2-8 ふわとろのオムライスを食べれば、私は死なない

 突如、結衣と奈々美の目の前で起きた、ひったくり未遂事件。




 ひったくり自体は未遂だったが、不運なことに1人の女性が亡くなった。



 恐らくは明日、全国的なニュースになる。1週間くらいは各所で騒がれ続けるだろう。


 加害者も被害者も、きっと丸裸にされる。




 そしてこういう事件が起きると、期に乗じて、よく分からない団体がデモを起こしたりする。



『人々が死ににくくなったのは国が昔行った○○のせいだ!』とか『あの女性は実は死んでいない。マスメディアによるスケープゴート的な演出だ。国は何か隠したいことがあるんだ!』とか、言いたい放題。



 もしかしたら、ある種のストレス発散なのかも知れない――ただただ永い人生の。

 


 そんな事件の余韻が残る中――結衣と奈々美は身を寄せ合うようにして、現場から少し離れた場所にカフェを見付けて、そこへ入ることにした。



 こんな時でもお腹は減る。




 途中、耳の早いマスコミらしき人物たちに声を掛けられたが「何も知りません」とスルーした。




 ドアを開けると、小さな鈴がカランコロンと鳴って2人を出迎えてくれた。


 その優しい音色は、なんとも言えず心に染みた。




 店の中は、木の温かみを感じる内装が、柔らかな間接照明で照らされている。


 テーブルの上には優雅な花瓶が置かれ、一輪のサマースイートピーがその中で僅かに揺れていた。



 壁には絵画や写真が掛けられていて、個性的なモノが多いのに俯瞰して全体を見ると実は良く纏まっている……とても不思議で絶妙なバランス。



 奥のカウンターでは、店員がコーヒー豆をゴリゴリと挽いている。


 他にも色々な器具や豆が並んでいて、芳ばしい香りに鼻先をくすぐられる。




 落ち着く珈琲の香りが漂う一方、それとは真逆のケーキや焼き菓子の甘美な香りもして来るから、脳ミソが忙しい。



 薄らと流れるピアノのBGMが、空間の全てをまろやかに包み込み、その中で人々はお互いに干渉しないようなトーンで会話したり、本や雑誌を読んだり、PCやタブレットで作業をしたりしている。


「――良い雰囲気だね」

「うん」



 ボックス席に案内されたが、2人は並んで座りメニューを手に取る。


 2人で1冊のメニューを見る。


 1ページごと丁寧にめくり、中をつぶさに眺める奈々美。




「あ、これ美味しそう」「あ〜やっぱりコレも」「いや、こっちかぁ?」とかなんとか、ずっと一人問答していて、結衣はそれをニヤニヤと横目に眺めている。



 奈々美はそんなことに気付くこともなく、デザートのページまで行ってもメイン料理と同じテンションで比べている。



「ん〜……迷う! ――って、あれ? もう結衣は決まったの?」

「うん。もうとっくに」

「え、そうなの? ちゃんと全部見た? 見た方が良いよ、どれも美味しそうだから! ほら」

「見た見た見た。見たって! でもこのお店、オムライスがイチオシっぽいから、それにしようかなって」

「え、なに、別冊もあるの?」

「オススメメニューみたいな感じかな?」



 また、うーんうーんとしばらく悩んでから奈々美は「よし」と呟いた。


「アタシはこのパスタにする、決めた!」



 奈々美は得意げだ。


 結衣がスっと長い手を上げると、店員さんがやって来た。




 注文をして少しすると、頼んだ料理が運ばれて来た。



 結衣の頼んだオムライスは、しっとりとツヤのある玉子が上品に包まれてケチャップライスの上に乗っていた。



 ナイフを入れるとプルんとほどけて、まろやかな半熟の卵がとろりと流れ出して、オレンジ色の斜面を黄色い雪崩が染めていく。


 別添えのソースはデミグラスで、濃厚な香りがする。


「さすがオススメされているだけあるわぁ……」

「……ごくり」


 唾を飲み込む音ではなく、奈々美は『ごくり』と言葉にして言った。



「食べたい? じゃあ、わけっこしよっか。奈々美のも、めっちゃ美味しそうじゃん」

「でしょでしょ〜! シーフードトマトクリームのパスタ」


 見るからにもちもちとした麺に、薄めのオレンジ色のクリームソースが程よく絡まっている。



 身の詰まったエビやプリっとしたイカ、ホタテなどが溢れんばかりにトッピングされている。



「こりゃあ三福だ」

「三? 何それ。満腹じゃなくて?」

「見て美味しい。嗅いで美味しい。そして食べて勿論、美味しい!」


 2人はお互いの料理を取り分けたりしながら、堪能し尽くした。



 事件なんて最初から無かったかのように、幸せな時間を過ごした。



 ◆◆◆◆◆◆

 


 ――ただ、この2人を傍から見ていたら違う感想を抱くだろう。

 

 例えば、ひったくり事件の発生時から今まで、ずっと観察している者が居たとしたら。


「ん〜……嫌な思い出って……無理矢理にでも、笑い話とかにするもんだと思うのだがっ」


 結衣と奈々美の背中側――少し離れた席に1人で座っている少女が呟く。


「それなのに、あの2人……微塵も会話に出さない。匂わせもしない。これってつまり、お互いにまだ心の中で消化し切れていないってことなんじゃない? だから笑い話にすら出来ない――とかっ」


 間接照明の店内だと不要、どころか明らかに邪魔なサングラスを下にずらして、顎を引いて上目に2人を見る。


 バケットハットを深めに被り、新聞紙を上下逆さまに持って。頼んだ珈琲に口を付けもせず。


 

 その少女は、さながら探偵のようにそこに居た。

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