第9話 陽炎に揺れる記憶

 朝の光が窓から漏れる中、いつものベッドでゆっくりと目を覚ました。

 目覚めの瞬間、まるで潮が引くように、夜の夢が静かに心から離れていく。

 何となく胸が締め付けられるような、でも心が暖まるような、そんな夢を見ていたような気がする。

 しかし、その夢の内容は朝露のようにすぐに消えてしまった。


 陽菜ひなが亡くなってからというもの、夏の訪れは毎年、彼女の命日を思い出させる。

 中学2年生のあの日から、夏の日差しは記憶の中の痛みを呼び覚ますように強く感じる。

 今日もまた、陽菜のお墓参りのために準備をしていた。


 「もう行かないと……」


 私はそう呟きながら、リュックを背負い家を出た。

 太陽が容赦なく照りつける中、私はゆっくりと歩き出す。


 道中何となくスマホが気になり、スマホの画面を見つめる。

 そこには、見慣れたホーム画面が表示されているだけだった。


 陽菜の命日を迎える度に、こうしてお墓参りをするのが私の日課だった。

 いつもと変わらない夏の日差しが、容赦なく私を照りつけている。


 お墓に近づくと、周囲の景色が少しずつ変わり始めた。

 緑豊かな木々が立ち並び、その間から差し込む陽光が墓石に反射して輝いている。

 私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、足を進めた。

 

 セミの鳴き声が耳に飛び込んでくる。

 夏の風物詩だが、今はその音がやけに遠く感じられた。


 陽菜のお墓に到着すると、いつもと変わらない場所が目の前に広がっていた。

 墓石には陽菜の名前が刻まれており、その下には彼女が生きた証が詰まっている。

 私はそっと手を合わせ、彼女に話しかけた。


「陽菜、久しぶり。今年も会いに来たよ。私ね、高校2年生になったんだ。」


 私はリュックから花を取り出し、墓石の前にそっと置いた。

 色とりどりの花が、陽菜の明るい笑顔を思い出させる。

 その花の香りが、夏の風に乗って広がり、まるで陽菜がそこにいるかのように感じられた。


「高校生活は、楽しいこともあるけど、やっぱり陽菜がいないと寂しいな。クラスの友達とも仲良くやってるけど、陽菜と一緒に過ごした日々が懐かしいよ。あの頃は、毎日が本当に楽しかった。」


 陽菜との思い出が次々と蘇り、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。

 彼女がいた頃の夏は、もっと輝いていた。笑い合い、ふざけ合い、何気ない日常が特別なものに感じられた。

 しかし、あの日の事故で全てが変わってしまった。


「そういえば今日ね、不思議な夢を見た気がするんだ。内容は覚えてないんだけどさ、たぶん陽菜と過ごしていたんだと思う。」

 

 陽菜のいない現実を受け入れることが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。

 彼女の明るさや優しさが、今でも私を支えてくれている気がする。

 

 私は陽菜ひなのお墓に水をかけながら私は近況を話す。


 「それにしても今日は暑いね……」

 

 太陽の光が眩しくて、自然と手を掲げて顔を覆った。


 「あれ?このブレスレット……」

 

 手首に巻かれたブレスレットの宝石が太陽の光を受けてきらめく。


(これ陽菜の瞳の色にそっくり……)


 そんなことを思う。

 

(そういえば、このブレスレットっていつ買ったんだっけ……)

 

 

(――これ、りんに似合いそう!)


(――私からのプレゼントにしてもいい?)

 

 一瞬、陽菜の笑顔がフラッシュバックする。


 

「……陽菜?……陽菜っ……!」


 急に涙がこみ上げてくる。

 それを振り払うようにして私は走り出した。

 足が勝手に動き、どこへ向かうのかも分からずに走り続けた。

 心の中で陽菜の笑顔が何度も浮かび、そして消えていく。

 心の奥底で何かが叫んでいる。

 

 走り続ける中で、街並みがぼんやりと流れていく。

 何度も見たことのある景色が、今は違って見える。

 風が吹き抜けるたびに、陽菜の声が耳元で囁くように感じた。

 

 (――凛、最後に1つだけお願いがあるの)


 (――今日までのことを少しでもいいから覚えていてほしい)


 陽菜の声が心の中で何度も反響する。



「忘れ……ない。忘れるわけ……ない……っ!」


 陽菜との夏の日々、彼女との約束、そして彼女が消えてしまったこと。

 

 自分に言い聞かせるように、何度もそう呟きながら走った。


 息が切れ、胸が激しく波打つのを感じながらも、止まることはできなかった。


 

 気がつけば、私は神社の境内に立っていた。


 頭上の木々がざわめき、葉がこすれ合う音が耳に届く。


 蝉の声が響く中、神社の静寂が私を包み込む。

 そこは、陽菜と一緒に訪れた場所だった。


 私は境内を見渡した。


 ある一角に目が留まる。

 そこには、陽菜と一緒に結んだおみくじがかかっていた。


「これ……私と陽菜の……」


 それは陽菜と一緒に結んだおみくじだった。

 陽菜と一緒に結んだ時の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。

 私は陽菜ひなのおみくじに手を伸ばす。

 

 手が震えながら、おみくじを慎重に開いた。

 薄い紙越しに、陽菜の言葉が浮かび上がるように感じられた。



りんへ。


 私ね、正直に言うと消えたくない。本当はずっと凛のそばにいたい。

 もっといろんなところに行って、二人でいろんな思い出を作りたかった。



 …………凛。私、凛が好き』



 読み進めるうちに、涙が止まらなくなった。

 消えたくないという切実な願い。

 そして、陽菜の「好き」という告白。


 涙で視界が滲む中、私はそのおみくじを胸に抱きしめる。

 陽菜の温もりがまだそこにあるような気がした。


 

「――っ……陽菜……私も……好き……」


 

 初めてその言葉を口にした瞬間、心の奥底にあった固い何かが解けたような気がした。



 夏の空気が、涙で濡れた頬を優しく包み込む。

 蝉の声がどこか遠くで聞こえ、風が木々を揺らしていた。

 陽菜との思い出が私の心に温かい光を差し込むようだった。

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