第八話 大親友
その日も私は泉を訪れていた。昨日の密談の光景が頭に浮かんでくる。
大人達は皆、大蔵の案に唸り声を上げていた。
一斉蜂起する。といっても指導者側の立場としては蜂起した後のことも考えていなくてはならない。
そこで伴天連の後ろ盾を得て幕府と交渉するということになっていたのだが、大蔵の意見は違っていた。
当てになるかどうか分からないものに頼るのではなく、初めから自分達のみで戦うことを考えましょう。
幕府軍を誘い出し城の防御能力を使い幕府軍を撃退し、有利な状況を作って交渉をする。誘いに乗ってこなかったら我々の為の国を作ってしまいましょう。
大人達の驚いている表情が今でも忘れられない。
しかも大蔵の案はそれだけではなかった。
「今年は日照りに強い作物を植えるべきだ」
豊作になれば高まっている機運は一気に沈静化する。
戦など起こしたくないと思っている私の気持ちを汲んで、そんな提案をしてきてくれた。
本当に不思議な奴だ。私からすると君の方こそ御子様なんじゃないかと思える。君の前では私は無力だ。
私に何か出来る。
戦うとは決めたものの戦わずに済むのが一番いい。島原、天草地域の村々を回り同志を募る時間は許された。
まだ猶予はある。今の私に出来ることは、実りの秋を迎えるまで皆の動きを自制させることだ。
春風に煽られさざ波の起こる水面を呆然と眺めていた。全て凶作が悪い。今年、豊作にさえなってくれれば、人々の心は平穏を取り戻してくれるかもしれない。
私に作物を実らせる力があったのならば、苦労はなかっただろうに。遠くの物を取り寄せる力があっても、水の上を歩ける力があっても、病を治す力があっても人々を飢えから救う事はできない。
「おーーい。四郎ー、やっぱり来ていたのか」
泉を眺めていると、大蔵が手を大きく振りながら駆け寄ってきた。脇に何か戸板のような物を抱えている。
「大蔵、それは何だい?」
私が不思議そうに覗き込みながら脇に抱える板を指差すと、得意げな顔をしながら板を見せつけてきた。
何やらその戸板は空色に染め上げられているようだった。その板をゆっくり水面に置く。
「いいか見てろよ」
そう言うと大蔵は水面に浮かんでいる板の上にゆっくり足を乗せる。初めは不安定にゆらゆら揺れていたが次第に安定していく。
板は大蔵の重みで少し沈み見えなくなっていて、あたかも水面の上に立っているように見えていた。
「これはな伴天連の手妻師とかいう奇術使いがやっている芸の一つなんだ」
その芸がなんだというのだろうか。私がしている事は自分にでも出来るのだぞとでも言いたいのだろうか。一体何がしたいのだろうか。
「要するに四郎に力が無くなったらこれを使えばいいって事だよ」
私は思わず吹き出してしまった。今更私が水面を歩けようが歩けまいが変わらないではないか。
私に力が無くなったとしてもこの芸を使えば大丈夫だ。と言いたいのだろうが、それは完全に的外れだ。
「君が大人達を煽り立て、やる気にさせてしまったではないか。そんなことではもう戦は止まらぬ」
「えっ、そうなの?」
私の反応が想定していたものと違っていたのだろう。気抜けした表情になり唖然としていた。
ただ大蔵の行為に私は胸を熱くしてしまった。今まで私にそんなことをしてくれた者などいなかった。
私は皆に何かと頼りにされてしまい、その期待に応えようと必死で生きてきた。その重圧に耐えきれなくなってしまったことも何度もあった。
でも大蔵は他にも方法はいくらでもあると提案してきたのだ。私が悩み悲しむ姿を見て、何か力になれないかと提案してきてくれたのだ。
大蔵はいつも私に寄り添おうとしてくれる。
「今度はどうしたんだよ。なんで泣いてるんだよ。的外れすぎて泣くほど面白かったのか?」
賢い大蔵のことだ、言葉ではああ言っているが私が思わず涙してしまった理由を察しているのだろう。戸板の上で奇怪な動きをしてみせてきた。
危ないから止めておけと言っても聞かず、おちゃらけてみせてくる。
揺れは徐々に大きくなっていき、平衡を保っていた足元が崩れひっくり返ってしまった。
大きな飛沫を上げ泉の中に落ちてしまった。慌てた様子で水面に顔を出すと手足を忙しなく動かし岸へ這い上がってくる。
「あはははは、何をやっているんだ君は」
「笑い事じゃねーよ、ひゃー、冷たい、冷たい」
先日、大人達を説得してみせた者と同一人物とは思えない程の滑稽な姿だった。
「四郎が力が無くなってもあるように振る舞っていれば、戦になることはないと言ってたからやったんだろ。笑うなよ」
笑い続ける私に拗ねた感じで言ってきた。
そして森の中へ駆け込んで行くと、枯れ枝を集め火を起こし震えながら着物を脱ぎ、火に手をかざし出す。
「寒い、寒い、凍え死んでしまう」
私はその滑稽な様に、また大声を出し笑ってしまった。生まれて初めてこんなに笑った気がする。
「だから、笑うなって」
本当に不思議な奴だ。
火の勢いが増すように枝を拾い集め次々と焚べる。体が暖まってきたのか大蔵の表情は徐々に和んできた。
私は向かい側に腰掛け表情を覗き込んだ。相変わらず透き通るような目をしている。
見続けていると火の光に照らされ透き通るような目の奥に、悲壮感が浮き上がってきた。大蔵も心痛を隠しながら生きているのだろう。忘れていた。
今この時代に心に傷を負っていない者などいないのかもしれない。重税、弾圧、凶作、避けることのできない『わざわい』が続いている。
「大蔵、君は私より苦難を抱えているというのに、何故、私を元気づけようとしてくれるのだ」
私の問いに大きく目を見開いたあと、煙が目に入り滲みてしまったのか目を強く瞑り顔を伏せ目を手で覆った。
「分からぬ」
意外な返答が返ってきた。人助けをするのに理由が必要なのかよとか言われると思ったが全く違っていた。
「俺は四郎のように、この世の全ての人の幸せを願ってはいない。ただ自分の周りにいる人が悲しんでいる姿を見るのが嫌なだけだ」
大蔵らしい答えだと思った。
「私はこの先どのようにすれば良いと思う?」
こんな事を聞かれても困ってしまうだけだとは思ったが、聞かずにはいられなかった。大蔵なら何か答えを出してくれるかもしれないと期待してしまった。
「分からぬ。全ての人を救うなど無理だ。俺と同じようにすれば良い」
「それはどういう意味だ?」
「身を投げ打つことで死して天の楽園に行けると思っているのなら、思う通りにさせてやれば良いんじゃねーの」
それも大蔵らしい答えだなと思った。
死は全ての終わりではない。
皆が希望する方向へ導くことこそ、救済なのかもしれない。
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