第十話 動きがない島原兵

 風が変わったような気がした。


 煙と焦げた匂いが混じり合い、淀んでいた風が急に爽やかになったような気がする。


 原因を探るように辺りを見渡していると、先程まで絶え間なく鳴り響いていた破裂音が止まっていることに気づいた。


 島原兵がいる方角が妙に静まり返っている。急にどうしたのだろうか。


 敵の様子を探ろうと聞き耳を立てていると、大蔵が舌で音を鳴らし始めた。こっちはこっちで急にどうしたのだろうか。


 今まで無数に鳴り響いていた破裂音がなくなり、音や声が通りやすくなっている。何をしているのかと思い、大蔵の顔を覗き込むと一点を見つめ舌鼓を打っていた。

 私もそちらに目を向けると一頭の馬がこちらに向かって来ていた。ここまで私達を連れて来てくれたあの馬だ。片方の足を庇うように跳ねながら近づいてくる。


「四郎、あの馬治せるか?」


 そういうことか。相性の良い馬だった。帰りもいてくれると助かる。


「勿論だ」


 患部に手を当て矢を抜き、傷口を塞いでやると元のように足をつけるようになった。この程度の治療であれば造作もない。

 私が治療してくれたと分かっているのだろうか、首を曲げ顔を擦り寄せ、甘えるような仕草をしてくる。

 

 可愛い奴だ、癒されるひと時となった。


 しばらく馬と戯れ合っていると、先程まで近くにいたはずの大蔵の姿が見えなくなっているのに気が付いた。

 周辺を探すように目を凝らす、すると少し離れた場所から歩いて来ているのが見えた。三頭の馬を引き連れて歩いて来ている。


「俺は動物に慕われやすいんだ」


 三頭の馬に繋がれている手綱を得意げに掲げると、勝ち誇ったような笑顔を向けそう言ってきた。

 先程の武者達が跨っていた馬だろう。一体どんな方法を使って手懐けたのだろうか。妙に大蔵に懐いているような仕草をしている。


 先程まで敵だった馬を手懐けたのだ。それはまあそんな顔になるよな。


「逃げる時、いてくれたら助かるだろ」


 確かにそうだが大蔵の笑顔は、私に懐いている馬は一頭、俺は三頭も懐いているんだぞ。と言っている気がして何だか鼻についた。


 再び風がすり抜けていった。今度は人の淀んだ感情が綯い交ぜになっているような風だった。不安感とか恐怖感とか悲壮感などが混じり合っているように感じた。


 向こうの陣営が騒めき始めていた。


 見張りの者から鏑矢が飛び、なんらかの合図が送られていたのは確かだ。我々の存在に気付いたのかもしれない。


 島原兵側に何か動きがありそうだ。偵察隊が出て見張りの者達が惨殺されていることに気づいてしまったら厄介だ。村に急ぐべきだと思い馬に跨った。


「先程は痛い思いをさせ、申し訳なかった。次は気をつける故、許されよ」


 馬に声をかけ首の辺りを撫でてやる。私の言葉が分かったのだろうか、威勢よく鳴き声を上げた。

 

 これこれ、こちらの位置を気取られてしまうではないか。


 大蔵は一頭に跨り二頭の手綱を器用に引いて、もう既に先に進んでいた。私も急いで後を追いかける。


 村に到着すると馬が流れ弾で怪我をしないように、適度な小屋を探しその中に入れる。戸板を重ね防護壁を作ってから屋敷の方角へ向かうことにした。


「よし、これで大丈夫だろう」


 丈夫そうな戸板を並べ終えると大蔵が身を屈めるような仕草をし、私にもそうするよう促してきた。

 先程来た方角を注視している。私も注視し物音を立てないよう、気配を消すように心掛ける。


 数名の人影が見えてきた。


 先程まで私達が居た場所で止まった。見張りの者の遺体を見つけたのだろう。しきりにあたりを見渡しながら、怒鳴り声交じりに何か言い合っている。


 気配を殺し引き続き様子を見ていると、本隊の方へ引き返していった。


「用心深い奴等だな。何人かこっちに来るかと思ったが、全員で戻って行きやがった」


 雨は完全に上がっているが地面はまだぬかるんでいる。私達や馬の足跡が村の方角へ続いていることくらい気付いたことだろう。


 十名いた見張りの者が皆、斬り伏せられているのだから只事ではないと思ったはず、本体を連れて戻ってくる前に動いた方がよさそうだ。


 銃声も収まっている。この機に乗じ走り抜ける。周辺の動きに十分注意しながら、家づたいに屋敷へ近づいて行った。


「意外と順調にこれたな」


 拍子抜けしてしまった。何の妨害も受けることもなく、屋敷まで通り一本のところまで簡単に近づく事ができた。

 順調過ぎるだけに逆に不気味に思ったのだろうか、大蔵は眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。


 先ほどと同じように島原兵側からは騒めいている感じはあるが、銃を撃ち込んでくるような気配はない。


「奴等弾切れか?」


 そうだと良いのだがそうではないだろう。


 今頃は本隊にも見張りの侍が惨殺されていた事が伝わった頃だろう。敵の正体が不明で疑心暗鬼になっているのだろうか。今のところ敵は大きな動きを見せてこようとしないでいる。


 動かないなら好都合だ。


「こりゃー、酷い、中の奴等無事でいられるのかよ」


 屋敷は無数の銃弾を浴び綻びだらけになっていて、見るも無惨な状態となっていた。中の住人の安否が気にかかる。


 屋敷からは人の気配が感じられない。皆、無事でいるのだろうか。


 時々反撃の銃声が響いていたので生き残っている者がいるのは間違いないが、周りの家々は破壊され尽くされ、目と鼻の先のところにまで敵兵が近づいてきている状態だった。あの数に一気に攻め込まれてしまえばひとたまりもないだろう。


 このままではいずれ中の住人は皆殺しになってしまう。


「敵の動きが止まっている今が好機だ」


 一気に通りを駆け抜けようと大蔵を促すと、大蔵は私の動きを制するように肩に手を置いてきた。


「不用意に近づけば敵と間違えられ、銃撃を受けるかもしれないぞ。俺の着物を着ていることを忘れるな」


 そうだった、確かにその危険性はある。この姿のまま向かえば屋敷から銃撃されてしまうかもしれない。私の着物は血だらけで原型を留めてない。


 どうしたものかと思い、何か使えそうな物はないかと家探しする。


「おい、天の御子様が略奪行為かよ」


「そうではない。大蔵も墨が無いか探してくれ」


「墨?そんな物どうするんだよ」


「文を投げる」


 援護に来たことを伝えられれば安全に屋敷内に入れることだろう。そう思った。

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