第三話 大蔵との出会い

「君は大蔵と申すのか」


 泉で出会った少年、不思議な少年だった。また会いたいと思った。


 私が近づくと平伏していた頭を上げる。額は泥だらけになっていた。袖口で拭ってやろうとすると。


「着物が汚れてしまいます。勿体のうございます」


 そう言ってきた。


「私だって転ぶ時はある。袖口が汚れることなど何とも思わぬ」


 私の事を人だとは思っていなかったようだった。


 私の名は四郎、天草で生まれ育った。


 私の父上は昔、大きな城もちに使える立派な武士だったそうだ。ただ日ノ国を二分する大きな戦が起こった際に負けてしまい、国を追われることとなってしまったとのことだ。


 国を追われ飢えに苦しんでいる際に切支丹の教えを知り、その救済というもののお陰で今があるとのことだった。


 切支丹の教えを広める者を宣教師というらしい。宣教師は人の心理を説き万物を愛し、万物に愛を与えよという。そのお陰で父上のようなどこの馬の骨か分からない者でも村に迎え、慈悲を与えてくれた。


 父上はその教えに大変感涙し、この村の人達と共に生きて行くことを決めたのだそうだ。ただ切支丹を信仰することは今の幕府下の時代では大変生きづらく苦労が多かった。


 幕府は切支丹禁教令を出している。きっと切支丹の教えが尊いものだから自分等の威厳が無くなってしまうとでも思っているのだろう。


 切支丹を信仰しているというだけで、残忍な方法で処刑されてしまう。全くもって遺憾な話だ。


 伴天連の宣教師は追放される前にこう言っていた。

 

「我が主、でうす様を信じ敬愛すれば如何なる罪人も救われ、天国に行くことが出来る。だが信仰を失ったものは、でうす様により地獄に落とされる」


「今は不浄の時代だが、必ずこの地に御子様が舞い降りられ、数々の奇跡を起こすだろう」


 それが私のようだ。


 実際私は数々の奇跡と呼べるようなことを成し遂げてきた。


 動かなくなってしまった足に、手を触れると足が動くようになり、重い病気で死の淵に臥せていた者を目覚めさせ、元のような生活を送れるようにもした。


 多くの人達が私の力を慕い頼ることとなっていた。


 多くの人達が私の事を奇跡の子だと崇めた。


 水面の上を、地面の上を走り回っているかのように走ったりもしたし、教典を呼び寄せるようなこともできた。


 ただ年々この力は弱くなっている。


 昔は水面の上を何も考えず走り回っていた。でも最近ではできなくなってしまっている。私は何故、水面の上にいるのかと考えると決まって沈んでしまう。


 何も考えず歩を進めるのが骨なのだろうが、物心がついてしまった今となってはそれが大変に難しい。


 だから私はこの山に通い詰めている。山深く人気の無いこの泉に通い詰めている。人に見られたくないからだ。


 父上や周りの大人達は私の力が、年々弱くなってきている事に気づいている。いずれ無くなってしまうのだろうと考えている。

 奇跡の力がなくなって仕舞えば、幕府に切支丹の教えの尊さを知らしめることが出来なくなるのではと考えている。

 私に力がなくなってしまう前に、行動を起こし切支丹信仰の尊さを分からせようと考えている。


 つまり乱を起こし、切支丹を信仰する自由を容認して欲しいと迫る考えである。


 私の力が弱くなってしまえば、戦になってしまう。


 私はそうならないように鍛錬を重ねなくてはならない。


 いつもは人気の無い泉だったのだが、その日は違っていた。この山の麓近くの村の少年だろうか、私の事を見つけ私のことを不思議そうに眺めていた。


 恐ろしいまでに透き通るような綺麗な瞳をした少年だった。


 本来なら見られたくないところを見られてしまったので、逃げ出すところなのだが全くその気にならなかった。

 その少年の瞳に吸い込まれるように近づいて行き、話しかけてしまった。私の行動が露見してしまったら大変なことになってしまうというのに。


 少年の反応は新鮮だった。初めは私の事を人だとは思っていなかったようだった。人だと分かると自分にも出来るとでも思ったのか、水面に足をつけるように伸ばしたのだ。


「ひゃーっ」


 草花が芽吹き始めたこの時期、頂上の雪が溶けだしこの泉に湧き出す。それ故この時期の泉の水は凍てつくように冷たい。当然そのような反応になるだろう。


 私はその滑稽な姿に大声を出して笑ってしまった。


 切支丹禁教令が出て二十五年余り、天草でも弾圧が厳しくなり始めてから十年以上経っている。切支丹の教えと縁遠い環境で育つ者も増えていることだろう。


 私はその時、初めて切支丹の信者ではない者と出会った。私の起こす奇跡や十字を切る仕草に、大袈裟なくらいの大きな反応を見せる者が多い。


 少年の私への反応は新鮮でならなかった。この者になら何でも話せるようなそんな気がした。私を普通の人として接してくれる、初めての人だった。自然と話が弾んだ。


 皆、私の力を有り難がるばかりで、どういう仕掛けなんだ。と、聞いてくる者などいない。皆、奇跡だと言って片付ける。


 私は教典を引き寄せる奇跡を起こして見せる事にした。他の奇跡は失敗することが多くなってきているが、この奇跡は得意で失敗することはなかった。


 頭に家の様子を浮かべ、教典の置いてある棚を思い浮かべる。そして羽が生えてこちらに飛んでくるような様子を思い浮かべる。そうすると私の前に現れるのだ。


 人々はこの奇跡を白い鳩が飛んできて卵を産み、卵の中から教典を出したと表現している。


 教典を出してみせると大蔵は驚きのあまりひっくり返ってしまった。


 「どうなってんだよ。長い糸でもくっついてるのか?」


 教典を手に取り、目を丸くして何度も何度もひっくり返しながら不思議そうに眺めている姿を見て、また大笑いしてしまった。


 ただ大蔵も私以上に苦労を重ね生きているらしい。


 心に闇を抱えているように見えた。


 今の天草に闇を抱えず、生きて行ける者はいないのかもしれない。

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