第20話 夢の終わり


「何と言う、不吉な名」


「もしや、あれを再び招いてしまうやもしれん」


「この矢神楽では名を名乗ること許さず、そしてこの矢神楽でその名を呼ぶことを禁ずる」



いきなり連れてこられた母の実家で告げられたその言葉の意味が分からなかった。


毎日のように繰り返される地獄のような日々。矢神楽の人間たちには酷い扱いを受け、そしてその使い魔のあやかしたちに襲われる日々。


お守りをもらってからは、あやかしたちが進んで襲ってくることはなくなったが……。退魔師が命じれば、やってくる。しかしこのお守りを、あやかしたちは何よりも恐れていた。


そして矢神楽の中にいて分かったことがある。矢神楽の外で、まりあは私の名を呼んだ。


「琳。琳って名前はね、矢神楽が昔仕留めそこなった仇敵……妖狐に通ずる名前なのよ」


――――――そう、嗤った。


この名を付けたのは、私のお母さんだ。自らも矢神楽の出身であったお母さんがそのことを知らなかったとは考えにくい。


お母さんは何故……私にその名を付けたのだろうか……?


※※※


暗い……暗い部屋。


『……い』

そこで泣いていたのは……確か。


『もう、還れない』


還る家がないのは、かつては私も同じだった。


『だから……だから忘れさせられないように……覚えていてくれ』


何を……?


『君の名は、とても強いものだ。その名前はね……』


懐かしい、夢を見た気がする。


同じ暗闇だけど、どこか風化しているような。

ここは……何処だったっけ……。


男の声が響く。

「起きたんだね。君が無事で良かった」

無事って……。


私に語りかけるその青年は……。


御華月みかづき


刀扇とうせんと呼んでくれないのかな?御華月みかづきってたくさんいるからさ、刀扇とうせんの方がありがたいんだけど」

その名は……。多分呼ばない方がいい。隔り世で、隔名かくりなを授けてもらったお蔭か、御守りのお陰か、自分の中の何かが警鐘を鳴らしているのだ。


「それとも隔名かくりなだったらどう?もう、知っているんだろう?隔名かくりなのこと。ぼくは、オウギ」

まりあとは違い、この男はしっかりとわきまえているようだ。そしてその扇は彼の退魔師としての武器。


「り……っ、うぐ……っ」

私の名を呼ぼうとしたのだろうか。


まりあと同じようにこの男も……。


「ヤヤでいい」

「そうか……ヤヤ。とても美しい響きの隔名かくりなだ」

意味分かってんのか、赤子って意味だけど!?それともバカにしてんのかこの男!!


「ここはどこ?」

お守りを封じるように、右手の甲には札やら呪具を巻かれて固定されており、生身ではなかなか解くことができない上に……。

脚にはそれぞれの足首に足枷のような呪具が嵌められている。まぁ、足枷同士は繋がっていないから歩けるけど。先程から何かを阻むかのようにピリピリチクチクするのだが。


「現し世」

「んなこと分かってんのよ」

隔り世ではないことくらい。

私はまた、現し世に還ってきてしまったのか。あの……後宮は、あたたかい場所が恋しい。


「ここは矢神楽家だよ」

「あんた御華月みかづきなのに、何で矢神楽に……」

「まぁ、2大名家としてやり取りはあるからねぇ。ぼくはヤヤのために矢神楽に協力したんだよ」

「は?」

私のためって……何言ってんの。


「君に告白したのに……君は答えをくれなかったね」

何を今さら……。


「あの。私あんたがまりあとキスしてるの見てたけど」

「……それは知らなかった。使い魔たちも何も報告してないから」


「そんな事情、知るはずないでしょ」

「そうだね。君のことはずっと気にかけていた。使い魔たちにも命じていたのだけど。なかなかいい成果が上がらなくてね。まさか矢神楽の監視が付いてるのかと思ってまりあに探りを入れていただけだよ」

監視……矢神楽が私に付けるとしたら監視。そう、あり得ない話じゃない。守りなんて付けるはずがないのだから、付けるとしたら監視である。まぁ大体は彼らが使役するあやかしを使って痛め付けられ放置だった。お守りを受け取ってからは手酷い目には遭わなくなったけど。


「どうだか……」

むしろまりあの命令でこんなことしてるんじゃないかと思うほどなんだが。


「あと……矢神楽なら、私の名を呼んじゃいけないことくらい分かるでしょ?」

この名前は禁忌の名。


「ぼくは御華月みかづきの人間だから、いいかなぁって」

適当すぎるこの男。


「でも呼べなかったね。お守りとやらを封じても、呼べない」

「封じた……」

右手の甲を見る。


封じられるものなのだろうか……?相手は結界のプロよ……?


「どうやって私をここまで?」

頭がぼやけてよく思い出せない。


「あやかしとの……隔り世との会合は、矢神楽は今完全に締め出されている」

「そりゃそうでしょーね」

あんな醜態を晒したのだから。


「でも、御華月みかづきなら入れる」

「……何したのよ」


御華月みかづきの名で、ぼくは会合に参加して、君を連れ帰ってきた」


「そんなこと……御華月みかづきが許可したの?」

「いや、独断……協力者はこの矢神楽だ。矢神楽の提案にぼくは乗って、君を連れ帰った」

あー……そう言えば会合……私会合に参加していたんだ……。確か菫も一緒にいて……私はお酒を飲めないから……ジュースを飲んでいて……そしてトイレに行ってからの記憶がない。


そうだ……ツタイバラも一緒に来てくれたけど……私はトイレを出た記憶がないと言うことは……出る前に……。


「彼らもきっと知らない君の名を、ぼくは知っているからね……」


「……いや、その前にあんた女子トイレ入ったの?」


「苦肉の策だ」

「クソがっ!!」


「……その点に於いては謝る」

「誘拐についても謝れよ……!」


「それは……君のためなんだ」

「いや、全くそんなことないけど。迷惑なんだけど。何してくれたわけ」


「……っ、だが、君は現し世の人間だろう?それが隔り世で暮らすだなんて……っ」

「隔り世には、私が生きる場所があるの……!ここにはもうない」

お母さんと……お父さん、お兄ちゃんとよにんで暮らしたアパートはもう……ないのだから。


「それは違う!君にも現し世に居場所がある……!来てくれ!」

「はぁっ!?」

ちょっと……意味が分からないのだけど!?


※※※


オウギに連れられて来た場所には、畳に敷かれた布団と、そしてひとりの老人がいた。


「久しいな。楓子ふうこの娘よ」

老人が口を開く。楓子とは、私のお母さんの名前だけど……。


「いや、その、誰でしたっけ……?」

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