第8話 翠色の雨
教室の窓の外で細やかな雨が降っている。昼間の気温がかなり高くなってきた六月とはいえ、雨が降るとその気温が落ち着いて肌にしっとりと冷気を纏う。雨の日にしては空が明るい。
退屈な授業の外に情報を運んできてくれる雨は好きだ。これが室内か室外かで雨のイメージはがらっと変わる。雨の日は皆、どこか憂いを帯びた顔をしている。一人を除いて。
「夏美、放課後どっかで遊ばない? 部活休むからさ」
「今日雨だよ、それに今日は絵を描く気分だから私は部活行こうと思って。春子もさぼってばかりじゃだめだよ」
「夏美に言われちゃおしまいだな……」
「どういう意味?」
眉を顰めて見つめる。わかったわかった、今日は無しね! と元気よく言うと黒板に向き直って、こちらを睨んでいる先生と目が合った。咄嗟にノートを書くふりをしていたけれど遅かったようだ。
私なんかよりももっと春子を必要としている人達はたくさん居る。私が足を引っ張って落とす訳にはいかない。ずっと一緒に居てはだめだ。
間延びした授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。授業が始まる時の音と終わる時の音は同じはずなのにそれぞれ感じ方が違う。嬉しい方のチャイムを聞いて号令を終えると、ぞろぞろと教室を出ていく。
私も絵を描くために教室を出た。帰り際の騒々しい廊下を抜け、階段を上って美術室に入った。
後輩達のお疲れ様ですに返事をして、後輩と先輩に各々挨拶をした。美術室の中は水彩絵の具の匂いで充満している。窓を開けて息が詰まりそうな匂いを解放する。悪い匂いではないけれど、なかなか良いとも言えない。
外の景色が見えるよう、窓際にイーゼルスタンドを置いてキャンバスを設置する。少し緑がかった雨の風景画を描こうと思う。
「この色だ」浅緑の絵の具を出す。
——そんな色じゃないぞ——
絵はその人の個性が出やすい。描いた絵を見ると性格や考え方までが透けて見える。絵を描いて表現することも、人が描いた絵を見ることも好きだ。けれど自分の絵を見せるのはどうも気が乗らない。自分の内側のダメな部分を全てさらけ出しているみたいで怖くなる。
私は私自身をばらしたくないのだ。
浅緑と青を混ぜて森林のような清い空気感を出そうと試みる。森に翠色の雨が降る。青色の雨が森の緑を吸収してきらきらと光って落ちる。雨に色は無いかもしれないけれど、絵の中には存在する。
数時間掛けて絵が完成した。翠色の雨が降る森に野生動物達が居て、溜まった水を飲んでいる。鳥も小動物も木も水も、全てが共存して美しく存在している。
「今日は結構綺麗に描けたかも。色合いも良い」
——どうしようもない駄作だ——
こんな綺麗な情景が現実だったら良いのに、と思う。私の現実は濁っている。
家族は仲良しじゃなく家はぐちゃぐちゃ、いつも話す友達も春子だけ。しかも私が肩を並べられるような人じゃない。私にできることは何もない。
この森で生きて、死んでいけたらどんなに良いだろうか。
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