1-9 婚約破棄されたって、私は死なない

 を境に、この世界で変わってしまったことが幾つかある。


 1つは人が死ににくくなってしまったこと。

 それともう1つ、大きな変化は【ダンジョン】が出現するようになったこと。


 出現と言っても、何も無いところに突如として亜空間とか異世界とかへの入り口が現れるような御伽噺チックなものではない。



 世界中の人々から失われた【死】は最初、パンドラの箱へ吸い込まれた。



 しかしその量は、箱の中に収まり切るレベルではなかった。



 溢れ返った【死】は、地殻の浅い層辺りを伝わって、幕のように世界を包み込んだ。




 やがて同種の死因が引き寄せられて、結晶のようになり【死氷】となった。



【死氷】が有する、この世の理を乱す矛盾のようなチカラはとても強く、周囲の時間や空間を捻じ曲げる程であった。



 その結果、地下通路や地下街などの地下空間は、ことごとく歪まされた。

 拡張や膨張を繰り返し、まるで迷宮みたいに複雑で入り組んだ構造へ変化するようになったのだ。




 この現象はダンジョン化と呼ばれ、都市部では地下鉄の駅や構内、線路等がダンジョン化することも多く、『地下鉄ダンジョン』なんて呼ばれている。



「私は、探索士の中でも【死】を集めることを専門にしている『終集家』なんだ、本当は」

「そうなんだ。初め、『討伐者』が本職かと思ったけど……違ったんだねぇ」




 探索士には、ダンジョンに潜って何をするかによって何種類かタイプがある。


 ダンジョンの構造を研究したい『測量士』、ダンジョン内でしか取れないレア物質を探す『採掘者』などだ。



 そして『討伐者』は、読んで字のごとくゴーレムを倒すことを専門にしていて、『討伐者』が道を切り開き、『測量士』や『採掘者』がその後を付いて行くような構図が多い。





『測量士』や『採掘者』に戦闘力が無いわけではないが、戦いを生業とする『討伐者』には及ばない。



 掲示板などで募集をかけて集まる急造チームもあれば、ある程度の信頼関係をもとに固定のメンバーでチームを組むパターンもある。


 そんな中、結衣が名乗る『終集家』は、目的も行動パターンも異端。


『終集家』の目的は、【死氷】の回収。



 先刻、結衣がゴーレムを両断して、その亡骸の塵の中から回収したのが【死氷】で、触った感じが冷たく、氷のような見た目をしているから、そんな名前で呼ばれている。


 大きさによって何人分の死に相当するかが変わり、内包する死の種類によって色や輝きが若干異なる。


 更に、ダンジョンの最深部には【死氷】の親玉のような、巨大な【死氷塊】がある。


 それらを探して持ち帰るのが、『終集家』の目的。

目的がハッキリと絞られているからなのか効率重視で、単独で潜ることも多い。



 戦闘スキルは『討伐者』と比較すると派手さは無いが、それも効率を重視しているからであって、決して劣るということはない。


「何かと、和を乱す奴認定されがちだよね。『終集家』って」

「そう。でも、そもそも根っからの一匹狼タイプが多いから」



 特に力自慢・技自慢の『討伐者』からしてみれば、目障りな存在。


『測量士』達のように自分に尻尾を振ってこないし、かといって面と向かって張り合ってくるワケでもない。


『終集家』からすれば土俵が違うというだけなのだが……。


「まあ、そんな探索士内での関係性なんてどうでも良いんだけど」

「そうやって、すぐどうでも良いとか言うから、他から睨まれるのよ」

「む……」

「それでそれで? 結衣は、何があって、あんなに自棄になってたのよ? 『終集家』である事が関係しているのは、分かったけどさ!」

「……」

「さあさあ、この奈々美ちゃんは何をそんなに重大なことを思い留まらせてあげたのよ? ん? んんん? 早く早く~! ねえ、聞かせてよー」

「……うわあ、奈々美って調子に乗るとそういう風になるのね」


 勢いに任せて、何やら告白じみた事をしてしまった結衣に、有頂天気味の奈々美が詰め寄る。



 結衣が両手で制していなければ、顔面を舐め回されそうな勢いだ。


 もう猫に例えるのは止めよう、と結衣は思った。こんな凶暴な猫は居ない。



 ダンジョンの縦穴から飛び出した後、2人は旧池袋駅から少し離れたところにある公園に移動した。

木々に囲まれたその空間は、都会であることを忘れさせる。



 公園の入口付近にあった自動販売機でペットボトルの飲み物を買って、硬くて冷たい石の腰掛に座った。


 ……いや、奈々美は現状座っていないが。


「はいはい……わかった、わかった。わかったから〜! 落ち着いて~」

「これから人生の、非常に重大なターニングポイントを任せようとしている人の、生い立ちとかを知っとくのは大切だと思うのよ」

「結婚でもするの私達――いや、え? 説明、生まれたころから?」

「それはまた今度ぉ」

「知りたいは知りたいのね……」

「今は、結衣の自棄の原因だけでも聞かせてよ」


 どうやら奈々美は、しっかり褒めて貰いたい! もっと褒めて貰いたい! を自ら主張してくるタイプだった。


 その様子を見て、若干の鬱陶しさも感じつつ(明らかに自分で蒔いた種なのに)、やっぱりどうしようもなく可愛いとも感じている。


「……お?」


 ふと、奈々美の勢いが少し緩んだ気がした。よく見ると、その視線が自分の左手に注がれている。


「あ……もしかして結衣。結婚する予定があったとか? さっき何で結婚ってワードが出てきたのか引っ掛かったけど……つまり、それ関係?」

「……っ!」

「左手薬指。付け根に薄ら日焼けの、細い跡があるし、少しくびれている」

「あばばばば」


 声にならない声を上げて、結衣は咄嗟にその手を隠す。「ジー……」と口で言いながら奈々美は見詰めてくる。


「あ、ああ……いや、隠しても仕方ないよね。そうだよ、私……この前、フラれたんだ」


 左手薬指を、逆の手でぐりぐりと擦って、そこにまだ冷たい体感幻痛があるのを確認した。

 ついこの間まで、そこには深い銀色の輪が輝いていたはずなのに。


 悲しそうな表情を浮かべながら腰を下ろす奈々美。


「――こんな素敵な結衣が、どうしてフラれちゃったの? フラれたというか、婚約破棄に近いのかな?」

「うん。彼が突然、『その仕事を辞めてくれ。でなければ結婚の話はナシにする』って言い出したの。私が『終集家』なのは最初から知っていたはずなのに。本当に急だったから、何か理由があるんだろうと思ったけど、それも話してくれなくて……一方的に」


 左手薬指から銀色の輪を外した時に、心にも大きな穴が空いてしまった。


「半年前にプロポーズされて。式はどうしようか、家はどうしようか――そんな事を楽しく話していたはずなのになぁ」


 空っぽの声で呟く結衣の肩をそっと奈々美が撫でる。


優しさがそっと心に触れ、結衣は少しだけ安堵の表情を見せた。




「アタシたち、似た者同士なんだね」


 奈々美がボソッと言う。


「身内だからアタシの方が重いみたいに言ってたけど、結衣の話だって十分重いんだよな」



 人が死ににくくなったこの世界で、結婚をするという選択は非常に重要で重大なものだ。

 生半可には決断出来ない。勿論、結衣もそうだった。



 それを反故にされた気持ちは、実の姉に殺されかけた心情にも肉薄するのかも知れない。



 しばらく無言の瞬間が流れて、その最中に2人は互いの心の痛みを分かち合えたような気がした。


「グイグイ聞いちゃってごめんね、結衣。でもお陰で結衣の事がちょっとずつ分かって来たよ」

「……そう?」

「今、ちょっと冷めたように語ってはいるけど、もう流す涙が残っていないだけなんだね……」

「うえ、何で」

「ちょっと、目元のコンシーラー強めじゃない?」

「ななななな! うそ、はずっ!」


 2人は一頻り笑って、揃ってペットボトルの飲物に口を着けた。


「私、『終集家』をやっているのは、信念というか……理由があったんだけど、フラれてから迷いが出ちゃって」

「それで、人探しとかも受注してたんだ。三級だと国からの依頼だけで生活していけそうだもんね」

「今までもチラホラ受けてはいたんだけど、数を増やしたんだ」

「じゃあアタシはラッキーだったなぁ」

「え? 何で?」

「だって、もし結衣がずっとずっと『終集家』に没頭していたら、今回の依頼を受けていなかったかも知れないでしょ? そしたらアタシを見付けてくれなかったってことじゃん」

 奈々美が、また爛々と瞳を輝かせて言う。褒めて貰おうとしていた事なんて、もう忘れてしまっているようだ。

「そんな……でもそれは、私が受注しなくても他の誰かが、きっと」

「うん、そうだね。でもその人達は、多分だけどアタシの気持ちに気付いてはくれなかったよ。今頃、お姉ちゃんの元に突き出されていた」

「あ――」

「同じような痛みを知っている結衣だから、アタシの心を察してくれた」

「奈々美……」


 ぴょん! っと跳ねて立ち上がって奈々美は、結衣に向かい合う。


「よし、決めた。アタシ、家を出るよ。お姉ちゃんが、アタシを疎ましく思っている理由……本当はずっと分かっていたんだ。アタシが居なくなれば、全部丸く収まる……家を出て、人生リスタートするよ」


 言い切った奈々美の表情は、清々しかった。

 この子はこの不遇を受け入れて乗り越えて行くと決めたんだと――その決意を結衣も感じた。


(……私も、いつまでも引き摺っていられないな)


「分かった、私も出来る限り応援する! と言うか、そそのかしたの私だしね。だから私も、前を向くよ。もう過去に縛られるの辞める。これから……2人でやっていこ?」



 向き合う2人に向かって風が、ざあっと吹いて来た。その心から何かを攫って通り過ぎ――空に逆巻いて帰って行った。

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