Case1 反逆 ノ ナナセ (加筆 修正版)

 最悪な夢を見た、幾つ年を重ねても未だにあの夢という体験を味わい続けている、脳みそを中から金属バッドで殴られ破壊された衝撃を覚えた、あの現実という夢を。

 きっとこれは俗にいうトラウマというモノなのだろう、歳を重ねようとも忘れることのない全てを奪われた1日、絶望して、勝手に彼に落胆して苦しみ続けている。

「嫌な夢を見た…、いつまで引きずっているんだかな、私は…」

 寝袋の中で女は目を覚ます、このどこでも寝られる君(くん)は本当にどんな気候状況にも合わせて寝られる優れものだと外の景色を見て改めて思う。

 雨の中で寝ていた所為もある、なぜならば私は雨が嫌いだ。

 私にとって嫌なことが起きるのは大抵雨の日だった。関係も人生も、降りすさぶ雨が私に付着した常識だったはずの知識を濯ぐように流される、この国がおかしくなったのか、それとも私だけがおかしくなったのか、それを決めるのは私ではない。

『この異端者め!この素晴らしいPNTR政策を裏切るというのか!』

 誰かに言われたことを思い出す、私という存在はこの国にとっての異端だ…考えて絵見れば思い当たる節しかないので困る。

 実に愚かで笑ってしまう、だが事実でもある、この国は突如としてあらぬ方向に転がり込み、そしてどういう訳か私はその支配下に含まれなかった。

 記憶を遡り考えられる限りの理由を探し出して推測と憶測を一つ一つ精査し、私は一つの結論に行きついた。

 それは私がおかしいのではなくこの国がおかしくなったという事、なぜその結論に行きついたのかと言うと、考えてみれば簡単なことだった。

 ある一定期間、と言っても約一年という期間だ、長い長い時間をかけて恐らく日本という国を侵していったのだろう。実行した理由も、そのために必要な方法も私は知らない。

 だがその政策が世論に出るまでにかかった期間が三か月、そして満場一致による政策の可決と実行に至るまで合計して1年。

 いくら何でも出来過ぎだ、人の数だけ思想が違う筈の民衆が反対意見を出さない、いわばノイジー・マイノリティすら現れないという事実は、はっきり言って異常すぎる。

「私が親と一緒に行っていた海外留学の1年…」

 その一年で明確に何かがあったのだ、そう何かが無ければこのような冒涜は許されない。


 この政策は紛れもなく愛への冒涜だった、愛を切り捨てるなどあってはならないことだ。

 愛が人を築きあげ、愛によって人は進化してきた、そして愛があれば分かり合えなかった筈の者同士でも分かり合えてきた、いわば人類が生み出したコミュニケーションの行きつく先、人間が歩み寄り分かり合えた結果、その名称を人は愛と呼ぶのだ。


「PNTR政策……」

 女は憎むべき敵、あるいは否定するべきそのモノを睨みつける。

 Perfect Neverend Thrive Randomlove政策。

 完全で恒久的な子孫繁栄を約束する自由恋愛政策、世間はこれのかしら文字を取りパーフェクト寝取られ政策と呼称しているらしい、実に馬鹿だった。

 築きあげた愛を裏切るというのは、これまでの人生で築き上げてきた関係そのものを破壊するに等しい、それには莫大な脳内リソースが必要とされ、互いの関係から友人関係ですら再構築を行い、果ては社会的にも追及や裁判や慰謝料の支払いという可能性だってある。

 愛を裏切るというのは、それだけリスクのある行為だ、だがそれを推進してしまうのが通称PNTR政策だった。

 誰かの女や、誰かの男を極端な出生率低下や、若い者が国を導くための改善という大義名分の名のもとに、婚姻関係に至ってなくとも、あるいは恋人関係でいなくとも、それが片方からの一方通行の想いだとしても、そこに愛がなくともただ種の存続という、たった一つのシンプルな答えを理由に誰が誰と寝てもいい、そういう法律が出来上がった。

「思い出すだけで吐き気がする…、誰が認めた、誰が話を進めた、誰の許しを得て……」

 トタンで出来た廃墟としてすら体裁を保てていない、廃屋と言うのも憚られるこの場所で女は数少ない衣服に袖を通す。

 長く伸びた黒い髪を服から抜くようにシャツから引っ張り出して準備は万端と行きたいが、まだやることは残っている、女としての正装とはこれで終わってはならない。

 割れたガラスに映る外の景色から何とか自ら自分を見つけて、残り少ない化粧道具で自らを偽る為の化粧を施す、ある特殊な物を顔に付ければ終わりなのだが、それが未だに慣れる事はない。

「相変わらず…、無駄に顔は整っているな私…そう思うのもこれ所為か?」

 最後にコンタクトを入れて、廃屋をあとにした。


 ここを使えるのも今日が最後であろう、痕跡は最大限消しておきたいが放火などしようものなら警察や、それ以外にも厄介なモノたちが羽虫の如く飛んで出てくることが容易に想像ついた。だからこそある程度の痕跡はしょうがない、産まれてこの方逃げ足にだけは少しの自信もある為か最近は割り切っている。

 寒い、凍えるようなまつ毛が凍る程の寒さだ、どこでも寝られる君が無ければきっと私は凍え死んでいたのだろう。そのくらい厳しい気候だという事は分かってはいた、まだこの地域に入った時は、それはもう過ごしやすい気候だったのだ。知識としては知っていても、しかしいくら縦に長い島国といえど、ここまで根本的に気候が変わるとは予想だにしていなかった。

「マイナス…17度……真冬としては…、まだマシか」

 氷点下を下回った上に昨日の夜は雨が降ってこともあり、地面はアイスバーンとなり果てている、冬用のスニーカーとはいえただのスニーカーだ、特殊な滑り止めがついている訳でもない、足元には気を付けないと…。

「キャッ…ころっ…ぐぇ……」

 あのように制服の着ている少女が思い切り一回転するが如く転ぶ、それはもう盛大に。

 だが手を差し伸べることはしない、手を差し伸べる価値が無いのだと、どうせあの政策ができる際に認知を歪まされている人間を相手にしている時間はないのだから。

「急がなきゃ…いけないのに……、嘘だよね音斗(ねと)君…」

 自分の巻いているマフラーを飛ばすほどの一瞬の突風、ここまで凍えた空気の突風はもはや凶器だが、懐かしい声色だった。

 愛しい人を奪われた時に発する声、かつて私も発した声色にどこか似ていた。

 思想の汚染されていない?浅はかな理想論だが、そう思わずにはいられなかった。

(そうでなくとも…別に問題はない…最後の賭けくらい………)

 しばし目を瞑り、思考をクリアにして余計な言葉を紡がないように自分を諭し、目の前に倒れていた少女に事情を聞いてみようと意を決し目を開ける。

「おい!………って誰も居ない?」

 目の前に倒れていた少女は女の視界には居らず、少女がいたはずの足音だけを残して少女は姿を眩ませてしまっている、もう目の前に居ないなら放っておいてもいい問題だ。

「関わるメリットはない…けど…」

 あの声色が何故だか脳裏にこべりついている、どうしてかあの少女をほっとく訳にはいかない。だってそれは私自信の否定になる、同じく愛しい誰かを政策という権力を振りかざして奪い取る、今助けなければ自分がその政策を認めたことと同義である。

 過去の関係は過去のモノだ、彼女の関係が壊されずに解決できたところで、過去の関係を修復ができるという訳もない。

 そして私自身過去を修復する気すらもない。だがしかしどうしてだろうか、私には全く関係のない話なのにもかかわらず、少女を追えば何かが変わるんじゃないか?そう思わせる。孤独に過ごしてきた私は、実は既に限界を迎えていたのかもしれない。

「追ってみるべき?」

 誰も居ない虚空に私は問う、問うた時点で答えは決まっているというのに、故に少女を追う。その行動は何も変える事のない無駄な寄り道かもしれないし、過去に思い残しただけの役に立つ事のない、ただの自己満足でしかないのかもしれない。

「私がやるべきことは…、彼女を追うこと?……違うよな、でもさ」

 私のやるべきことは、このくそったれな政策を打ち破る為に探し回ってようやく得られたパトロンの言う通りに、北の大地に隠したとされている鍵を見つけ、政府に抗うための力を手に入れる事のはずだった、確実にこれこそが優先するべき事柄であると分かっている。にもかかわらず、私はその足を止められずに少女を追い始めてしまう。

(もしあの少女が私と同じなら、アレを味合わせたくない)

 脳を内側叩き割るような衝撃が今もガンガンと鳴り響く、脳そのものを破壊されるような絶望。それは自分の価値観の全てが否定されるような感覚、それを純真無垢な少女が味わっていいような体験ではないのだ。

 ここで少女を見捨てる選択肢を取っても何一つ変わりないだろう、きっと女は変わらずこの国を内部から破壊することを試み続けることをやめない。

「けれど私は、彼女を…救おう」

 これが偽善だというのなら、誰からなんと言われようとも構わない敢えて言おう偽善でいいと。

 だがしかし、その偽善によって守られる人が、価値観が、心があるのだとすれば、そして私と同じようにかつての常識を持っている少女なのだとすれば、私が動かない理由はない。


 意気込み片手に走り出す。

 走り出したはいいモノの、早々に出鼻は挫かれる。雪国のアイスバーンを正直舐めていた節が私にはあったようだ。追いかけようと走り出したはいいモノの10秒とすら持たずに右足首を挫いてしまう。

「これでは恰好が付かない…だがそれでも私だけは正常だ…彼女を守ってみせる」

 これは女がやろうとしている国そのものに対する反逆の小さな一歩にすらならない、何度も言うが自己満足だった。

 何度も、何度も、何度も諦めかけた。

 おかしくなったのは私の方で、この国こそが正常なのではないだろうかと、疑いたくなったことだって何度もある、その度に誰も信じられなくなり、その度に心が折れかけた。

 けれど私は元の世界を望んだ、そのためならばこの国を騙し切ってさえ見せる、全ての国民を巻き込んだ紛争にだってしてみせる、何十、何百、何千、何万それだけの人数を巻き込むことにだってなる、多くの人を危険にさらしてしまうかもしれない、だがそれでも。


 少女が恐らく走って行った先にある、足跡の終わりを見つけた。

「ちぃ…遅かったか!」

 一度誰かが放棄された廃屋に入った形跡がある、それも何人だ。

 けれど続いていたはずの足跡が不自然に途切れ、車の轍一台分がさらに違う場所へと伸びているだがしかし、それも少しした所で途切れている、何があったのか事故を起こしてしまったのか、幸運な電柱にぶつかる形ではあるが近くで止まっていた。

「すぐに輪ま姦(まわ)すような、脳内早漏クソ野郎であるなよ…」

 半壊した車に駆け寄り、後部座席に手足が縛られながらも藻掻き涙を流している、脳を破壊されるほどの衝撃に遭い傷心し、さらにはこれから先に起こる絶望も少女は予感しているのだ。

 心を失いたくない、この想いだけは失いたくない、そう心に刻み付けてもそれが打ち破られる時が刻一刻と迫ってくる、その恐怖を私は痛いほど理解できる。

「大丈夫か?逃げよう!ここから一緒に」

「へっ?……どう……やって…」

 終焉が刻一刻と近づいている恐怖、それを打ち破ったのは見知らぬ一人の女だ。故にこそ少女は理解が追いつかない、女のやっていることは政策に対する反逆に他ならなく、それを見ず知らずの誰かが意味もなく助けるなんてことはあり得ない、そう顔に書いてある。

「…君はこの政策を受け入れられるのか?」

「あっ………私はっ……」

 私はただ一つ問う、かつての私と同じ声を出し、瞳をし、そして絶望に打ちひしがれている少女。なら少女の決断は。

「受け入れられません、私は…私は、好きな人と愛し合いたい!」

「その言葉が聞きたかった」

 少女は私の手を取った、それだけで今は良い。他の事は全て後回しだ、ここから脱出する。

「てめぇなに邪魔をして!」

「邪魔だ、お前たちに用はない」

 事故の衝撃から復活した男を無事な左足で顎に狙い定め蹴りを入れてはみるモノの、狙いは見事に外れ男の顔面に直撃する。

 その衝撃によって意識を取り戻したのか、少女を攫おうとした男たちの一人が目を覚ます、だが恐らく視界を揺らし、手も震えている状況から見ても絶好の機会だ。

 少女を逃がすタイミングがあるとするならばここしかない、どうしても足が捻ってしまっている以上全力で走る訳にはいかないが、それでも自分の出せる最速を出すしかない。

「ど、どうして私を助けて?」

「昔の私に君が重なったから…かな?」

 昔の自身と似ている、それはあの絶望したときの声と瞳だけど。

 当たり前の話だが姿かたちまで似ている訳ではない、私自身には彼女のような幸薄そうな可愛らしい顔立ちも、彼女の様に白銀の髪色をしている訳でもないし、そもそもの体形が違う。

 言ってしまえば少女はボンキュッボンな小柄ないわばロリ巨乳ともいうべき体形だ、対して私は背が高いもののキュキュッボン…少しだけ尻は大きい、なぜ胸が貧相なのか疑いたくなるくらいに。

「ここからどこへ?」

「どこかへ、一先ず君を安全な場所へ。クソッ……まだ動くのか、あの車は!」

 エンジンルームを思い切り電柱に当てておいてよく動くと、感心したくもなるがそれどころではない。女の挫いた足と、恐らく眠剤などの薬を盛られふらふらな少女では逃げるにも限界というモノが存在する。

 現状二人とも足手まといに他ならない、隠密の行動を続けていても相手の方が人数も多い、時間をかけていても政策に歯向かったモノとしてKDKの鎮圧部隊を呼ばれてしまう可能性もある。

「あの…ここは人通りも車通りも少ないので、KDKが来るのが遅いと思います」

「そうかそれは良い事を聞いた。時に聞きたいこのガレージを知らないだろうか?」

 少女がPNTR政策に本気で抗うつもりなのかは分からない、だがPNTR政策が施行されるにあたって女と同様に、常識改変を受け付けなかった存在であることは確かだ。

 ならば女と同じくパトロンからのアプローチがあるのではないか?その確認くらいはしておいて損はない、もし女と同じパトロン側の陣営ならばその鍵を持っているとすれば、女としては彼女以外の存在は考えられない。

 情報を持っていればいい、そうあればよかったと思って話してみた。

「その写真…、わ、私知っています。このガレージの場所を…守り続けてくれとある人物が来るその時までそこを守っていて欲しいと、そうお願いされました。それが私たちの明日へと繋がるとそう言われていて…」

「そうか…君自身がカギだったのか。厄介なことをするな、あのパトロンも…。では自己紹介をするとしよう、私の名前は七瀬(ななせ)香里(かおり)…君は?」

 私は名乗る、七瀬香里という名を、もう形だけになってしまって価値のない名前。

 足を引きずりながらも、彼女が知っているとした方角へ向かって歩いていく、そこまで遠くもない距離であっても、挫いた足ではどうやっても厳しいのは確かだ。

「君はガレージに何があるか知っているのか?」

「い、いえ、私はこの場所を定期的にメンテナンスするだけで…、開くための鍵は別の人が持ってくるとしか……それと、わ、私も名前を。私は遠野(とおの)夕夏(ゆうか)、技術担当として声をかけていただきました」

「…夕夏かいい名前だ、これからよろしく頼むよ。それにしても技術担当?そんな話私には来た事が無いが…まぁいいそれよりだ、このガレージを開けることを優先しよう」


 歩いて、歩き疲れた、もう挫いた右足が悲鳴を上げている、遠野夕夏を支えながらアイスバーンの道を転ばないように歩くというのは、とても神経をすり減らしていることに代わりはない。

『…特定人物の接近を確認、手をかざしてください』

 七瀬と遠野香里が近づいた時に、いきなり機械音のような声が流れ扉であろう場所に掌をかざせと言わんばかりのタッチパッドが現れる。

「これは…」

 触っても本当に良いのだろうか、これ自体が罠の可能性もある。

「見つけたぞ!お前たちを国家反逆者としてKDKに差し出してやる!」

 だが躊躇っている時間はない、これで罠なら諦めもつくだろう、自分に対する言い訳もだ。

 最北まで来させた、カギとなる遠野夕夏という存在も居た、だがそれすらも、七瀬という人間を騙すという為の罠だというのなら、七瀬香里は普通に七瀬香里として生きていく。

 タッチパッドに手を合わせる為の図面が出てきている、賭けごとに頼ることは嫌いだ。けれど賭けるしかないというのはもう後ろ数百メートル先を見れば、誰が見てもわかる。

「やるしかない!」

 言われるがままにタッチパッドに自分の右手を重ね合わせる。

 その直後、軍事用の閃光弾と言われても遜色のない光が七瀬たちを覆う。


 不思議と目は光にやられてはいない、ガレージが開き目の前にはキャンピングカーのような車が鎮座する。驚きを隠せないまま、氷が侵食していない足場に足を置く、これで遠野夕夏を支える必要もなくなった、そしてその車に近づいていくと狙い計ったかのように七瀬の前にこの車の鍵であろうモノが降ってき、流れのまま車のエンジンが始動し始める。

「す、すごい、こんな用意周到に…」

 遠野夕夏の言う通りだ、この状況も全てを見透かしたかのように、案内をされるがまま用意された演出を受け、キャンピングカーへ二人は向かっていく。

 この車はバスの様に乗る場所が横にあるタイプの車らしい、七瀬はバスを運転したことはないがこのサイズの車であれば運転できる免許を持っている。

 というよりも免許を取るきっかけも不意に訪れたのだ、もしかすれば取ることも仕組まれていたのかもしれない。

「これまで計算通りというのなら…大したパトロンだな」

「そ、そうですね…本当に思考が読まれているみたい…」

 車の中へと足を入れると車内の照明が付き、目の前にある液晶に電源が付きどこかくぐもった映像が映り始める、液晶に映るは顔の見えない人影。

『ここに来たという事、そしてその現状も私は全て把握している。ようこそNNTRの移動拠点NN号へ、さっそくだがピンチの様だね、七瀬香里、遠野夕夏』

「NNTRぅ?……まぁいい…実際にピンチだ。だがこの状況をどうやって打破すると?まさかあいつらを轢けとは言わないだろうな?」

『違うとも、遠野夕夏、君が使用するべきコンピューターは後部にある、行きたまえ』

「は、はい」

 機械を通したような声の言う通りのことを進めるしか、今は打開策が無い。足が万全ならば男3人程度であれば相手どれただろうが、現状が現状だ受け入れるしかない。

「私は何をすればいい?」

 故に問う、私という人物がするべきことを、姿形もわからぬ画面越しの相手に従うというのは癪ではあるものの、今行えるこれこそ最善がこれであり、これ以外の選択は今までを否定する事にもつながる。

『では助手席側にある更衣室に入りたまえ、そして問おう七瀬香里、君は私の送った文書をしっかりと読み込んだか?』

「あぁ読み込んだとも、意味の分からない言葉の羅列だが、そういう設定ではなく、そういうモノがあると最後望みをかけるように読み込んだ」『ならばよろしい、君がこのNNTRの光であり剣だ。この場を切り抜ける方法も、もうわかるのだろう?』

 私の目の前には、TMN(Technology Maniac Naked)スーツと文書では呼ばれていた戦闘服が用意されているが、その服装に思わず七瀬は絶句した。

 だがその横に置かれている日本刀のような外見をした武装を見て、恐らくこれからやることは、確かに文書の通りなのだと納得し着替えに入る。

「時にパトロン」

『何かな?こちらにそちらの映像は映っていないから安心してくれていい』

「そういう心配はしていない、一度は穢された体だ、生娘のように騒いだりしない。私が聞きたいのはそこじゃない」

『なんだろうか?不備でもあったかな?』

「この衣装、お前の趣味じゃないだろうな?というか半分痴女じゃないか?これ…」

 七瀬はこの衣装に対するツッコミを限界まで我慢はしたものの、このパトロンにここで逃げられても困る、故にこれだけは聞きたかったのだ。

 別に私は素肌をさらす事に抵抗感はない、だが仮にこれがパトロンの趣味だとしたら気色が悪すぎる、身も毛もよだつ恐ろしさという事それだけの話だった。

『違うといっても信じてもらえないかもしれないが、それは君の身体能力を計り、そしてその能力を最大限に活かすための思考錯誤の結果がそうなった。それと細かな装飾に関しては私ではなく、遠野夕夏の趣味だな。これは彼女が君に合わせて製作したものだからな』

「そうか…、まぁ隠す所を隠せている。ありがたいと思う事にするが、この上っ面だけのパーカーと胸を大きく見せるパッドは本当に必要か?……ここまで大きく見せようなんて思うほどの、コンプレックスではないんだが…」

 素肌をさらす事、そして小さい胸を大きく見せる事、どちらも抵抗感はない、だが羞恥心までもが無いというと嘘になる、流石に国に異議を申し立てる為に人生を注いでいる私であっても恥ずかしいものは恥ずかしい。

 事実故に否定はしないが、胸が単純に人より平というのは七瀬にとって身体的コンプレックスであることに違いはないのだ。

 だがしかし優先順位を七瀬は間違えない、それは後で出来る事だ。今やるべきことは追っ手を始末すること、それがなによりの最優先事項である。

「パトロン、ガレージの電気を消してくれ」

『あぁ了解した、ここの権限はもう遠野夕夏に移っている今後は彼女に伝えたまえ、それでは武運を祈る』

 そこで通信が途切れる、遠野夕夏は今も必死にコンピューターにOSというのかプログラムというのかがわからないが、それを必死に打ち込んでいた、技術担当というのも嘘ではなさそうだ。

 私が手伝おうとしても邪魔するだけ、故にこそ自分がやるべきことをやるしかないのだ。

「すべての条件は満たした、これを使う事も条件の内だが今回は仕方がない」

 暗闇でタイトなスーツをしっかりと上まで上げて口元を隠せる設計になっているのか、口元で形状を保ったまま壁のようになり顔半分を覆える仕様のスーツに感心しながら、来るべき時を車の上で待ち伏せる。

 電気を消したこの状況では、中に入ってこないと追っ手も現状を確認できない、それは裏を返せばこちらのタイミングで視点を一点に集めることが可能という訳でもある。

「おい!どこに逃げやがった、お前らみたいな国家反逆者、今すぐにでもKDKに引き渡してやる!」

 KDK…Kerfuffle Defensive Knight要はこの国の暴動鎮圧部隊なのだが、彼らは少し意味合いが変わってくる、いわばPNTR政策に対する反抗勢力その鎮圧が目的の部隊。

 国家に対する反逆者への武器という待遇に変わらないが、PNTR政策に対するテロ行為だと判定されれば普通の特殊部隊ではなく、こちらが出てくる。

「なぁ聞かせてくれ、人に奪われることを許容できない者はどうしたらいい?」

「はぁ?何を言ってやがる!」

「愛しい人を奪われ、自身も誰かの愛しい人を強引に奪う行為、それに賛同できない者はこの国でどう生きればいい?」

「お前は主義者か?そんな国民はなぁ!逆賊だよ逆賊!反逆の民なんざ気にする必要はねぇ!女を奪い、男を奪う、それを許容できない人間なんてこの国に存在する価値もねぇ!」

 わかってはいたことだ、彼らの常識はどういう事か今話した言葉こそが常識であると書き換えられている、どのようなことをすればここまで大規模な常識改変を、あるいは洗脳を行えるのかは、これからきっと探していくのだろう。

 だがだからこそ私は今日まで歩き、そして彼女という鍵を見つけた、この国対して、過去の常識を持った正しい人としてここに存在していると信じて。

 私たちはいわばこの国の根底を揺るがしかねないテロリストなのかもしれない、だが私はPNTR政策で続く愛のない繁栄は、それは人の営みではないと言い続ける。

 なぜならば愛のない関わりなど、奪うことでしか手に入れられない関係など、所詮紛い物に過ぎないと愛を奪われた者達の末路を私は知っている、故に私は声高らかに宣言する。

「私は宣言しよう、ここに」

 ガレージの電気をつけ、そして車の上から七瀬は肉欲しか取り柄のない男達の前に降り立つ。


 その絢爛豪華にライトに照らされるは、紛れもない痴女であった。

 無論その正体は七瀬香里だ、だがただ半裸だから痴女という訳ではない。

 タイトでピッチリとしたまるで旧スクール水着の様なスーツ、唯一の救いは場所ごとに施されている意匠によって丸見えではないことだ。

 脇から横腹にかけて布地がなぜか半透明であったり、それは袖というには余りに肩から分離している、これでは長手袋に他ならない、そしていっそなくても変わらないのでないかと思わせる短いスカートや、ガータベルト。

 極めつけはブーツ型の二―ソックスと、存在価値の理由がわからない薄手のパーカー。

 この装備フルセットでようやくTMNスーツとして機能する…らしい。

「なんだコイツこんな寒さの中、痴女じゃねーか!」

「ふ…っふふ……」

 ふつふつと湧き出る有らぬ誤解が怒りとなり果て不思議な笑みが零れてくる。

「正面から言われると腹立つな……取り敢えず…」

 そうして朝から付けていたコンタクトを外す。

「何をぶつくさ言ってやがる…そっちがそんな劣情を煽る恰好しているなら好都合だ、お前も政策を使ってやる!……お前ら行くぞ!」

 迫りくる男たち、だがしかしそれよりも先に、全員の視線は七瀬香里という存在に集中している、故にもう既に勝負はついたのだ。


 ただ相手がこちらの左目を見るだけでいい、それだけで結果が生じる。

「七瀬香里の瞳の前に、お前たちは傅(かしず)け」

 左目のコンタクトを外す、本来では純粋なこの国の人間の眼球としてはあり得ないであろう、赤色に写って見える瞳を相手に認識させる。

 これはこの国がおかしくなってから私に現れた異常だ、故に使いたくなかった。これは自身が忌み嫌うこの国の改変によって生まれたモノの一部だと知っているから。

 だがそれでも現状を乗り切るためには、そんなことを言っている場合もない。

「どうした?捕まえるんじゃなかったか?……」

 男たちは動くことはしない、七瀬は傅けと言った。それはいわば命令を待てという事に他ならないが、この命令は全く持って強制権のあるものではない、恰好だけでは相手に伝わりづらいだろう、なら言ば葉もつければ相手もどういう行動をとるべきかを理解させられる。

 奇襲であるからこそ成立する、ただの意表をつく行為に他ならない、だがその一瞬の隙を作り出すためにならば、この瞳以上の適任は存在しえない。

「なっ?」

「すでに斬った…だが安心しろ。この刀はNtR材質で出来ている、峰打ちだ」

 どれだけ非殺傷武器であろうとも、衝撃を与えれば人の意識を奪う事は可能だ、それこそ今のように意表を突けばより簡単に。

 NtR材質は人肌程度の温度への衝撃を与えると、それまでの硬さが嘘かのように柔らかくなる、どれだけ刀剣の形をしていても攻撃は基本的に鞭の速度を落としたモノと考えれば聞こえはいいだろうか?だがそれも人肌に触れた瞬間から始まる衝撃吸収、一瞬の痛打であれば確かに攻撃は通る、抜け穴的活用法でもある。

 左耳についた耳当てのイヤホンマイクで状況を車の中に居る、遠野夕夏に伝える。

「夕夏、外は片付いた。これから先どうすればいい?」

「七瀬さん!相手の意識を奪えたんですね!では納刀してください。その後その武器内部に組み込まれているBSS粒子をこちらで調整し、噴射します」

「分かったよろしく頼む」

 BSS(Break Sence Sanctity)粒子、それは五感を通して尊厳という個人が持つ社会性を破壊する粒子、パトロンの文書ではPNTR政策の常識改変もこの粒子の利用だとされていた。

 だがしかし今はまだ一時の記憶の辻褄合わせにしか使用できないらしく、それは文書の説明で理解している。だが恐らくこのまま力をつけて更に仲間を増やしていけば、さらなる大がかりな装置にも発展させられれば、いつかはこの国そのものを変えられる、今はそう淡い期待しかできないが。

 七瀬による反逆の一歩は確かに踏みしめられた。

 私から愛を奪い、他にも愛があれば普通でいられた人間に、普通でなくなることを強制するのが、愛を否定するのがこの政策だ、故に私は決心している、もう随分と前から。

「贖ってもらうぞ、貴様らが軽視した愛の代償がどうなるかを………クックック…あっはっはっはっはっは……その身で味わい苦しめ…、…それが愛を消した私たちへの償いだ!」

 まるで悪役かのように七瀬は高笑いをし、そして憎しみの如く一言呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る