第4話 レモンスカッシュ

「……夏美、……夏美! 夏美!」

 四限目の空腹が襲う時間、先生のかけたクラシックがBGMになって日常を軽やかにしている。


 ドビュッシー 月の光


 クラシックはすごい。昨日までの紅潮が潮のように引いていくのを感じた。同じクラスにいる彼からなんとなく目線を逸らしてしまう。意識しないように頭の中で連呼して意識する。


「夏美ってば!」


 白くしなやかな腕が伸びてきて急に首を締める。


「うぐっ! ちょっと!」


「やっと返事した……。あまりに無視するから息の根をとめてやろうかと思ったよ」


「春子……。私が悪かったけど、あんまりすぐに人のこと締め殺そうとしちゃだめだよ」


「気をつけまーす」


 謝る気のない謝罪と一緒にひょっとこのような変顔を向けた。


「そうそう、今度の文化祭でやる出し物の投票! 何にするか考えた?」


 ……完全に忘れていた。


「春子と同じやつにしようかな……!」


「そう? じゃあ私たち二人はレモンスカッシュに投票で決定! 夏はやっぱりレモンスカッシュ! CM来ちゃうねこれ」


 決めポーズをして見せると、にかっと笑った。


「まだ春だし、CM来ないよ……たぶん」


「この美貌があればいけると思ったんだけどなあ」


 額縁に飾られた音楽界の偉人達が呆れたように笑うのを感じた。クラシックが止むと次いでチャイムが鳴った。


 春子と昼食を食べているとバスケ部が休みらしく、放課後にカラオケでも行こうという話になった。美術部は……特に休んでも問題ないだろう。


 その後はだらだらと喋った。ポテトマンのことを熱弁していると、ほんと好きね、高校生でポテトマンの話してるのあんただけよ、と笑われた。春子はポテトマンについて何もわかっていないみたいだった。それにしても、好きなことになると喋りすぎる癖は直したほうが良さそうだ。


「斎藤! 今日も付き合ってくれよ、どうせ暇なんだろ?」


 "付き合って"という言葉に即座に反応して、隣で口元を抑えて声にならない声を叫んでいるのが見えた。現場を押さえるために隠されなかった目元はわかりやすくにやにやしている。


「春子、違うから。ごめん、今日は春子とカラオ——」

 

「私用事思い出したから二人で楽しんで! ……この子を頼みましたよ。じゃ!」


 盛大な勘違いをした春子はしたり顔をしてどこかへ駆けていった。すぐ後に遠くの方で何かにぶつかるような音が響いてきた。


「なんだあいつ」


「あの子ちょっと変なの。それで、今日もあの海岸に行くの?」


「もちろん! 一緒にどうかなって思って」


 あれからずっと考えないように見ないように意識してきた彼を目の前にすると、引いていったはずの潮が満ちてくる。


 少しだけ俯いて呟くようにいいよ、と言った。夕日を追い続ける彼の目に私はどう映っているだろう。変じゃないかな。

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