第九話 まだ死ぬ訳にはいかぬ

 大蔵のあまりの剣幕に勢い余って走り出してしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。

 後悔の念が湧いてくる。大蔵一人を死地に留め私は逃げ果せる。大蔵一人救えないのに私は天の御子と名乗っても良いのだろうか。


「可笑しいなー、可笑しいなー」


 不気味な気配が湧き上がり、背筋が凍るような低く暗い声に私は思わず立ち止まってしまった。


「可笑しいなー、可笑しいと思わないか、大将が死地に留まり、従者を庇い逃すだろうか、可笑しいよなー」


 口角を上げ口元だけで笑い、蔑むような目でこちらを見据えてきた。黒目が上に偏った異様な形相の三白眼をした、鎧を纏った男が目の前に立ち塞がる。


 不味い。私達の企てが見透かされている。


 薄笑いを浮かべたままゆっくり刀を抜くと、足元を確かめるように地面を強く踏みしめた。


 目の前に立つ敵の不気味な気配に気圧されし、後退りしながら刀を抜き、構え相手の様子を伺う。


 次の瞬間、何かが煌めいたような気がし私は尻餅をついてしまった。


 今まで右手だけで持っていた刀が、いつの間にか左手が掛けられ下段構えになっていて刃が左手側を向いている。


 見えなかった。


 全く刀の動きを捉えることができなかった。これが本当の侍が振るう剣術だというのだろうか。


 瞬時に左手を柄に掛け薙ぎ払ったのだろう。私が臆病風を吹かせ尻餅をつかなければ、斬られてしまっていたことだろう。

 私一人で何とかなるような相手ではない。しかしまだここで死ぬ訳にはいかない。


 滅茶苦茶に刀を振り回しながら立ち上がり、刀を正眼に構えた。私のその姿を見て無様だと思ったのだろう。侍はせせら笑っていた。

 悔しいが仕方がない。無様だと思われようが何だろうがどうでもいい。まだ戦は始まったばかりだ。ここで早々に離脱する訳にはいかない。


 男の動きに注意しながら目を左右に動かし逃れる方法を探した。


「男たる者、真っ向勝負せぬか」


 私の動きを見てずぶの素人とでも思っているのだろう。悠然と構え刀を左右に振りながら、そう挑発してくる。


「貴様ーっ、どなた様に刃を向けているのか、分かっているのかー」


 大蔵の声。と思い、振り向こうとした瞬間、視界が塞がれたように暗くなった。


 いつの間に現れたのだろう。私と侍の間に大蔵が割って入ってきて立ち塞がった。今までせせら笑っていた侍の表情が強張り、距離を置くように後退りする。


 侍からは大蔵はどのように見えているのだろうか。表情はどんどん青ざめていき、一歩、また一歩と後退して行く。


 歯を強く噛み締めている音なのだろうか、ぎりぎりと聞こえてくる。背後から見ても全身に怒りが満ち溢れているように思えた。

 大蔵の登場で形勢は一気に逆転してしまった。今度は侍の方が目を左右に動かし逃れる方法を探しているようだった。


「貴様など斬り刻んで、魚の餌にしてやるわっ」


 大蔵がそう言って一歩踏み出すと、侍は覚悟を決めたのか刀を振り上げた。


 と、思ったが、侍が刀を振り上げる前に首と胴は切り離されていた。それだけではなく両腕も吹き飛ばされていた。


 見えなかった。


 大蔵がいつ斬り込んだのか分からなかった。状況だけ見て考えると、侍が刀を振り上げようとした時に、大蔵が斬り込んで、腕ごと首を斬り飛ばしてしまったという事なのだろう。


 無惨にも首と刀を持ったままの両手首が転がっている。


 何という腕前なのだろうか。人の体をこうもあっさり斬り飛ばせるものなのだろうか。改めて大蔵の力量を認識させられた瞬間だった。


「四郎、無事か」


 先程までとは一転して優しい表情を向けてくる。


「私は無事だ。それよりお主、血だらけではないか」


 私の言葉に大蔵は困惑の表情を見せ、自分の体を見渡し出す。


「これは俺の血じゃないから大丈夫だ」


 自分の体を一通り見渡した後、そう言った。


 俺の血じゃない。私が侍と対峙してから刹那ほども経っていないというのに大蔵は現れた。

 私に走れと言ってから直ぐに追いかけてきて、この場に現れたのかと思ったのだが、違ったのだろうか。


 私が侍と対峙していた間に九名ほどいた侍を斬り伏せ、この場に現れたというのだろうか。


 信じられん。


 確かに大蔵は私が半日をかけ上り下りする山を、一刻足らずで上り下りしてしまっていた。そのせいで私達は毎日のように同じ泉に通っていたというのに顔を合わせる事がなかった。


 大蔵の潜在能力の高さには驚きを隠せない。


「不味いなー、これ落ちるかなー、四郎の着物汚してしまったよ。怒られるかなー」


 気まずそうな表情をしながら私と交換した着物を見回していた。


 命が無事なんだ、そんなもの汚したところでどうという事はない。先程まで近寄り難いくらいの気迫を見せていたのだが、その言葉に一気に親近感を覚えてしまった。


「ふふふ。それはきっと切腹ものだね」


「うげっ、じょ、冗談だろっ」


 予想を超えるほどに大きく目を見開いた驚きの表情を見せ、お手上げの時のような仕草で両腕を挙げた。過剰なまでの反応を見せてきたので、思わず笑ってしまった。


「大丈夫だ、心配するな。替えはいくらでもある」


 父上が旗印の為に目立つように派手目に作った着物。特別に誂えさせた着物だが、まあ何とかなるだろう。


「そ、そうなのか。な、何だよ。驚かすなよ」


 私の言葉に大蔵は安堵の表情を見せ胸を撫で下ろしていた。大袈裟とも思えるような反応に、どうりで大人達に揶揄われやすい性格だなと思った。


「大蔵、辱い、助かった」


「お、おぅ、無事で良かったよ」


 照れくさそうに笑っていた。大蔵のお陰で何とか窮地を脱する事ができた。今のところ周りに敵兵は見当たらない。


「村へ急ごう」

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