07話 期限付きクエスト

 蜂蜜が練り込まれたホカホカサクサクの甘いクロワッサンに挟まれた厚切りのバターが塩気と共にじゅわりと溶けて口の中に広がっていく。

 甘いのとしょっぱいのが同時に味蕾を刺激して、脳内を幸せ物質が駆け廻った。


 こんな感じで、欲望のままにカロリーを摂取し続けてるから、今世でもまあまあなぽっちゃりボディが完成しつつあった。今は身体が若いから体格の方にエネルギーが言ってる節もあるけど、このまま大人になれば生活習慣病ルートまっしぐらだ。


 ダイエットせねばと思うけど、美味しいものを我慢するなんて絶対に嫌だし運動も嫌いだ。


 アルテミス様の無病息災のご加護に祈るほかない。


「たわけ。妾の加護もそんなに万能ではないわ」


 俺の甘えた心が生み出した小さな希望はにべもなく一蹴されてしまった。


「じゃがまあ、今日みたくクエストを繰り返しておればよい運動になるのではないか? 報酬で美味いものも手に入るし、一石二鳥ではないか」


 素晴らしい案を出したみたいにドヤ顔を決め込むアルテミス様だけど、俺としてはしばらくクエストはごめん被りたい気分だった。


 蜂蜜は凄く美味しかったし、結果的に無傷で無事だったとはいえあんなでっかい蜂と戦うのは怖すぎた。黄色と黒の恐ろしい見た目、戦闘機みたいな大きな羽音。暫く夢に出てきそうだ。


「妾の使徒とあろう者が情けない……。どれ、ちょっと貸してみぃ」


「あっ」


 アルテミス様はひょいと俺から『食い道楽』の本を奪って、パラパラとページを捲り始めた。っていうかその本、俺以外の人にも触れられるんだ。……万が一、盗まれたりしたらヤバくね?


「それは大丈夫じゃろ。妾とリオンの間には加護という太い繋がりがある。リオンが妾の弓や矢を扱えるのと同じ道理じゃろう」


 じゃあまあ、安心……かなぁ?


「それより、このクエストとか良いのではないか?」


  『盗賊退治:報酬:ロイヤルティーの茶葉:期限:明後日』


 それが、アルテミス様が見せて来たクエストの内容だった。


「ロイヤルと付くからには、相当上等な茶葉なのじゃろう? 今日のキラーハニーとくろわっさんとやらの相性は上々じゃったが、ここに上等な茶が付けば至上であったと思わぬか?」


「……思います」


 そもそも、我が家には茶葉がない。そもそも茶葉という商品が貴族向けの嗜好品のため、安物と言われるものですら高価だから平民の俺では中々手が出ない。


 精々、よく解んない雑草を乾かしたお茶もどきだけがあるだけだ。


 だけど、前世、俺は紅茶が大好きだった。ティーバッグで妥協せず、ティーセットを用いて淹れるくらいには凝っていた。

 洋菓子にはやはり、紅茶が合うのだ。とても。


 でも……。盗賊退治の一言が、俺に二の足を踏ませてくる。


「けど、無理ですよ。盗賊って人ですよね? ……人間を退治するなんて無理です」


「盗賊は、人間ではないぞ」


「そうなんですか?」


「うむ。盗賊は山や廃墟などに潜み、商隊や小さな村などを襲って金品や食料、女などを攫って凌辱する。やってること自体はゴブリンなどと変わらぬ。魔物みたいなものじゃ」


「みたいなものって……」


 アルテミス様の言わんとしてることは解るけど……。


 やっぱり人の姿をしている盗賊が襲ってきたら怖いし、元日本人としては相手が悪人であったとしても人殺しをするのは躊躇がある。


「リオンが盗賊を殺しても、神である妾の名の元に其方が正義だと保証するぞ?」


「うーん……」


 アルテミス様が太鼓判を押してくれるなら、人殺しへの罪悪感はかなり軽減されるかもしれないけど。


 俺が躊躇してるのは倫理的な問題だけじゃなくて、グロいのが苦手とか何となく怖いとかそう言ったものの割合の方が大きい。


「ふむ……。血を見るのが苦手なのは我慢してもらうほかないとして、恐怖は感じずとも良いじゃろ。妾が其方を守るからの。それに、妾の弓矢であれば目を瞑ってても当たるぞよ?」


「確かに……。いや、でもなぁ……」


 アルテミス様が守ってくれる上に、目を瞑ってて良いなら……。いや、でもなぁ。うーん。


「それに、この期限が付いてるの少し気にならぬか?」


「え? そうですか?」


「そうじゃろ。もし、この期限を過ぎたら取り返しのつかないことになるやもしれぬ」


「そ、そうですかね? ……普通に、盗賊たちが茶葉を飲んじゃうなり、売っ払うなりして手に入らなくなるまでのリミットのような気もしますけど」


「む。確かに……」


 と、言いつつもアルテミス様の取り返しのつかないという言葉が胸に靄を作る。


「盗賊は悪じゃ。倒さず放置しておれば、やがてこの村が盗賊に襲われるやもしれぬ。火を放たれ故郷が燃え行く様を見てから後悔しても遅いのじゃぞ?」


「ぐっ。いや、でも誰かが倒してくれるかもしれないし……」


「そうかもしれぬな。じゃが、お主が倒せば絶好の茶葉が手に入るぞ?」


「確かに……っ!」


 盗賊は、この村に外の色んなものを売りに来てくれる行商を襲うかもしれないし、最悪この村に来るかもしれない。


 殺しの罪はアルテミス様が神の名の下に許してくれるって言ってるし、危なくなったら助けてくれるとも言ってる。加護の弓矢の性能は凄まじくて目を瞑ってても当たる性能だから血を見なくても良いし、盗賊を倒せばロイヤルティー。名前から察するに王家御用達レベルの凄い茶葉が手に入る。


 ここまで条件を並べられてしまえば、俺としても重い腰を上げざるを得ない。


「解りました。……では明日、盗賊退治に出掛けましょう」


「うむ、よくぞ言った。リオン、良い子じゃ」


 アルテミス様は俺を屈ませてから、ポンポンと頭を撫でて来た。


「あの、俺、これでも中身はトータル四十越えてるんですけど……」


「四十歳なんて、妾からすれば小童じゃ」


 まあ、褒められて悪い気はしない。


「とりあえず、明日に備えて紅茶に合いそうな菓子の仕込みをしておきましょう」


「む? 元は、其方がこれ以上太らぬためにクエストをって話ではなかったか?」


「……アルテミス様が欲すると思いまして」


 慇懃な仕草で礼をしながらそう言ってみる。


 アルテミス様は、口元に付いたクロワッサンのカスをぺろりと舐めてから恥ずかしそうに咳払いした。


「そうであったか。良い心がけじゃ。それでこそ、妾の使徒よ」


 神であるアルテミス様に、味見をしていないお菓子を献上するわけにはいかないので当然俺も食べるつもりだけど……。


 アルテミス様は呆れたように目を細めた後に、ぺろりと口周りを舐めた。

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