1-5 素手で触っても、私は死なない

 半世紀くらい前のある日。


 ある女性が、1つの【箱】を見付けた。



 彼女の妹は、その当時まだ治療法の存在しなかった難病に冒され苦しんでいた。


 妹を助けたい一心で、彼女は世界中を駆け回り、治療に有効な手段を探した。



 そんな中、ある伝説を耳にする。


 それは……開けると何でも願いが叶うという【箱】の存在。


 古代文明が残した超技術とかよく分からない噂にまみれたその箱を、彼女は様々な苦難を乗り越えた末に見付け出した。



 そして、開けた――


『難病に苦しむ妹が死なずに済む世界』を望んで。


 ◆◆◆◆◆◆


「――ふむふむ。結構、黒みが強いね。この死氷は多分だけど感染症とか、そっち系だろうね」


 ボロボロの直刀でツンツンと突っつく奈々美。


「……あまり希望者は出てこなそうな」

「んーまぁ、それでも国はしっかり買い取るでしょ。何にしても、この大きさ――ざっと20人分くらいにはなりそうだもん」



 結衣は「そうだね」とか言いながら、パッとそれを素手で掴んで、網状の袋に突っ込んで腰にぶら下げた。


「……お、お? なんと! 素手で行くのは初めて見たぞ? 死ぬかも知れないのに」

「あ、そうなの?」

「そうだよ、加工前でも気を付けないと! 濃度としてはマックスなんだから」

「あ、でも……私、1個持ちの『ダイヤ』だから……」

「――あ、そっか……って、え? じゃあ何で三級なのよ〜」


 定型句みたいに奈々美は言う。


「よく言われる気が……」


 結衣は少しムスッとしながら腰から袋をわざわざ外して、目線より高く持ち上げて光にかざす。



「何で、こんなカタチになってしまったんだろうね。私たちの【死】は」



 ――あの日、世界から【死】が消えた。


 正確に言うと、極端に死ににくくなってしまった。


 心疾患、脳卒中、癌、感染症、呼吸器不全、失血死、感電死――無数にあったはずの死因。


 その大半が、世界中の人々から失われてしまったのだ。



 この現象の原因自体は判明していて『パンドラの箱』が、誰かの手により開けられてしまい、その箱の中へ【死】という概念の大半が吸い込まれてしまったのだ。



 その当時で85億人ほどだったとされる世界中の人々の身体には、数えられる程度の【死因】だけが残された。


 それは『残された死』と呼ばれ、人によってその種類と数は異なり、皆それぞれ『残された死』以外の死因では決して死なない身体になってしまった。



 いや、もしかすると死ねないという表現の方が正しいのかも知れない。




 ある人は失血死で死ねるが、ある人はいくら血を流しても死ねない。


 ある人は首を吊ったら死ねるが、ある人は首吊りでは死ねない。


 ある人は毒を飲んだら死ねるが、ある人は毒を飲んでも死ねない。




 自分自身の『残された死』が、いくつ有るのかを知る方法は確立されているが、それが何なのかを正確に知ることは出来ない。


 闇雲に自殺をはかったとしても、死ねずにただ苦痛を味わうことになる。


 死なないとはいえ、痛みや苦しさまで消えるワケではない。




 頭が吹き飛んで、すぐに再生したのは……結衣の身体から『頭部損傷による死』が失われているからだ。


 全人類が、『死に戻りの呪い』を受けたような世界。


 しかし死ぬ度に強くなるとか、そういう都合の良い設定は無い。



 そんな狂った世界に結衣は居る。




「――ところで……このボロボロの緋装は、どこで買ったの?」

「これは……譲り物」

「なるほど、だからか。多分、前の持ち主は『ダイヤ』じゃないんでしょ? 結衣のその膨大なエクトプラズムの出力を受け止め切れていなかったんだよ」


 結衣と奈々美は長い階段を上る。

 飛んだり跳ねたりせず、1段ずつ。



 奈々美の荷物を半分以上、結衣が持ってあげている。頼まれたワケでなく、結衣自身がそうしたいと思った。



「夕星さんって、緋装職人さんなんだね? 依頼内容しっかり確認しろって感じだけど」

「そうそう! ウチの家系って代々、薔薇鋼を武器へ加工する才能に長けているみたいでさ! 緋装って呼称を広めたのも、アタシのおじいちゃんらしい」

「へー! じゃあ皆、さっきの奈々美ちゃんみたいに一発成型出来るの?」

「あ、いや。アレが出来るのは――最近だと、アタシだけかな。普通は、何度か繰り返して、カタチに近付けるんだ」

「ふうん……凄いじゃん。じゃあ、この地下鉄ダンジョンへも、やっぱり薔薇鋼を探しに? 確かによく見付かりそうだけど……流石に危なくない?」



 その質問に、奈々美は目を丸くした。



「あ、あー……やっぱりその辺、気になっちゃう? んーっと……ここってまだ危険度の高い地下鉄ダンジョンなんだね」

「まだ? どういうこと? 私は何度か来たことあるけど……むしろ逆に、ここ最近、急激に危険度上がっているんだよ。いよいよ黒いゴーレムも出始めたし」

「……え……あ…………そ、そう、なんだ――」



 それまでの調子とは打って変わって歯切れが悪い奈々美。


 どこか芝居がかったような――不自然な雰囲気に、結衣は何かを察した。




 そうこうしてるうちに2人は長い階段を上り切って、広い空間に出た。



 崩落して使用不可の階段が3つ、そして垂直に伸びる四角い縦穴が2本。


 地上へ続く道は計5つあるものの、どれもそのまま使うのは難しい。



「……ここさ。来る時から思ったんだけど……探索士でも、上に戻るの難しいんだ。ましてや奈々美ちゃんみたいに、探索士でもない人には不可能だよ」

「そうなんだよ。だから、ここで2週間も――」

「いや、そもそも下りるのも難しいでしょ。この高さだよ? ワイヤーとかがあれば出来るかもだけど……それも持ってなさそうだし。上にも掛けられた跡も無かった」

「ん、ん〜……アタシ、どうやってここに入ったんだっけなぁ〜」

「ねえ。奈々美ちゃん? アナタ、本当に自分の意思でここに潜ったの?」

「そうだった……と思い、たい」



 少しだけ、声が詰まったように聞こえた。



「なるほど。ここの階段が壊れたの、わりと最近だと思うんだ。それに経年劣化で崩壊したというよりは、何かで破壊されたような感じ。瓦礫とかの断面とか割れ方とか、他のところと見比べるとさ……ちょっと違うんだよね」


 新しめの瓦礫と、古い瓦礫の2つを拾い上げる結衣。



 その断面を並べて見せられて、遂に観念したように奈々美が小さく溜め息を吐いた。


「――2週間前。ここの階段が壊されたのは、2週間前だよ」


 壊された。


 壊れたではなく。


 奈々美は確かにそう言った。




「やっぱりか」結衣は寒々しく、言葉を零した。

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