました」
かなり思案した様子だったが最後は首を縦に振ってくれ、多くのご老人、子供達と共に新兵衛は城を後にすることになった。
「大蔵も生きて必ず退城するんだぞ」
「何だよ、いきなり」
退城者を見送りながら掛けられた言葉にいつも以上に驚いた様子だった。
「お主、老婆様と約束したと言ったではないか、もし破ったら嘘をついた罪で舌を抜き取られるぞ」
「えーっ、そ、そうなの?」
意地悪くそう言ってやるとこれまた大袈裟なくらいに驚いて見せた。大蔵の様子を見た城内の者達に笑いが広がる。
私はその様子に目を細める。
このまま無事、笑顔のままで事が運べば良いのだが。
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