第4話 屋敷の夜
「……なるほど、つまりそれが魔女であるための必須条件ということですか」
「そう、そして資格がある者は、ヴァルプルギスで魔女として目覚めることが多いのだ」
外はすでに闇が広がり、主人は青年に泊っていくようにと誘った。
すでに晩餐を済ませて、今はラウンジでワインを飲みながら二人は語らっている。
主人は立ち上がり、カーテンを手でよけて、暗くて何も見えない窓の外を眺める。
「いやはや、350年ぶりの夜だよ……小さい頃は暗闇が怖くてね。森の中から熊や怪物が襲ってくるのではないかと震えながら毎晩過ごしていたんだが……さすがに今は感動すら覚えるね」
「そうでしょうね……いや、私は想像するしかないんですが……」
実際に神秘が存在したということ、そのこと自体に心は踊るが、だが一方でその神秘に自分が踏み入る資格が無いということで落胆もしつつ、青年は香り豊かなワインを口にする。
――今朝からこの夜にたどり着くまで、350年か……
それは感慨深くもなるものだろう。
「それで、闘争はどちらが勝ったんですか?」
「ふむ……」
戻ってきた主人は、ワインをグラスに注ぎながら、言葉を選ぶ。
「まず前提条件として、ヴァルプルギスはいつも闘争というわけではないのだ。今回がたまたまそうなったというだけで、本来主催者が一人いればヴァルプルギスは開かれる」
「その場合は、どうやって終わらせるのですか?」
「主催者が死ねば終わる」
「え?」
青年はさっき聞いた話との食い違いに疑問を持つ。
「魔女は死なないんでは無かったのですか?」
「ちょっと違うな……魔女は死ねない。気を付けていれば死なない、というレベルでは魔女にはなりえない。自らの体を顧みない放蕩の限りを尽くし、あるいは薬物を濫用し、もしくは飲食を絶ち、さらには重りと共に海の底に沈めようとも死ねない状態になってこそ魔女だよ」
魔女とは何か?
館の主人の言によれば、それは死ねない存在。
たとえ魔法の一つ、神秘の一つも使えなくても、人の域を越えて死ねない存在になれば、それは魔女とされる。
そして、だからこそヴァルプルギスが350年続いても彼らは歴史に戻って来ることができる。
「だがね……死ねないというのが苦痛に感じる場合もあるんだ」
「でも、元々死なないために魔女になったんでしょう?」
「人間は変わる。君だって小さい時と今では考え方が変わっているだろうし、今後年齢を重ねてまた変わっていくだろう。魔女も同じだ。いくら不滅の存在になっても、精神まで不滅というわけではない。だからこそ、魔女もやはり人間なのだろうな」
人があるいは不滅の存在として、精神も不滅になる。
それは、魔女のあり方とは違う。
そうした存在は、一般には神と呼ばれる。
そして、魔女はそうした神としてのあり方を拒否し、あくまで人のまま永遠に到達したものだった。
「……ともかく、通常の歴史の流れの中では魔女は不滅だ。だが、ヴァルプルギスの間だけ、魔女は死ぬことができる」
「自殺することもある、と?」
生に倦んでいるなら、そういうこともありうるのではないか?
「それはできないんだ。あくまで他の魔女に殺されることでしか魔女は死ぬことができない。それは、ヴァルプルギスという儀式に組み入れられている絶対の法則なんだよ」
「そうなんですか……」
「だから、大概のヴァルプルギスは魔女が他の魔女に殺してもらうために起こる。そして、大概はすぐに終わる」
本当に夜に起こり、一晩かからず終わるヴァルプルギスも過去には多くあった。
「だが今回は……」
「相手を殺すためのヴァルプルギス、ですか……魔女の皆さんは仲が悪いんですか?」
その質問に、紳士は少し考えて答える。
「人による、かな。魔女ではない者たちと同じだ。だがまあ、一般的に魔女は他者に無関心だよ。ひたすら魔術の研究をしたり、ひたすらゲームをしたり、離れたところから人間観察をするのが趣味だったり……あとは変わり種でずっと寝ているのとかね」
青年は聞き捨てにできない単語の出現に食いつく。
「魔術⁉ やはりあるんですか?」
「やれやれ、とんだ藪蛇を出してしまったね。だけど、私では助けになれない。魔術師たちは、私たち魔女とはまた違った理由で表に出てこないからね。魔術も得意な魔女もいるが、確か本拠地は月の裏側とかじゃなかったかな……訪ねて行くのは無理だと思うよ」
「……そうですか……」
青年は、しかし希望が途絶えなかったことに喜んだ。
元々、不滅を願ったわけではない。
単に神秘を体験したい。それを使っていい思いをしたいとか、誰かを支配したいとか、そういう不純な動機とは無縁だった。
ただ、物語に出てくる神秘に興味を持って、それに触れたいという純粋な願いだけが彼をここまで導いたのだった。
そしてそれをこの館の主人も感じたからこそ、ここまで彼を歓待し、いささか部外者には刺激的な話をしてくれたのかもしれない。
いや、もしかするとこの老練なる魔女にとってすら、この度のヴァルプルギスが厄介ごとで、それが解決したことで浮かれていたのかもしれない。
「そうだ、魔女ってどうして魔女なんですか? 男女問わず存在しますよね?」
「ああ、それは簡単だ。宗教がらみだよ。世界で最も有名で、人間でありながら死を克服した男、として君は誰を思い浮かべるかね?」
そんなものは、当然世界最大宗教の教祖であろう。
「そう、だから彼が魔女であるという風評は避けねばならなかった。だから彼を連想できないように、女性であるという印象をつけ、彼は神の力で、魔女は悪魔の力で不死なのだと印象付けなければならなかったのさ」
「実際にはどうなんです?」
「さあ? 原初の方々なら面識があるかもしれないけどね。私などはまだまだ若輩で……」
結局、彼が魔女なのかどうかは歴史には残されていないし、魔女の間でも一般には流布していない。
若干話題がまずい方向に踏み込んでいると思った青年は、話を元に戻す。
「それで、今回の結末はどうなったんですか?」
「ふむ……」
ここまではいいが、ここからの話は伝える情報を選ばないと、この青年のためにもよくないかもしれない。
紳士はグラスを回し、ワインの香りを嗅ぎながら、情報を整理するために間を取った。
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