第二話 奇跡の少年との出会い

 山道は草花が芽吹き始めていた。もう少し早く芽吹いてくれていれば爺様は助かったかもしれない。複雑な心情のままいつもの山道を歩く。


 しかし、あれほど綺麗さっぱりに抜き取ってしまったというのに、芽吹く草花があるとは、草花の生命力には驚かされる。


 そんな事を考えながら進んで行くと歩き慣れた道なのだが、歩を進める度に何かいつもと違う気配が漂っているような気がしてきた。知った道を歩いているというのに何かが違う気がする。


 風が違う。


 そう感じた。草花が芽吹き始めてはいるがまだところどころに雪が残り、凍えるような風が流れてきているというのに、その風を包み込むような暖かい温もりが感じられる風が吹いてきているような気がした。


 まるで母上の腕の中にいるような安らぎを覚える。山全体が俺のことを受け入れているような居心地の良さを感じた。

 冬から春に変わる時期だからなのだろうか。だが、毎日のように山を登っているが、このような感覚になったことなどない。


 山中全ての物の色味がいつもより強い気がする。芽吹いてきている草花はより青々と、雪は透き通るような白。大地や木々からは脈々とした力を感じる。不思議な感覚を携えたまま、いつもの頂上付近の泉に辿り着いた。


 泉はいつになく強く光り輝いていた。


 西日が差し光り輝く水面に目を奪われる。眩いばかりの光に視界は白く霞がかかっていたが徐々に色味が強くなってくる。

 水面が風で煽られるたびに光り輝く。夜空に輝く星のように、さざ波の一つ一つが光り輝いていた。あまりにも美しすぎる光景に鳥肌が全身を駆け巡った。


 光り輝く水面の上を少年が歩いていた。


 いつも通って来ている場所なので、少年のいる場所が大地ではないところだという事を知っている。


 水の上、少年は間違いなく水の上にいた。


 一歩一歩、水面の上を丁寧に歩いているようだった。間違いなく歩けるはずのない場所を歩いていた。


 聞いた事がある。切支丹の教えで天の使いとして人の世界に遣わされる『天使』という存在がいるらしいという事を。


 日照りが続く年でもこの泉は水を枯らすことはない。むしろ日照りの続く年こそ豊かな水を湛えている。ここの水を村に持っていくことが出来れば、どれだけの人達を救うことが出来るだろう。そう思っていつも見ていた。


 天使様が住む泉だから、日照りの年でも豊かな水を湛える奇跡を起こせていたのだろうか。


「これは驚いた。こんな場所で人と出くわすとは」


 俺の存在に気がついた天使様は驚いた表情を浮かべ、そう声を上げた。人の言葉を話せるというのだろうか。

 それより何より俺はどうなってしまうのだろうか、天使様の御住居に勝手に入り込んだ罪で天罰を下され殺されてしまうのだろうか。


「ここで何をしているんだい?」


 終わったと思った。変な言い訳をすれば八つ裂きにされた上で殺されると思った。


「ここが天使様の御住居だとは知りませんでした。このことは誰にも申しません。どうかどうかご容赦下さい」


 その場にひれ伏し、額を地面に付け、許しを乞うしかないと思った。


「何を言っているんだい君は、麓の村の者かい?」


「はっ、麓の村に住む大蔵と申す者です。天使様の御住居に勝手に入り込んでしまい、不覚の次第であります。でも某にはまだなすべき事がございます。命だけは何卒、何卒ご容赦下さい」


「さっきから君は何を言っているんだい。そうか、君は大蔵と申すのか。私は四郎。天草に住む四郎という者だ。天使などではない。頭を上げてくれ」


 天草四郎。


 その名、聞いた事がある。何となく噂で聞いていた。切支丹の洗礼を受けた子供には不思議な力が宿るということを。

 実際に目にするまでは『まやかし』だと思っていた。そんなこと出来るはずないと思っていた。


「人なのか、でも凄い。切支丹の方々は皆、こんなことが出来るのですか?」


 その問いに四郎は首を振ってみせた。出来るのは自分だけ。それに年々この力は弱くなっているとのことだった。


 この力が無くなってしまうと戦が起こる。


 だから四郎はこの力な無くならないよう、人気の無いこの場所で鍛錬を繰り返しているとのことだった。

 この力が無くなると何故戦になるのかと思ったが、四郎のいる場所が場所なだけに早くこちらに戻るよう進言する。


「そうだね。今年は泉の水量が例年になく多いみたいだから、落ちて溺れてしまったら大変だからね」


 四郎のその言葉に何かが閃いた感じがした。そういえばこの泉、毎年水量が違う気がするぞ。


「どうかしたのかい?」


 水面を見つめ押し黙ってしまった俺を不思議に思ったのか、四郎は走り寄って来てそう尋ねた。


 俺は村が水不足となっている年でも豊富な水を湛えているこの泉から、水を引けないかと毎日のように考えていた。だから知っている。


 泉の水量が豊富にある年は、村は水不足になっていた気がする。つまり山に雪が多い冬の次の年の夏は、日照り続きになっているのではないか。なら今年は日照りに強い稲の種を蒔けばいいのではないか。そう思った。


 俺は四郎に礼を言って山を降りることにした。早く皆に伝えたい。


「また会えるかい?」


「いつでも会えるよ」


 四郎が昼過ぎ時に来ているのなら、俺もその時に来ればいつでも会えるだろうと思ってそう返した。その言葉に四郎は少し微笑んだように見えた。



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