Case5(上) 政滅の刃

 雪が降り積もる北の国、雨の様に重力のままではなく、雹の様に槍の如く勢いよく降る訳でもない、まるで重力に抗うように雪は空中で機動を変える。

 幻想的、それ以外に表す言葉はないだろう。手をかざし雪を掌へ乗せる、そうすると掌の熱で溶けまるで初めからそこに雪はなかったと錯覚させるように消えてなくなる。

 今はもう昔だが、大好きだった人にプレゼントされたスノードームを思い出す、本当の雪は消えちゃうし、雪が実は汚いモノだけどこれなら綺麗なままと言われた、そんな他愛もない会話を昨日の事のように思い出せる。

「彼女が見た景色は…、これよりもっと綺麗のかな?」

 硝煙が立ち込めるこの街の景色を見て改めてそう口にしたくなった。

 今彼女が何をしているのかは知らない、知ってももう自分の力ではどうする事も出来なかったと分かっている、だが彼女が語った思い出を穢す存在がこの街に現れた。

「奪われし者とNNTRはバッティングしただけ?いや多分事を起こすのに丁度良かったのか、PNTR政策をぶち壊す?…確かにこのままじゃダメな政策なのは間違いない、だけど…」

『特務課K―01、用意はよろしいでしょうか?』

 耳につけたインカムから優しい女性の声が聞こえてくる、耽っている暇ではないという事知らせているのだろうが、だがこの女性の声はどうしてか母性にあふれている。

「こちらK―01準備完了しました…。恐らく相手にもスナイパーが居ます、それを歩兵にも伝えてください、それと………」

『それと……なんでしょう?』

「NNTRでしたっけ?主犯のスーツ、僕たちと同レベルのスーツでしょうか?」

『それは流石に戦闘データを取ってみるか、捕まえて確認しないと…』

「確かにそれもそうでした…K―01…準備完了!」

『了解K―01、準備完了を確認』

 余分な空気が抜けるように自分を包むスーツの加圧が進み、身元の特定を防ぐために目元はゴーグルを装着し覆い隠す。

 体のラインは出るモノのウェットスーツに様々な機構を加えたのが今着用しているスーツだ、NtR材質で出来たスーツの上からMBJ物質をスーツの上から被せるように施すことで、ウェットスーツの上から衣服を羽織っているようにも見えるそれこそが実践用TMN強化試作型LUNE(Labor Unknown Naked Experiment)スーツである。

「Sシステムを申請」

『Sシステムの申請を確認…確認中。Sシステム…ソニックブーストの使用許可下りました………LUNEスーツK―01オボロ発進!』

 Sシステムは、LUNRスーツに蓄積されている電力を使用することによってMBJ物質の形を変形させるシステムの事、専用の充電パックも必要なのでそうやすやすと使わせて貰える代物ではない、

 おそらくLUNEスーツを与えられた数少ないKDK隊員でも訓練で一度触れたことがあるかどうかだろう、ただしPNTR政策への暴動ではなく反抗の意思を示した彼女?らを確実に捕縛するためには惜しんでいられない、それが上からの命令という話だ。

「ソニックブースト…K―01オボロ出ます!」

 このスーツの識別名称はオボロ、朧月の様に霞み決して捉えられない速度を重視したスーツとしてつけられた名前だ。

 その名前に偽りはなく世界でも上位の速度を出すジェットコースターに乗ったかのようなGが自分の体全身に降りかかる。それをMBJ物質、それにNtR材質の両方でスーツを形成し、ゴーグルをすることによって目を保護し始めて人が使える代物になる。

「速い!……でもやれる…このオボロなら!」

 普通の人間では耐えられない、軍人でも耐えきれない、その中でも突出した成績を残した者に初めて国から与えられるスーツだ、このスーツ一つで普通のKDK隊員が装備するTMNスーツが何着作れるのだろうか、考えるだけ無駄な行為とはわかっていても、このスーツに腕を通すという事の名誉を文字通りその体で感じている。

 先行していたKDK隊員を追い抜き爆発騒動があった場所まで駆けつける、そこには意識を失っているKDK隊員とそしてこの爆発を起こした犯人…それと恐らくTMNスーツを装着した女性が確かに存在していた。

「悪いが女子供だからと言って手を抜ける仕事ではないんだ!」

「なっ……はやっ…」

 騎士の剣のような両手剣で放つ一閃。

 NtR材質が衝撃を与えることで軟化し衝撃を吸収する、ならば逆に衝撃を与えることで硬化し、普段は軟化している物質こそ武器に適しているそれがNtR物質を改良しバイブレーションなどの衝撃を与えることで普段の硬化しているNtR材質にするという逆転の硬化を持つ、それがVNtR材質。

 それによって視覚的にも柔らかい鞭のようだと一瞬の見た目による誤認を生み出す、先手必勝の攻撃装備。

 もし一般人に使えば、生身の人間に使えば恐らく骨を折るだろうが、相手がTMNスーツを着用していればこれでも一撃にはならない。

「やはり立ち上がるか」

「私達はこれから始める、ここで立ち止まっている訳にはいかないんでな!」

「お前は自分たちが何をやっているのか分かっているのか!」

「分かっているさ、私達はPNTR政策に反抗する者だ」

 一度距離を取って説得を試みる、恐らくダメだと知っていても規約がある為、これをしない訳にもいかない。

 目の前で相対する女性の見えている部分は目元だけだ、だが目元だけならば化粧でどうにでもなるという事は知っている、だがどうしてか懐かしさを感じずにいられないという違和感を持ってしまう。

 そんな頭に残る雑念を振り払い、もう一度目の前の女性を見つめた。

「最後忠告だ、両手を後ろにし地面に伏せるんだ、そうすれば危害は加えない」

「分かってないな、私がそれで止まる訳がないだろう!」

「っちぃ…」

 わかってはいた、懐かしさを覚える容姿をしていたとしても、逆賊には変わりない。

 故にもう一度武器を構える、最初から全開で行けばすぐ終わる、そのはずだから。

「ソニックブースト…起動!」


 ◇◆◆


 空から降り積もる雪を眺めながら、ふと昔のことを思い出す。

 いつぞやに生まれて初めて抱いた恋愛感情、家族の仕事の都合で海外に行った際に自分に対するお土産で買ってきたスノードーム、それをこの国に帰ってからの学校で眺めている時、それは生まれたのだ。

 どこにでも居そうで、どこにもいない、そして私とは違い誰にでも好かれる好青年、その青年こそが、私が生まれて初めて恋をした、奈鳥(なとり)交人(ましと)との出会いだった。

「あのスノードームは、私にとってあれはやっぱり虚構の世界だ」

 自嘲気味にあのスノードームを手渡した自分を笑う、あれほど美しいと思っていた風景も現実にはあり得ないのだと、今は知ってしまったのか。

 降り続ける雪も現実にある、夜闇に照らされる街も、降り積もった雪が反射するように薄紫の景色も現実にある、全てが現実にあるというのに。

「無いのはスノードームの住人の様に、ドームという世界の檻に私は入ることができない」

 この世界で、この社会で普通として生きられないというのはそういう事だった。

 だから懐かしさも覚えたのかもしれない、ゴーグルで目元を見ることは叶わないが、ただ口や鼻、輪郭が昔に恋をした人間にそっくりだった、そして正義という言葉の前では遠慮はしない、善人のような口ぶりも全てがそっくりだったからか、七瀬の反応は遅れた。

「かはっ……」

 壁にめり込む感覚なんてものは生まれて初めて味わった、苦い経験ではなく間違いなく痛い経験だ。

 最後忠告…目の前の男はそう語った、情に甘いそういう姿もいつかの彼を思い出して余計にイライラする。

「これで止まってられるか…ふふっ」

「ソニックブースト…起動!」

 ソニックブーストと、彼は口にした。

 ずっと疑問だったことがそれを目にすれば解消する、どうして夕夏が予測したKDK到着時間を大幅に繰り上げてここに到達できたのか、どこかで援護をしているはずの翔が一切こちらに知らせることができなかったのか、その理由は全て一瞬で解決する。

「…っ…色々と人間を逸脱している…」

「手加減は出来ないといったはずだぞ!」

 おそらくTMNスーツその強化版による圧倒的な速度と加速性。

 だがどれほど速くても、2次元的で直線的だ。これほどの速度に完璧に追従していくのは不可能だという事だ、もしくはまだ不可能というだけかもしれない。

 故にわざと攻撃をくらう、吹き飛ばされないように相手と壁に挟められるそんなイメージで引き付ければ、攻撃をくらう事はあってもこちらからの攻撃が届かないなんて言う事はあり得ない。

「そこ!」

「くっ…危ない。自分の体を顧みずにこちらに攻撃を命中させようとした?」

「足が止まった…、連発はできないのか?なら!」

 連発して使えない、あるいは使用時間に制限がある類、ここまで来るのに使った分と、今の直線攻撃で使った分で一度のクールタイムが挟まっているというのなら、これ以上の好機は存在しない。

「3R!きっと狙撃手なんだろ、私の援護に使える弾は何発ある!」

 こちらが動ける時間で作戦を整える、あの超速移動ではなくともどういう訳か目の前の相手は100mの世界記録を平気で上回る速度で移動し対処する、この男相手に割ける時間は想像以上に短いというのがよくわかる。

『こちらPP3R、1Nお前の撤退時も考えるならあと2発はそいつに使える』

「了解だ、一発は弾が私の手元に来るように座標は2Tが指定、弾を受け取ったあとコイツの動きを10秒後に一瞬止める、コイツの目元を壊せ…できるな?」

『『了解』です!』

 これでこの場から全員で脱出する算段が整った、あとは私の実力次第。

 先ほど発生した爆風の熱で溶けた雪が屋根を伝って落ちていく、そして大きな雪の塊として地上に落ちた時、その作戦は始まる。

「ちょこまかと!」

「この速度に追いつける訳が…」

「単調過ぎるんだよ、お前の動きは一瞬確認する視線の先にある!」

「それをあの速度で見切ったというのか!」

「だから言っただろうそれ程の力も、この行為に賭ける覚悟もあると!」

「だがまだ追いつかれていない、僕に弱点を教えたのが運の尽き……なぁっ…」

 追いついていないからなんだというのだろう、そのための武器だただの鈍器にしかなりえないし致命傷を与えることのできないNtR材質であってもそれだけの勢いがあれば、しっかりとダメージは与えられる。

「自分は追いつかれない、その考えこそがお前の敗因に他ならないな!」

 七瀬のTMNスーツを形成しているそのニーソックスとそれを繋ぐガータベルド、パトロンHも言っていたし、あの後夕夏にも聞いた結果の話だ。

 ガータベルト、ベルトというのだからその程度の強度は持っていると、ほぼ履いていないのと同義のスカートもそのガータベルトがこの刀剣と連結できるようになっていることを隠すための物、故にこそ。

「私の剣はさらに遠くへ届く!」

 壁に押し付けられた際に既にガータベルトと刀剣は合体させていた、これである程度鞭のように振ることも可能だ。

「獲った!」

「くっ……獲らせない!」

 目の前の男はあり得ない速度で右手後方にあったはずの両手剣を目の前に持ってきた。

 物理的にあり得ない、どう足掻いてもそれを自身の手前に持っていけるはずがない、時間が足りないことは勿論、それほどの長物をその一瞬で前に持っていくには、その武器は硬すぎて、そして重い。

「NtR材質の逆…」

 意味不明と論づけるのではなく、あり得る可能性があるとすればと考え導き出した結論。

 攻撃を受け止め、次の反撃を受ける瞬間にその疑惑は確定に変わる。

「一瞬でどれだけの事を考えているんだ、君は!」

 しなやか両手剣の攻撃は振り始めからその硬さを失い鞭となる、その鞭を受け止める瞬間にはもう一度硬化し、鞭としての速度が乗った両手剣の一撃、その衝撃をこの体は味わないといけない。

「…まだ作戦内継続ライン…」

 座標につくための姿勢が違うが、手元には確かに一発の丸い弾丸を握っている、七瀬が指示したことではあるが正確にその位置に跳弾させ威力を落とし渡すとは、間違いなく離れ業だった。

 10、9……受け取った瞬間に丸い弾丸を狙いの場所へ浮かせるよう軽く投げる。

 その一見不自然な隙を見せれば、彼はもう一度突っ込んでくるが、今度は一度受けて疑問もない理解された攻撃だった、故に腕が悲鳴をあげるが受け止めることは可能だ。

「その攻撃は既に理解している」

「馬鹿な!反応し受け止めた?」

 重たい一撃でありながら、速い一撃、重たいモノが速ければ当たり前だがエネルギー的に強いことは間違いない、間違いなく何度もくらいたくない異常なまでの衝撃。

 それを払いのけ、連結したベルト部分を片手で振るい確実に連撃を当てていく。

「その程度の威力なら」

「あぁこの程度の威力が今の私の限界だ」

 4、3……宣言する時間までもう時間はないが、だがやはり彼は読み通りの行動だ。

 こちらに対する通常攻撃が止められたというのなら秘策を使うしかない、そして私もその両手剣が振るうだけじゃ届かない位置に居たい、そしてそのために片手で振るえるベルトを連結させた鞭のように刀剣を振るう。

「なんとか持ってくれ、ソニックブース……」

「条件は整った、これより作戦を実行する」

 遠心力を使って片手で振るえるようにしたのは、理由が二つある。

 一つは文字通り距離を取る為、残り4秒はどうしても普通の攻撃を相手に実行させることはダメだったこと、二つ目は左目のコンタクトを取る為だ。

 強制力も何もない、ただの少し魅力的な瞳に過ぎないが1秒動きを止めるには十分すぎるその力だ、七瀬を普通から遠ざける忌み嫌うべき力。

「私の瞳の前に……、静止しろ!」

 七瀬はその力を忌み嫌う、だがそれが目的の為ならば惜しげもなく使うだろう。

 理由は簡単だ、七瀬はこの世界であろうが、元の世界であろうが普通ではないあぶれ者だ。

 常識を持つあぶれ物という例えは変かもしれない、だが逆に言えば常識を知っているからこそ、七瀬はどこまでも常識人だからこそ、非常識という者を一番理解していた。

「衆目に晒せ!ただのマイノリティの戯言(たわごと)であり、戯事(ざれごと)だと勝手に解釈し敗北した、お前のアホ面を!」

 瞳は狂気に染まり、口角も愉悦を感じるように上がる、それこそが七瀬香里が普通ではないという証明でありながら、七瀬香里の隠す事の出来ない根っこからの悪役気質であった。


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