第四話 禁教令に対する増悪
「父上様、母上様、大人達は何故に宣教師の施しを頑なに拒否されるのか、お教え願います」
居間で改まって座し、頭を垂れ懇願した。
切支丹の事や宣教師の事などを問うと『子供のお前には関係のない事じゃ』と叱責されていた。
だから、関わらないようにしていた。
四郎にもう一度会う前に正確な理由が知りたかった。そこに切支丹とはどういう存在なのかを知る手がかりがあるのではないかと思った。
父上、母上はしばらく見つめ合った後、母上は軽く頷いた。それを見た父上は口を一文字に結び、難しい表情をしながら自分の前に座し見据えるような視線を送ってきた。
昔、切支丹禁教令が出るまで宣教師の方はこの村に何人か普通に滞在し、共に暮らしていたそうだ。
宣教師の方々は豊富な知識を持ち、村人達が平穏な暮らしをできるように食の安定化を図ってくれたそうだ。
作物が豊かに育つよう水路を整え、作物の種まきの時期を明確にし豊作をもたらしてくれた。
体調がすぐれない者がいれば、医術というものを用い献身的に看病する。その存在は有り難がられ、近隣の村々からも頼って来る者も大勢いたそうだ。
それなのに切支丹禁教令が出て、取り締まりが厳しくなると村人は宣教師への態度を一変させた。
暴力的な方法で村から追い出そうとし、奨励金欲しさに隠れ家を密告する者までいた。
そんな邪険な扱いを村人はしてしまったというのに、宣教師は村の窮状を知ると人目を忍んで食糧を運んできてくれていたというのだ。
役人に見つかってしまったらどんな制裁を受けるかも分からないというのにだ。
爺様や大人達はそんな出来事があったために、宣教師からの施しを受けようとしなかったそうだ。
神への冒涜が我々に天罰を下した。
運命に従順すべきだと考えていた。
「でうす様の慈悲深い御心は、あなた方の行いを咎めてはおりません。どうか今は食事をし、生きながらえて下さい」
宣教師のその言葉はかえって大人達の意志を確固たるものにしてしまう。
慈悲深い御心で知識を与え豊作をもたらし、病に臥せた者を献身的に看病する。そんな施しをしてくれた者を村人は役人の暴力に屈し、金欲しさに裏切った。
それなのに全てを許し、自分の身の危険を顧みず食糧を運んでくる。
「お主は道を違うではないぞ」
爺様の最後の言葉が心を貫く。
切支丹の教えは我々に慈愛を与えてくださったというのに、自分の身可愛さゆえに裏切った。
裏切ったから天罰が下った。裏切り者は施しを受けるべきではないと爺様や大人達は考えたのだろう。
父上はそう語ってくれた。
何となく聞いていた事だったが、父上の口から語られる真実は、想像を絶するものだった。
子供の俺に大人達が語るのを躊躇うはずだ。こんな事実、受け止められる訳がない。
どんな思いで、宣教師と生活していたのだろう。
どんな思いで、宣教師を追い立ててしまったのだろう。
禁教令がなければ。
凶作がなければ。
しかし、凶作は天罰だったとしても禁教令は違うのではないか。お上が禁教令など言い出さなければ、こんなことにならなかったのではないか。
俺は切支丹ではない。爺様達のような慈悲深い御心は持ち合わせてはいない。禁教令などを出した幕府の奴等に憎悪の感情を燃え上がらせた。
翌日、昼過ぎ時にまた山を登った。
四郎。不思議な奴だった。一緒にいると何故か心が落ち着く。また逢いたい。そう思って山を登った。
自分の心に湧き上がった感情が、正しくないものだということは分かっている。分かっているが衝動を抑えられない。四郎に逢えば何か妙案を思い付くはず。そう思った。
泉に到着すると大木に身を預け腰を下ろした。まだ四郎は来ていないらしい。水面を無心で眺めているといつの間にか陽が天高く登っていた。
昼過ぎ時に出発したと思ったのだが、もしかしたら昼前に出発してしまっていたのかもしれない。
我が家はせっかち者が多い。それ故、全ての物事を早く終わらせようとする。忘れていた。
四郎が訪れるまで、まだ時がありそうだ。
前回四郎に会った後、すぐに村に帰ると今年は日照りに強い作物の種を蒔くように村中に進言して回った。
初めは半信半疑で俺の話を聞いていた村人達だったが、熱心に説得を続けていると一人、また一人と賛同する者が増えていった。
今年は必ず豊作にしてみせる。
禁教令が出て村人達の心が満たされていなくても、豊作なら腹を満たす事ができる。腹一杯なら心にも余裕ができるはず。
そんな考え事をしながら時を過ごしていると少年が現れた。四郎だった。四郎は俺の存在にまるで気が付いていないようで真っ直ぐ泉に向かって歩いて行く。
四郎は淵から数歩進んでは沈み、泳いで戻り、また数歩進んでは沈み、泳いで戻るを繰り返している。
いつもこんな事をしていたのだろうか。俺はその様を声を掛けるのも忘れ、呆けたように見ていた。
水面を歩けるはずがない。今の姿が本来の姿なのだろう。数歩歩けるだけでも奇跡的な姿と思えるが、四郎は何故に水面を歩くことに拘っているのだろうか。
そういえば、私にこの力が無くなってしまえば戦になってしまう。そう言っていた。どういう意味なのだろうかと気になっていた。気になっていたからまた逢いたいと思ってここに来た。
聞きたいことが沢山ある。
そう思いながら呆けたように眺めていた。しかし、眺め続けているうちにまた別の疑問が浮かんできた。
数歩進むと沈み、泳いで戻っている。なぜすぐ水面に上がらずに泳いで戻っているのだろうか。
この時期の泉は雪解け水のため凍てつくような冷たさだ。前回身をもって経験している。一度浸かってしまえば凍えてしまうほどだろう。なのに四郎は何度も何度も繰り返している。
よく見ると四郎の着物は濡れていないようだった。
「四郎、泉の中に落ちてなかったかい?」
「えっ」
やはり俺の存在に全く気が付いていなかったようだ。急に聞こえてきた声に驚いた表情を見せたが、俺だと分かると表情が緩み安心したような表情へと変わった。
「鍛錬しに来ていると言っただろ」
俺の質問の意味はそういうことではない。水面の上を歩けるなど常識では考えられないことだ。歩けなくて当然なのだから、歩くことを鍛錬すること自体考えられないことだ。
「いや、そうじゃなくて泉に落ちたのに何故、四郎の着物は濡れてないんだい?」
改めてそう問い直すと四郎は首を横に振り、分からないとだけ答えた。この不思議な力は自分でも理解できてないし、どうやったら使いこなせるのかも分からないのだそうだ。
大人達はこの力のことを『奇跡』と呼び片付ける。
「自分では普通の人だと思っているが、周りの人達はそれを認めてはくれない」
当然だろう。人は水面を歩くなんてことできる訳ないのだから。それに水に入っても濡れないなど考えられない。やっぱり四郎は天使様なんじゃないのだろうか。
「そんな目で見るのは止めてくれ」
四郎は俺の視線が不愉快だったらしい。もうこのことはどうでもいい。四郎は四郎なんだから問題ないと片付けることにした。
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