02話 もふもふ神様の使徒になる
「あの、おかわりもありますよ」
物欲しそうに何度もクッキーを見ていたアルテミス様にそっと残りのクッキーを差し出すとピンと耳と尻尾を立てるけど、すぐにそっぽを向いた。
「妾は誇り高き神じゃ。人の子から施しを受けるわけにはいかぬ」
そう言い張るアルテミス様はその美しいお姿も相まって誇り高き一匹狼の風体を醸し出していたけど、よくよく見ると口の端から涎が垂れていた。
アルテミス様はハッ、とした顔をして慌てて口元を拭う。そっか、俺の心の声が聞こえてるんだったな。
しかし、どうしたものか。
俺の前世の職業はパティシエ。
自分が美味しいものを食べるのが好きなのはさもありなん、人が自分の作ったお菓子や料理を美味しそうに食べるのを見るのも大好きだった。
アルテミス様は本当に美味しそうに食べてくれたから、是非とももっと食べているところを見せて欲しいのだけれど……。
「んん゛っ。其方、名を何という?」
「えっと、リオン・ベーカリーと申します」
「ふむ。ではリオンよ。其方が妾の使徒になる、というのはどうじゃ?」
「使徒、ですか?」
「うむ。妾は其方に加護を与える。其方は主たる妾にお供え物として食い物を捧げる。ウィンウィンの関係のはずじゃ」
「なるほど……」
俺にとって、アルテミス様に食べ物を捧げると言うことは大変なことではない。
作った料理を美味しそうに食べてくれるだけで、十分に嬉しい。
だけど、使徒という仰々しい響きが引っかかっていた。加護も内容が解らない。
与えた加護は、戦う力です! 使徒として、神の敵を打ち滅ぼしなさい! とか言われたら困ってしまう。
ご飯を作るのは良いけど、戦いとかは絶対にしたくない。
「……妾の加護を受けると、身体が丈夫になり、病気にも掛からなくなるぞ」
「ささっ、アルテミス様。クッキーをお納めください。俺はアルテミス様の使徒でございます」
「ふむ。取引成立じゃな。では遠慮なくこのクッキーとやらを頂くとしよう」
医学が発達してないこの世界での病気は怖すぎるからね。
俺は運よく生きてるけど、高熱を出して倒れたとき医者ではなくシャーマンみたいな人が来て一日中念仏を唱え続けられたときは死を覚悟した。
無病息災という恩恵の前で、あるかどうかも解らない不安は些事でしかなかった。
「うむうむ。悪くない、悪くないのぅ。やはり転生者は未知の存在であるし、世界の平穏を願う神の立場として放置も出来んからの」
何か尤もらしいことを呟いているアルテミス様は、がつがつとクッキーをがむしゃらに頬張っていた。口の周りが食べかすまみれになっていた。
俺は黙ってハンカチを取り出して、アルテミス様の口元を拭いて差し上げる。
「す、すまんの。神とあろうものがみっともないところを見せてしもうた」
「いえ、美味しそうに食べていただけて嬉しい限りです」
プレートの上を見ると、クッキーは綺麗さっぱりなくなっていた。
本当に、お気に召したみたいだ。
「しかし、このクッキー甘かったの」
「甘過ぎました?」
「いや。ただ人間界だと砂糖は貴重だと聞いたからの。リオンの家は裕福層には見えんし、少し気になってな」
「そのクッキーの味付けはリンゴ糖と言うリンゴを煮詰めて作った蜜を使わせていただきました」
「リンゴを煮詰めた、糖?」
「ええ。まあ本来はそれだけで作れるようなものではないのですけど、可能にしてしまえるのが俺の能力です」
そう言って『食い道楽』の本を見せると、アルテミス様は興味深そうに目を細めた。
「どれ、少し見せてみい」
レシピのページを開いて見せると、リンゴを数十分煮詰めるだけで作れる『リンゴ糖』やレモンを数十分煮詰めるだけで作れる『クエン酸』のレシピなどが記載されている。
「ほう。過程を省略して、結果を得られるのか。む? このクエストと言うのはなんじゃ?」
興味深そうにページを捲っていたアルテミス様は目敏くそれを発見した。
「それは、ご飯が貰えるイベントの予言、みたいな?」
例えば『近所の農家トマティーナさんの手伝いをしよう:報酬:トマト』ってクエストを受けると、本当にトマティーナさんがトマトを分けてくれる、みたいな。
ページを捲ると『スライムを倒そう:報酬:ゼラチン』や『キラービーを倒そう:報酬:キラーハニー』のような魔物を倒したときの素材クエストも書いているけど、これに関してはやったことがない。
いや、昔最弱のモンスターと呼ばれているスライム相手にゼラチンを回収しようと試みたことはあったけど、スライムの突進で皮膚の表面を溶かされるという恐怖体験をして以来魔物とは二度と関わらないと誓った。
「キラーハニーと言えば、ハチの魔物が極稀に落とす甘い蜜ではないか。あれは中々に美味いが、運が良くなければ手に入らんでな。……もしやリオンの能力であれば容易く手に入るのか?」
「どうなんでしょうね? ……魔物は倒したことがないから何とも」
「なんと! であれば、検証してみようではないか!」
「えっ、それって魔物と戦うってことですか? 嫌ですけど」
キラービーって、名前から察するにハチの魔物ってことでしょ? 戦うなんて絶対にごめんだ。怖すぎる。
「む。……因みに其方、いくつじゃ?」
「え、前世では32で、今世では更に9年生きたから41?」
「その身体はいくつじゃ?」
「14歳です」
「14! なら来年で成人ではないか。なのに、キラービーごときに怖気づくとは、男として情けないとは思わんのか?」
「……思わないですけど」
俺は両親のパン屋を継いで生計を立てていくつもりなので、魔物が怖くたって問題はない。この国の主食はパンだし、安定した収入も望めるだろう。
「むぅ、神の使徒とあろうものがなんと軟弱な」
「軟弱も何も……あ、そうだ。クロワッサンの試作が完成したところなんですよ。両親からも好評で。焼きましょうか? サクサクの食感にバターが香って美味しいですよ」
「サクサクで、バター!? そ、そのクロワッサンとやらを――」
釣れた。不利な話題だったので、上手く逸らせたことに頬が釣り上がる。
「……い、いや、妾はそれを食べたことないからあくまで想像なのじゃが、それにキラーハニーを掛けたらもっと美味しくなるのではないか?」
「む」
焼き立てクロワッサンに甘い蜂蜜。……美味いに決まってる。食いたいか食いたくないかで言えば食いたい。
そんな俺の内心を見透かしたように、アルテミス様はほくそ笑んだように見えた。
でも、蜂と戦うのは怖い。
「ふっふっふ。リオンよ、妾の加護は何も病気を避けるだけではないぞ? それに、神たる妾も付いている。万が一があっても、妾がリオンを守ると約束しよう」
「解りました。俺も蜂蜜は食べたいですし、乗せられてあげますよ。でも、危なそうだったらすぐに撤退しますからね」
「それでよい。では、早速行こうではないか!」
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