第五話 共に戦おう
「大蔵、君は一体何をそんなに憂いているんだい?」
俺の村に起こった事をどうやって切り出そうか迷っていた時、四郎からそう切り出してきてくれた。
不意に掛けられた言葉に驚き、四郎に視線を向けると俺の目の奥を見通すように覗き込んできていた。
俺の心はどうやら見透かされていたらしい。
「すまぬ」
俺の話を聞き終わった後、四郎は表情を曇らせながら、一言だけその言葉を発した。
「何故、四郎が謝る」
「私は皆と変わりない普通の人間だと思っているが、周りの人達は私を特別な存在だと思い込んでいる。だから特別な存在であり続けようと努力している」
そう前置きすると四郎は胸の辺りにある、首から下げている十字の物を強く握りしめた。唇を強く噛み締め、眉間に皺を寄せ悲しげな表情をこちらに向けてきた。
察しのいい四郎のことだ、俺の下手くそな説明でも全てを理解したのだろう。しかし四郎が謝るような理由はどこにもない。
四郎は何か聞き取れないような言葉を発しだした。
右手を出すと額に触れ、次に胸の辺りに触れる。そして左肩、右肩と触れ最後に胸の前で指を組み合わせるとまた聞いたことのない言葉を発した。
目を瞑り一筋の涙を流す。
俺は突風に煽られたかのような感じになり後退りし、後の大木に叩きつけられた。
叩きつけられたのに、体からは不思議と痛みを感じることはなかった。が、胸が締め付けられているような感じになった。
口から吸い込んだ風が体の中で渦を巻き、中を搾り上げているような感覚だった。鳥肌が全身を駆け巡りひと時の間、消えることはなかった。
立っていることができず、その場にへたり込む。
今の衝撃はなんだったのだろうか。
「もしまた大人達が食事を拒否するようなことがあったのなら、私を呼んでくれ。私ならその状況を打開する事ができるかもしれない」
四郎と初めて出会った時と同じだった。全ての物の色味が強くなって見える。全てが輝いて見えた。
これが四郎の力なのだろうか。
四郎は自分のこの不思議な力を受け入れ、人々にとって特別な存在であり続けようと努力している。
切支丹信仰の御子として特別な存在であり続けようと努力し続けている。だから私ならきっと説得出来ると言ってきた。
説得できるどころか、そりゃー、皆、ひれ伏してしまうよ。そう思った。
「私は御子としてあり続けるために、水面を歩く鍛錬をしている」
俺に手を差し伸べ立たせると、水面を見ながらそう言ってきた。
それだ、俺はそれが知りたかった。水面を歩く事と、御子としてあり続ける事、戦にならないようにする事は何の関係があるのだろうか。
「私が水面を歩けなくなれば、戦が起きるかも知れぬ」
「前もそんなこと言っていたよな。水面を歩く事と、戦が起こる事は関係があるのかい?」
俺の問いに四郎の瞳が西日を浴びて、より強く赤みを帯びて輝き出す。
「大蔵、切支丹弾圧が苛烈を極めていることは聞き及んでいるかい?」
聞いている。人道とは思えぬような取り締まりをしていることを。我が村に食糧を運んできている宣教師も、ただ宣教師という理由だけで処刑されてしまうことも知っている。
切支丹を信仰しているというだけで炙り籠に放り込まれたり、雲仙の火口に蹴り飛ばされたりしているとか。
だから、村の大人達は切支丹信仰を捨てた。切支丹信仰を捨てざるを得なかったのだ。
「先日、幼子が切支丹信仰を捨てないという理由で、指を切り落とされ、海に投げ捨てられた」
「なんだって」
人の所業とは思えない。
俺には切支丹を信仰している者が悪い人間には見えない。何故そこまでして禁止しなければいけないのか理解ができない。
四郎に逢えば心の中に湧き上がった、幕府への憎悪が消えるのではないかと思っていた。思っていたから山に登り、四郎に逢いたいと思った。
これでは逆ではないか、幕府に対する憎悪が益々大きく燃え上がることになってしまったではないか。
「私の周りの者達は我慢の限界を超えてしまった」
当たり前だろ。そんなこと出来る奴等を許せるはずがない。許しておけるはずがない。
「それでも戦はならぬ。人同士が殺し合いをするなどあってはならぬ」
そうかも知れないが、殺らねば殺られるだけになってしまうではないか。
「だから私はここを訪れておる。ここに来ると何か妙案が浮かぶような気がしてここを訪れておる」
俺と同じだ。四郎もこの場所に何か不思議な力を感じているのかも知れない。
「私の不思議な力は年々弱くなってきている。だから大人達は私に力があるうちに戦を起こそうとしている」
「私は何か良い方法はないかとこの場所を訪れ、考えを巡らし、力がなくならぬよう、人目につかないこの場所で鍛錬を続けておる」
そういうことだったのか。
宣教師の奴といい、四郎といい切支丹を信仰している者達はどうしてこんなにもお人好しな者が多いのだろうか。
迫害されても慈悲の心を忘れない。
前非を悔いて天罰を甘んじて受け入れる。
そして今は戦を止めようと努力している者がいる。
俺は憎悪の炎を燃やし全てを破壊しようとしているというのに、四郎は苛烈な弾圧を受けてもなお、救いの道を模索している。
「四郎、戦おう」
俺の言葉に驚きの表情を向け、見据えてくる。私の言葉をちゃんと聞いていたのかと言いたげな表情に見えた。しかし何も考えずに発した訳ではない。
「人を殺すことだけが戦ではない。戦わなければ被害者が増えるだけだ。だから戦おう」
四郎に戦うことを提案しようとした時には、心の中に湧き上がっていた憎悪は消えていた。四郎の清らかな心に触れ、憎悪は消え去っていた。
やはり逢いに来て良かった。幕府の奴等をいくら殺したところで何も変わらない。幕府の考え方が変わらない限り何も変わらないだろう。
「俺の考えを聞いてくれ、犠牲者は出てしまうだろうが、それでもやらないよりはやった方がいいと思う」
四郎を、切支丹の者達を守りたいと思った。
敵を殺すためではなく、共に生きるために戦おう。
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