2-6 夏祭りに行きたいから、私は死なない
翌日。
仕事の予定が無くなった結衣は、起きて早々、猛烈な不安に駆られたが……奈々美と一緒にホットケーキを食べて何とか落ち着いた。
「だからぁ……結衣は働き過ぎだったの! 仕事無くて不安になるなんて、もうおかしくなる寸前じゃん」
「そういうものか……」
「そういうものだよ」
「じゃあ、何するの? これから数時間の空白を。ご飯食べるまで、何してたら良いの。ご飯食べた後の更に数時間、何してたら良いの?」
「おっおぅ……マジで取り憑かれちゃってるよ、その反応」
事態は思ったより深刻で、奈々美はまた目を見開いている。
「分かった……今日からアタシは結衣に、いわゆる日常ってやつを思い出させてあげる係になります」
「……ヤバい係だ」
「そう、ヤバいのよ。自覚してきた?」
「あうぅ」
「あ。ごめん、ごめん、責めているワケじゃないんだ。でも、心の穴を埋める手段とか、嫌なことを忘れる方法ならね、別にダンジョンに潜る以外だって沢山あるのよ」
「そっか」
奈々美はスマホを取り出して、スッスッスッと何かを検索している。
渋い顔をしている。
「うー……ん、まだ行ったことないのはぁ……あ、ここ良いかも。よし、決まりました。ここへ行くよ、今日は! はい、結衣。着替えてください!」
「え、あ、はい? え、どこへ?」
「いーから、いーから! 早く早く」
奈々美に、物理的に背中を押されて、結衣は身支度を始める。
何となく、いつもよりカジュアルな服を選んで、いつもより明るいメイク。
そして髪型は耳の横で短いおさげのように束ねたショートツインテール。
荷物もいつもより少なく――そうやって身支度をぎこちなく進める。
最初は学校をズル休みするような気分だったが、次第にワクワクが上回ってきた。
奈々美は、結衣の半分くらいの時間で支度を終えていて、あとはニヤニヤしながら待っていた。
準備を終えた2人は並んで十条駅へ向かった。
雲ひとつ無い真っ青な空が街並みを映えさせて、見慣れたはずの景色がいつもと違う。
「ところで。さっきは、はぐらかされたけど……今からどこへ行くの?」
「六本木ネフとかって言う、ついこの前オープンしたばっかりの複合商業施設よ。知らないでしょ」
「……ネフ? し、知らない」
「やっぱり。それなのにどうせ、六本木のダンジョンは潜ったことあるんでしょ?」
「あるけど……あそこはまだ1・2回かな」
「あ、ああ〜そっか」
駅に到着し改札の中へ入ると、タイミング良く電車が来た。
まずは新宿へ行き、そこで乗り換えて六本木へ。
「都内最高レベルのダンンジョン乗り継ぎ」
「ははは、そうだね」
いつもなら流れ去っていく景色に、ぼんやり意識を向けているだけなのだが……今日は目の前に奈々美が居る。
景色なんか見ていたら勿体ない。奈々美を見ていたい。
しかし、まじまじと見るワケにもいかないという二律背反も存在する――今日の奈々美は凄い服装だ。
(なんて服を着ているんだよ、まったく)
薄手でタイトな純白のニットは肩部分がくり抜かれていて、肌が大きく露出している。
反面、首から胸ら辺は布に覆われているのだが、小さなショルダーバッグの紐が、とても窮屈そうに胸の谷間を通っている。
生唾を音を立てずに飲み込む。
(昨日の仕返しのつもりか? ……狙ってやっているのか?)
ユルっと巻かれたエアリーなヘアアレンジも小悪魔っぽさを強調していて、それも結衣の好みをくすぐる。
「結衣、楽しみだね。アタシも、まだ行ったことないからさ! どんなお店があるかな〜?」
「そ、そうだね〜美味しい料理屋さんとかあるかなぁ……あとは食器とか、見たいな! 奈々美の生活用品も揃えなくちゃ」
「――きゃっ! ドキドキの同棲生活ぅ」
2人は、空いている車内で座ろうとはせず、手摺や吊革を掴んで電車の揺れに身を委ねている。
隣り合うより、向かい合いたい。
特に言葉を交わさずとも、同じ行動をしてしまった。お互い気付かぬまま。
「奈々美はさ、何か買いたいものあるの?」
「んー……アタシはねぇ、結衣に浴衣とか可愛い服を買ってあげる予定です」
「え? ……な、なんで?」
「いや、きっと結衣のことだから持ってないだろうなと思って」
「持って……ない。だって――」
「必要無かったからだよね。でも、これから必要になるんだよ。アタシと色んなところへ行かなきゃならないのだ」
「そ、そうなんだ?」
そんな会話をしている間に、六本木へ到着した。
かつて六本木は、その地下に大きな商業施設などが存在したが、今はその全てがダンジョンに変わってしまっている。
日本で一番の深さを誇ったホームがあったり、周辺の巨大ビルへの直通ルートがあったり、いくつかの駅を地下道伝いに移動出来たり……ゴーレムが発生していない時代から既に、六本木の地下はダンジョンと呼ばれていた。
それだけの広大な地下空間が、空中に置き換えられたので、今は『空中要塞』なんて愛称で呼ばれたりしている。
背の高いビルに囲われたホームに到着すると、2人は小走り気味に電車を降りた。
「あらら。少し見ない間に、また変わっているよ」
「空中要塞も、何と言うか……ダンジョンみたいなもんだよね」
六本木は国内屈指の空中化先進都市。
駅から周辺のビルなどへ直通する高架化型遊歩道――ペデストリアンデッキが張り巡らされていて、地面を一切踏むことなく移動出来る。
この辺りも、地下空間にあった機能を損なわないように設計されたものらしい。
「デッキが大き過ぎて、ここが地上なのかと錯覚する」
「……そうだねぇ」
まだデッキの延伸・拡大の工事は続いていて、重機のエンジン音や作業音が響いている。
首の長いクレーン車やショベルカー、それに名前も分からないような大きな重機が、そこかしこにニョキニョキ生えている。
そんなデッキをしばらく歩くと目的のショッピングモールが見えて来た。
「ニュー、エラ、ヒルズ……N・E・Hで、ネフ――なんだね」
「略したくなる気持ちも分かるけど……だったら別の単語にしたら良かったのにさ」
「確かに」
軽くディスりつつも、2人の心は躍る。
大きなガラスの自動ドアへ近づくと、最適なタイミングで開いて、歩行速度を落としたりする必要が無かった。
舞台転換のごとく、流れるように――しかし劇的に視界が変わる。
キラキラとした輝きが瞳の奥をチクチクと刺激してくる。
「……おお、まぶすぃ」
洗練されたショップの雰囲気と、真新しい建物の空気に少しだけ緊張させられ、2人は気付くと手を繋いでいた。
結衣の左手と、奈々美の右手。お互いがお互いを守りあうように。
手を繋いだ瞬間から2人の周囲に見えないバリアが出来たようで、スッと緊張もほぐれた。
そのまま、可愛いアクセサリーや雑貨のお店を覗いたり、小ぶりな観葉植物を愛でたり、おしゃれなカフェの香りにヨダレを垂らしそうになったりした。
2階をぐるっと回って、続いてエレベーターで3階へ昇ると、目の前に浴衣も取り扱うカジュアル目な着物屋さんがあった。
「お! あったあった、ここここ〜! このお店の可愛い浴衣いっぱ~い」
奈々美が走りだそうとして、結衣はそれに引っ張られた。
つんのめりそうになる最中、結衣は一枚の浴衣に目を奪われた。
色んな柄の浴衣がある中で、何故かその一枚が特別に輝いている。
それは、細い縞模様の生地に、白と黒の洗練された花々があしらわれたもの。
力強くも繊細な花の形状から凛とした雰囲気が漂っている。
「――お、結衣?」
結衣はその浴衣に右手で触れる。その浴衣に興味が有るのだと奈々美も気付き、そっと繋いでいた手を放す。
絞り生地が細くストライプのようになっていて、触り心地も良かった。
生地の凸凹を確かめるように指を這わすと、その瞬間――結衣の脳裏には、夏の香りや虫たちの鳴き声、そして祭りの賑わいなどのイメージが鮮明に湧き上がってきた。
「これ、良いな……」
この浴衣を着たら、きっと楽しい未来が待っている。そんな直感。
こういう直感に裏切られたことは無い。
試着も出来ますよ、試されてみますか? とか店員さんが声をかけてきたが、結衣の耳には届かない。
「これ下さい」
「え」「え」
「……え? あ、もしかして売り物じゃなかったですか、これ。ディスプレイ?」
呆気に取られる奈々美と店員さん。入店して30秒ほどの出来事。
「あ、いえ! ご購入頂けます! はい!」
「ゆ、結衣……他にも色々有りそうだけど、良いの? 見なくて」
「うん。良い。直感で選んだ方が後悔しないから」
結衣の表情には迷いが無い。
「き、きっと! お似合いだと思いますぅ〜」
店員さんもテキトウだ。店の雰囲気にはそぐわないが、流石に仕方ない。
「そっかそっか。揺るがないね。そんな結衣ちゃんが好きよ、アタシ」
奈々美は店員さんにカードを渡して「これでお願いします」と伝えた。
「あ、え。本当に奈々美が買ってくれるの? 自分で払う気だったんだけど」
「武士に二言は無いのよ」
「奈々美、武士だったん」
「スケルトン侍でござる」
「騙し討ち上等ね。武士道もク……へったくれもない」
下らないことを言い合って、笑い合う。
ピピピピピピピピ……とカード差し込み端末が、抜き忘れ防止アラームを鳴らす。
奈々美は満足気にカードを抜き取った。
店員さんが丁寧に浴衣を包装してくれている間、2人はまた手を繋ぐ。
どちらからともなく、自然に。
「――お待たせいたしました!」
浴衣を選んだ時間の数倍待ったが、少しも長くは感じなかった。
そもそも、包装としては平準な時間だろう。
それを受け取って、2人は笑顔で着物屋さんを後にした。
「ありがとね、奈々美!」
「んーん。それ着て、夏祭り行ってくれるなら安いもんだ」
「花火とか見てみたい」
「見たことないような口ぶりだね」
「……確か、見たことあるんだけど……多分、だいぶ昔だからよく覚えていないんだ」
かつてより寿命が途方もなく伸びてしまっているから、過去の記憶はどんどん薄れていく。
いや、過去という概念そのものが薄れている。
そうした方が――やたらと長い時間を過ごしているという事実から、少しは目を逸らせるから。
過去を薄れさせ、今を濃密にする。
数日前までの結衣がしていた生き方。とても刹那的な生き方。
「――夏祭りか。楽しみだな」
ちょっとずつだが、確実に――結衣の世界は変わり始めていた。
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