第21話 禁忌の名
「き……貴様……!?この小娘が!わしはお前の祖父だぞ……!」
老人が血相を変えて立ち上がる。
「いや、祖父なんていたことはありませんけど」
お母さんは矢神楽から捨てられた。つまり、両親からも捨てられたのだ。この老人が私の祖父だと言うのなら、お母さんを捨てた親。つまり私の祖父でもなければ、祖父母もいないことになる。
まぁ、顔は見たことあるかもしれない……。矢神楽に来て……私の名を不吉だと禁じた老人がこのひとだったと思う。
「なんたる……生意気な……!」
大体、孫の名も呼ばない以上にその名を禁じるひとに言われたくはないな。このひとにとっては孫ですらないのだ。
「まりあを見よ!」
は?まりあ?老人が指差す先には布団が敷いており、そこに寝かせられているのは……痩せ細り、青い顔をした女性。変わり果てているが……老人の言う通り、彼女はまりあの面影がある。
「まりあは、美しい孫のまりあはこんな風になってしまった」
そうか……だがそれは本人の自業自得だと思うのだけど。しかも前にもやったわよね。その時はまりあの身体中に呪いのような紋が現れたのだ。
確かそれは……私の通帳に目を付けたまりあがそれを奪い取って、多額の金を引き出して豪遊したんだっけか……。完全なる自業自得。
通帳は引き出されたお金を補填されて戻ってきたけど、何故か私が悪いと怒鳴られたのよね。意味が分からなかった。
「もう子孫を残せまい。我が矢神楽の直系が断絶してしまう」
確かまりあの父親は退魔師業の後遺症か何かを患って寝たきりだったような。母親は通帳事件の時にどこかへ消えた。入院したとか聞いたが、よく分からない。
だから当主は……まりあの祖父。つまりこの老人と言うわけだ。
「だが……血だけならお前にも流れている」
「はい……?」
何か、すごいやな予感が……。
「入れ」
老人が告げれば、3人の若者が部屋に入ってくる。
「元々はまりあの許嫁候補じゃった、霊力の強い退魔師たちじゃ」
まりあ、3人も許嫁候補いたのかよ。
「お前はこの3人との子を産み、矢神楽の直系を残す。まぁお前は無能だが、子の中には3人のうちいずれかの霊力を引き継ぐ子もおろう。欲しいのは霊力を持つ子どもだけじゃ。ほかの役立たずはお前にくれてやる。世継ぎが手には入れば用はない。お前はお役目から解放してやろう。何処へなりとも行くがよい」
「……は?」
「君を、必要とする場所はここにある。まりあのために、君は……」
「オウギ……あんたやっぱりまりあに気があるんじゃない。今、まりあのためって言ったよな……?」
「……あ……」
あ、じゃねえぇぇよっ!
「ふざけんな
「やめてくれその過去の名は!」
「てめぇも私の中二名呼んで拐って来たんだろうが!逃げんじゃねぇ!中二からは決して逃げられねぇんだよ!中二ってのはそう言うもんじゃ
「あぎゃあぁぁぁぁぁ――――――――――っ!!!」
その、罰が下ったほかない。やつぁ……
「な……何が……何だか……」
中二の世界を知らぬ老人はーー当主は狼狽えているが構わない。
「あのね……言っとくけど、私にも選ぶ権利があるんですけど……!少なくとも私の名前すら恐くて呼べない家なんて冗談じゃない!」
あぁ……だからこそ、お母さんはこの名前を付けたのか……。矢神楽が脅える、矢神楽に囚われないこの名前を。
そしてお揃いだと思ったものは……もしかしたらほんにんではないかと思い始めている。
けれど、そうであってもなくとも、変わらない。私はこの矢神楽が崩壊する名を知っている。この窮屈な屋根に風穴を空ける名だ。
「中二は読経!恥ずかしがってたら何の妄想もできないの!」
「は……はぁ……?」
「それを言うなら度胸では……」
3人のうちの2人の若者がそう言うが、構うことはない。
――――――それでいい。その端で頷いた彼は……あの暗闇でもらった名が全ての答えであると、その口に描いている。
封じられた右手の甲をまっすぐに空に向けて伸ばす。
「
あなたのことでしょう?
「バカ……!それを呼んだら……っ!」
当主が慌てて私の元へ飛びかかろうとする前に、隔り世と繋がると言われる鮮烈な赤が注がれると共に、封じられた甲の鎖が解き放たれる……っ。
そして隔り世の色を纏いながら、見慣れたもふもふが舞い降りた。
「ひいぃぃぃっ!!九尾いぃぃっ!?」
当主の悲鳴が響き、2人の若者は身構える。
「こっちでは獣の狐ちゃんなの?」
その背中には何故か鱗がある。そしてお座りすると2メートルくらいの大きなもふ狐。
「こっちの方が速く駆けられるからね。ヤヤさまが呼んでくれるとは思わなかった。その字まで。よく知っていたね。お陰ですぐに来られた」
そんなすぐに来られるなら、矢神楽が琳と言う名を恐れるわけである。
「ヒントをもらっていたから」
「ヒント?」
有鱗……いや、ユウリンが反芻した時。
「ぐうぅぅ……九尾……っ!」
「この……っ」
「覚悟……!」
当主と2人の若者が苦しげにこちらを睨み付けている。
因みに
『ほう?まだ立っていられるとは、人間にしてはやるようだ』
その声は、よく見知っているのだけれど、何だか神々しいような音を帯びている。
『よくもナメたことをしてくれたな』
そして私を引き寄せるのは……優しい腕。
「シロハンキさま」
『琳』
迎えに来てくれたんだ。でもその頭からは、いつもは隠していると言う白い鬼角が生えている。そして隔り世の色に照らされながらも、それは懐かしい記憶を思い起こさせる。
「お……鬼まで……っ」
当主など顔面蒼白で崩れ落ちた。
『琳は還してもらうぞ』
「還す……だと……!?その娘は矢神楽の……っ」
当主が声を絞り出すが……。
『現し世の戸籍上、その姓が残っただけだ。琳は……もともとお前たちのことわりのそとにある。本当ならばすぐに拐ってしまいたかったが……』
シロハンキさま?拐うとかちょっと恐い単語が出てきたのだけど……でもシロハンキさまなら安心するのだ。
「どういう……っ」
老人が狼狽えるが……。
「シロハンキさま……ううん……お兄ちゃん」
『あぁ、琳』
「ひぃ……っ」
老人は完全に腰を抜かし、2人の若者も……。
「しろ、…はんき」
「シロキシンの……っ」
さすがに将来有望な若者たちは知っているらしい。だが震えてやがる。いい気味だ。
「さて、還るか。あまりこちらにいると、色々とまずい」
もう用事は済んだとばかりにシロハンキさま……お兄ちゃんは私を抱き上げる。え、これお姫さま抱っこぉっ!?
「ぼくが背に乗せたかった……」
ちょ、ユウリン、そんなかわいいことを……。
「いい度胸だな、
それはユウリンの本名だろうか?
ユウリンが途端にびくつく。
「調子に乗りました許してください、我が主」
「分かればいい」
お……お兄ちゃんったら……。
そして颯爽とこの場を後にしようとするお兄ちゃん。あ、だけど……!
「あの……!あなたも……来る?」
私が問い掛ければ、彼は首を横に振る。彼の生きる場所は……まだ、現し世にある。いや、見つけなければいけない。
「じゃぁ、またね、
手を振れば、笑顔で頷いた彼もまた、背を向けて矢神楽を後にする。
――――――見つかると、いいな。
そしてお兄ちゃんに抱っこされて、ユウリンも一緒に矢神楽の敷地を出れば。
「何だ、
「漆!?」
なんと漆が待っていたのだ。
「あやかしの王がこんなとこ来てもいいの!?」
「妻を拐われたのだ。クロキシン自ら現し世に乗り込まねばナメられるだろう?あと、
あ……それって、お兄ちゃんの……。そしてお兄ちゃんの父親なら。
「琳。問題ない。今からシロキシンの元へ行こう。そして真実を聞きに行こうか」
漆がそう告げ、パチンと指を鳴らせば……そこはもう完全に、隔り世の赤であった。
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