Case5(下) 政滅の刃
一瞬の事だ、瞬きほどの一瞬。降っている雪を目で追ってそれを見失ったような感覚にも近しいだろう。
直で一瞬でも目を合わせれば、たった1秒でも視線を奪う事ができる七瀬の赤い瞳は確かに相対する男のゴーグル先にある眼球に焼き付いたのだろう、だからこそまるで時間が止まったかの様に男は静止する。
「止めたぞ、3R!」
『もう撃ってる、……多分命中しただろ』
「あ…あぁ…、命中していた。……作戦は完了した、PP3Rは先にNP2Tに合流」
『わ、わかりました』
『お前はどうするんだよ?』
「それは今から考える…あぁ…また後で」
お疲れ様でした、また後でという会話で通信を終わらせ、何から始めたいいかと頭を打ちぬかれた男の顔を持ち上げらながら考えることにし、KDKの特殊戦闘部隊と予想もできる顔を掴み持ち上げる。
「え?」
寒空の下に居た所為もあってか特に考えもなかった、そのゴーグルで隠した顔を知り、そこから逆算してこの男の正体を明かせばこれからの作戦も楽になる、もう当初の目的は達成している、達成しているからこそ早く戻りたい気持ちがあった。
「奈鳥?……」
パラパラと崩れるゴーグルから零れた男の顔は良く見知った顔だった、良く知っている最後にあったのは何年も前だというのにあの頃と何ら変わらない、肉親以外でも愛が発生すると教えてくれた、元最愛の人…奈鳥交人であった。
「あれ…、えっ?……な…んで?」
寒さの所為か、それとも動揺によるものか手の震えが止まらない。
呼吸は浅くなり、視界が揺れる、この光景を嘘だと否定する材料を探せど、七瀬香里の瞳に映る情報の全てが、彼を七瀬のよく知る奈鳥交人だと告げている。
「貴様!特務課K班隊長を離せ、抵抗した場合問答無用で打つ!」
「いや…ちがっ……違わないが…そうではなくっ…クソッ!」
細かい事を考えて行動をおくらせ、全てを無に帰すことが一番取ってはいけない選択肢というのも理解している、だがそれでも一切考えていなかったことが現実となって今、目の前に存在している。
「隊長は大丈夫だ、そのまま構えッ!」
(このまま身柄を、いやそれだと私達の存在が…、人質として?いやたかが兵士一人にそれまでの価値が…、どうするどうするどうするどうする…)
動揺し、揺れ動く感情を制御しながら、最善手を選ばなくてはならない、それは強迫観念に近しいモノだった、最善手でなければ奈鳥交人とこの場からの離脱両方の情報が抜きとれない。
(何かいい策は………、この状況では片方しか………、いや二つは取れる)
KDKの隊員は隊長は大丈夫だと発した、不殺用の暴徒鎮圧NtR材質性の弾丸でも頭に当たれば損傷を負いかねない、ならば何を考えて隊長は大丈夫と発したのかを考える。
見えてくるのは二つの可能性、一つは隊長の奈鳥交人は変えが聞く存在という事、だが先ほどの戦闘を見るにあの動きは並大抵の人間では不可能だ、だからこれは除外しもう一つの選択肢こそが正解だと考える。
「……お前がなんでKDKに居るのかはしらない…だが決別はもう既に終えているからな」
話しをしたい、彼があれからどういう人生を歩んだのか、どうしてKDKに居るのか、どうしてあの女の元に居続けることをしなかったのか、聞きたい事は沢山ある。
だがこれらは全て昔の女が発する世迷言という我儘だ、だからこそ七瀬は彼のスーツについている増加装甲のようなアウターを引きはがす。
「構え止め!……クッ卑劣な反逆者が!」
やはりこの増加装甲のアウターこそが大丈夫だといった理由だ、そのしたは普通のTMNスーツ、流石に乱射をされて無傷でいられる筈はない。
「卑劣じゃない、テロリストがどこにいる?…あぁ失礼、卑劣さで言えば君たちも対外だったな」
アウターを上下に装着し羽織る、おおよそこのような形で奈鳥も使っていた筈という、あやふやな記憶ではあるが、それで十分だった。
「なにをッ、すぐに予備の狙撃班を出せ!」
「そう対話を用いようとせず、こうして反旗を実行に移すモノ達は問答無用で弾圧する姿、私の発言を聞いてもその意図を探らない傲慢さ、実に卑劣だろ?」
「我らKDKを侮辱するか!このテロリストの分際でぇ!」
「それでは何処かにて…」
七瀬は一礼をする、そして突風の様に消え去る。盛大な花火で始まったこの戦いは、闇夜に紛れて暴徒を鎮圧した者を討ち取らんが為に現れた特殊部隊の隊長が現れた時と全く同じ方法で、今度は姿を眩ましたのであった。
◆◇◆
NNTRの皆さんの無事が確認できたのは、朝方になっても一向に陽の光は上がらず、6時でもまだ暗いままの冬らしい明け方だった。
というよりも明け方になってようやく、七瀬さんが帰ってきたと言い換えてもいい。
通信を切断後、新たなメンバーである雷道さんは予定通りの時刻にこの本部に帰投したが、七瀬さんだけはレーダーですら追えない速度でどこかへ行ったきり、その行方を眩ませていたのだ。
「夕夏、これ解析しておいて…一先ず戦利品だから」
「な、七瀬さん⁉今まで一体、……い、いえ、わかりました…」
七瀬さんからの答えは沈黙、沈黙という名の威圧が正しいだろう。普段の着替えは常識的に考えて同性である私を前にしても、素肌は隠すという事が多かった七瀬さんだ、けれど今回に限って言えば目の前に雷道さんが居るのにも関わらず乱雑にTMNスーツを脱ぎ捨てて、そのまま車の方へと無言で帰っていくだけ。
「七星って普段からあんな生活しているのか?」
「い、いえ普段の七瀬さんは基本礼節がしっかりしている方です…、けど今日はとても疲れた様子でしたし、雷道さんは何か現場で見ていましたか?」
「さぁ?命令通りにKDKの隊長?を撃ったら、捕まらないように帰ってきたけど…、ていうか七瀬?七星じゃなく?」
「あー、それは偽名ですね、雷道さんが伝説の間男という名を世に轟かせているので、寝取られやすいキャラを演じてみたとか…なんとか?」
「まぁ俺にとって七星は七瀬じゃないから呼び方を変えるつもりはないけど…………、というかそんなに轟かさているのか俺の名前…複雑だなぁ」
雷道さんは遠い場所に視線を向けながら、自身の行いを清算しているようにも見える。いつどこでどのようにした結果によって自分が、そのような不名誉な称号を背負うことになったのか、真剣に考えているようであった。
「なんか最近流行りのTCG、NTRマスターズでも最強のカードになっているとかなんとか」
「どういうカードゲームだよ、それ」
「一応こういう伏せられた5枚のガード食いくぐって、本人を寝取ることができたら勝ちっていう…、あっ…」
「教育に悪そうなカードゲームだなー、ってどうした?」
「雷道さん、禁止カードになったらしいですね。せ、制限は今まであったらしいですけど禁止まで行くのはNTRマスターズ史上初らしいです」
なんでもその圧倒的間男性能から、相手からターンすらも寝取ることで実質的な連続ターンを得るという効果だったらしい、ターンを寝取るとはどういう事なのかは分からない。
「因みに俺の前に制限くらったってやつは誰だったの?」
「西の間男さんですね、雷道さんが東の伝説の間男として名を馳せるまで、路上寝取りといえばこの人みたいな、PNTR政策下で名のある人だったみたいです」
どんな顔なのだろうとそのカード拡大し、そして気になったのか雷道さんもこちらのタブレットを覗き込んでくる。こちらはずっと引きこもっていた人間というのに、雷道さんはこちらのパーソナルスペースを侵略するかの様に、踏み込んできてしまう。
「おぉー、これが伝説の間男の力、不思議とパーソナルスペースが広がっていく…」
「どれどれ?あぁー知ってる知ってるこの人、去年の修学旅行でなんか突っかかってきた人じゃん。へぇこの人だったんだ、なんか親近感湧くなぁ…どした?」
「い、いえ、なんでも、…そろそろHさんから連絡来ると思うので七瀬さん呼んできます」
「よろしくー」
凄い人だ、なんだか勝手に心が広げられるような、凄い人だった。
いつか過去の伝説と現代の伝説の寝取り対決がどのように起こったのか、そしてどうやって収束したのかを聞いてみたい、そう思う夕夏であった。
中に誰も居ないのかと疑いたくなるほどの静けさの車に夕夏は足を踏み入れる。
エンジンもつけていない所為か、普通に過ごすのは無理だという確証があるのにもかかわらず、七瀬さんは寝袋の中で小さな寝息をたてている。
よくこんな環境で眠られるなという驚きと、寝息に混じる悪夢を見ているようにうなされている声が広い筈の車内に木霊している。
「はぁ…ッ、…ハァッ……、アグッ…」
苦しみ藻掻き、寒い筈の車内にもかかわらず発汗し暑苦しいのか、それともそれほどまでの悪夢なのか、寝袋から腕を出したと思えば流石に寒かったのか、寝袋に戻りまたうなされる、その繰り返し。
何も私にできる事はない、出会ったのだって長くカウントしても1週間強の関係でしかない、けれど苦しんでいる恩人に少しでも恩返しをしたいその一心だったのだろう、私は七瀬さんの手を握る。
「大丈夫です、七瀬さん…今は私達が居ますからね」
「ん……すぅー、すぅー…」
私の言葉が聞こえていたのかは分からない、けれど手を握り返し少し寝息が落ち着いたのは事実だった、
七瀬さんは自分にたどり着くまでに二年の歳月を要したと道中で語っていた、その間どれ程孤独だったのだろうか?それとも彼女の瞳が彼女を孤独にしたのだろうか?
七瀬さんは相手を魅了する瞳を持ち、雷道さんは視界から周囲を観測する視野を持ち、そして私は他の人より少しだけハードとソフトを作るのが上手い、何をもってこの力があるのか理由は分からないが、私と雷道さんを見ても七瀬さんだけが異常なことは間違いない。
「まるで人との関係性を強制的に惚れさせるという形で実現させる瞳…」
一瞬一目見ただけで一目惚れのような感覚に陥る瞳、それは私達の様に関係性を重要視する人間にとっては余計なモノこの上ないのだ。
「Hさんとは私達だけで話しておきますね………ん?」
落ち着いてきた七瀬さんを見て私は安堵し、手をゆっくりと離そうとしたとき寝袋のファスナーに引っかかり、七瀬さんの長袖がめくれ手首が顕わになった。
「ッ……どう…して…これ…じゃあ……」
言葉は出ない、出るのは絶句だけだ。
七瀬さんと温泉に入ったときは、見えなかった、気づかなかった。というより見せなかった、気づかせなかったという方が正しいのかもしれない、だから先に温泉からあがったと考えればこの光景にも説明がつく。
それは手首から内肘までの前腕部に大きく見える、自傷行為、リストカットやアームカットという名称の方が一般的だろうか?
その傷が夥しいほどに刻まれている、全てが昔の傷であればどれだけ良かったか、治りかけの傷もあるという事からつい最近も行っていたことすら容易に想像がついてしまう。
今までの孤独によるストレスが原因なのかもしれないし、それ以外の可能性だってある。けれどそれはリストカットによくみられる自殺企図を意図していない傷ではなく、最悪の場合を考えれば死に至る可能性だってある深い傷だ。
それらが意味することは、七瀬さんの精神的限界はすぐそこまで来ているのかもしれない、どうすればこれを止められる?
「そう考えなきゃいけないのに……」
どうしてか私はこの傷を見て、心臓が弾むようにまるであの日、七瀬さんの瞳によって魅入られたように、なぜか私はこの傷から目を離せない。
「抑えなきゃ…、でも少しだけ……」
その傷に顔を近づける、駄目だと分かっているのに、私の一度エラーを発した脳は行動を止める事が出来なかった。
そうして私、遠野夕夏は恩人である七瀬さんの傷跡にそーっと口を付ける、悪いことだとはわかっているのになぜかその傷跡に魅入られるような多幸感が私を包む。
それこそが、私の業なのだとどこか思考の奥底で何かが光り輝くような、そんな感覚を覚えたことを私はまだ気づけておらず、そしてこれこそが私の終焉を知らせる鐘は未だ遠くで耳鳴りの様に鳴っている。
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