第6話 あやかしの宴


「琳。琳。泣くな。大丈夫だ」


恐くて恐くて、暗闇の中で泣いていた。


遠い昔に聞いた音とは違うはずなのに、どこか懐かしい声。


優しい声。


安心する声。


「まだ……まだお前を迎えには行けない」


迎えって……?


「だからせめて、このまじないを」


すると、暗闇の中から白い手が伸びてくる。普通ならば恐怖で固まってしまうだろうか。だがその声は、とても安心させてくれるもので。


その白い手が、私の右手の甲に添えられる。


「これがあれば、よほどの恐いもの知らずでもなければ、お前に近付こうとはしない」

それは……あやかしってこと?


暗闇の中に仄かに揺れる白いもの。あれは、面。

まるで隔名かくりなのように、その姿を隠す面。


右手の甲が仄かな光を帯びる。


色は違うのに、遠い昔に見た、小さなアパートに射し込む夕陽を彷彿とさせる。


不思議で、温かくて、懐かしい。


初めて見るはずの、その面も……。


しかし再び顔を上げれば、そこには白い面もなく、白い手も……消えていた。


暗闇は去り、狭い物置小屋には、ただただ懐かしい色の夕陽が射し込むだけ……。


※※※


懐かしい夢を見た気がした。


「で~きたっ!」

出来立ての卵焼きは、お母さんのレシピ。矢神楽では使用人のようなこともさせられていたから、料理もしていた。

ほとんどが無惨に打ち捨てられて……むしろそのために作らされていたものだけど。

でもお陰で腕はなまっていないはずだ。


「どうかしら」

「王もきっと、喜ばれましょう」

宮の料理担当が満足げに頷いてくれたからか、少し自信が出てきた。

ツタイバラにお願いして、急遽厨房にお邪魔したというのに……ありがたい。


「シロハンキさまも喜ばれるかしら」

「もちろんですよ。でも一番は王に」


「……そう、かな?」

「えぇ、むしろ真っ先にシロハンキさまに食べて欲しいと言えば、王は沈みますよ」

「……うん……?」

懐かしい夢を見て……何故かお母さんの卵焼きを作りたくなって……シロハンキさまにご馳走したいと思ってしまったのだ。


だから、シロハンキさまに是非……!と厨房に駆け込んだのだが……。

いつの間にか王……漆への愛妻料理のようになっていた。


「じゃぁ漆の後に、シロハンキさまにも食べてもらうんだから」

ツウにはたまらない、出汁の効いた卵焼きの……端っこ。またの名を、ミミ!


ツタイバラにはその言葉に苦笑されつつも、『王の前ではご内密に』と釘を刺されてしまった。


※※※


卵焼きと小皿を持って、給仕担当たちと朝食のための居間に向かえば。漆が頭を抱え、そしてシロハンキさまが呆れ顔で漆を見ていた。


――――――一体、何が……?


「くぅ……完全に

しくじったな……」


「全部お前のせいだ、諦めろ」


「だがしかし」


「お前がやったことだ、諦めろ」


「お前はそれしか言わん!仮にも正妃だぞ……!」

「仮で悪かったな。それもそもそもはお前のせいだろう。ふざけて俺を正妃なんぞにしたお前の責任だ。甘んじて受け入れろ」

「うぐぐぐぐ……っ」


「あの……一体何が……?」

用意されていた席……シロハンキさまの隣に腰かければ、私とシロハンキさまの正面真ん中に腰掛けていた漆が不満げに口を開く。


「人間の側室を迎えたのだからと。次はあやかしの側室も迎えろと言うことで、隔り世の長老たちが強引に宴を手配してしまったのだ」

「エゾたぬたん!」

「いや、長老たちのなかにタヌキあやかしはいないが?」

そうだった……エゾたぬたんは、いないんだった……。

く……っ、冬もこもこ……!


「しかし何故準備が既に終わってるんだ……!早すぎるだろ!何せ宴は今夜だぞ!」

「え、こ……今夜ぁっ!?」

いくらなんでも早すぎるのでは……。用意周到すぎるとか言う前に、私が側室になったの……昨日では……?


「しかしあいつら……。早く妃を迎えろと何度も何度もしつこいからにぎやかしにしるしを正妃にしたら少し大人しくなったのに……っ。その後男同士だから跡取りができないことを早々にツッコんできたからな……!」

いや、それは当たり前だからでは……?むしろそのための結婚なのではと思ったが。


「そもそも何でいたずらで……にぎやかしでシロハンキさまを妃にしたわけ……?」

「いや……その。長老ジジイたちが王になったのだからと、妃を妃をとうるさくてだな……。しかし下手に気位が高かったり、無駄に浪費するような者を正妃になど迎えてみろ。私の心労がもたない。隔り世の王とて資産は有限。過度な浪費はお断りだし、何より後宮の管理も正妃の仕事。これをしっかりとこなしてくれねば話にならん。……その分、しるしなら安心だ。色恋に怠けて王の妃の仕事を投げ出したりしないマジメちゃんだからな!最初は反抗してきたが、滅多なことがなければ、王の正妃などやめられぬし、離縁もできぬ。あやかしの結ぶ縁とは、そう簡単に断ち切れるものでもないのだ。今では後宮の管理もちゃんとしてくれるし」

その……それって単にシロハンキさまに仕事やらせるため……?

そこにBとLがあったら歓喜するが……これ完全に仕事押し付けてるだけでは……!?う、漆ったら……。


「しかしなぁ……。しるしをしれっと妃にして、側室として琳を迎えたからうまくいったと思ったのに……!!」

はかったのか、こやつ。私をシロハンキさまの側仕えじゃなくて側室にしたがために……。完全に自業自得だろ。あれ……そもそもの疑問なのだが、漆はどうして人間の私を側室に迎えたのだろうか。

昨夜もお渡りだの言って普通に部屋に来たし。

結局はシロハンキさまも来て、みんなで川の字楽しかったけど。

そして未だにうぅ~~んと唸る漆に対し、シロハンキさまがしれっと口を開く。


「シロキシンからの制裁じゃないのか?」

「うぐ……っ。し、シロキシンか……。しかしチクったのはお前だろうがぁっ!ほんっと父子おやこそろって……っ!」

「俺がチクらなくても、シロキシンならすぐに掴む」

ふぇ……父子……?

シロキシンさまって言う方は……シロハンキさまのお父さん……ってことか。


その割には隔名かくりなで呼んでいるけれど、それも隔り世ルールなのだろうか。


「まぁまぁ、そのくらいに。せっかくの朝ごはんが冷めちゃうし、私も特製お出汁の卵焼きを作ったんだから。ほら、ふたりも」

切り分けた卵焼きを小皿に盛り付け、ふたりにも配ってあげる。卵焼きって、冷めないと上手く切れないと言うけれど、コツさえ掴めばアツアツでもきれいに切れるのよね。だからまだほんのり温かい、ふわふわの卵焼きである。


しかし漆に小皿を回し、シロハンキさまにも配ったところで、給仕たちがピタッと固まる。

ん……?私が配っちゃいけなかっただろうか……。彼ら彼女らの仕事だから……?


「ヤヤさま!シロハンキさまに卵焼きのミミを出してはなりません!」

ミミ、つまりは端っこ。

えぇぇっ!?ツタイバラ、何で!?

「美味しいのに~~!」

オススメだからこそ、片方をシロハンキさまにと思ったのだが。なお、もう片方はしれっと作った私がもらうつもりである。その代わりに漆にはキレイに焼けた部分をあげよう。やっぱり王さまだからね。

……そうして、切り分けたのを盛り付け配ったのだが。


「美味しいとかそう言うことではなく、シロハンキさまは正妃!側室のヤヤさまよりも立場が上なのです!そのようなことをしては失礼にあたります!」

「あぅ……端っこはダメなんだ……」

隔り世ルール、また知らなかった。


「じゃぁ、ミミは私がいただき……」

ます、と言おうとしたのだが、シロハンキさまはそのままミミを箸で取り、口に放り込んだ。

ほぇ……?


「別にいい」

もぐもぐと咀嚼しながら、シロハンキさまが告げる。

「でも、失礼だったのでは……」


「いや……。俺は構わない。だが漆にはやるな」

「……っ!分かりました!王さまですからね!」


「おい、そこのふたり。しれっとのけ者にされているようで私は傷付いたぞ」

いや、でも……王さまに出すわけには……ねぇ?


「あ、そだ。味はいかがですか?」

「うむ、美味しい」

漆も口をつけてくれて……それから。


シロハンキさまは……。


「あぁ、美味いよ」

「よかったぁ……!」

何でだろうな……。何かとても嬉しくて。


「明日も作ってきますね!あ、ミミ付きで」

「ヤヤさま」

「ぎくっ」

ツタイバラの目が光るよぉぉ。お猫さまに睨まれちゃってしゅーんとなるよぉ。


「俺のなら構わない。俺が望むことだ。ツタイバラ」

「……シロハンキさまが、そう仰るのでしたら」

シロハンキさまの言葉を受けたツタイバラはさっと引っ込むが。


「……王にはいけません」

そう、こそっと釘を刺されてしまった。あうぅ……出さないよぉ……だって出しちゃったら私の分がなくなるもん~~。

「そうだな、それはいけない」

シロハンキさまも……!私の分のために……!


「是が非でも食べさせないようにしてないか……お前ら。まぁ、いい。琳は今夜着ていくころもを選ぶがよい。特注とはいかないが……宮にもあるだろう?しるし

「そうだな。宮にもいくつか王の一族伝統のものがあったはずだ。いくつか用意させるから、その中から選ぶように。ツタイバラ」

「承知いたしました」

シロハンキさまの言葉に、ツタイバラがふんわりと微笑み頷く。


えっと……その、私が着るお着物のこと……だよね?

その……夜のってことは……。


「え……その、お着物?今夜のパジャマですか?」


「何を言っているんだ……?今夜の宴に着ていく着物だぞ、琳」

「え」


「お前も今夜の宴に行くのだぞ」

「うえぇぇっ!?どうして私が……!?」

そんな、あやかしの王の宴とか……!あやかしの側室を選ぶ宴とか……!そんなオタクの心を揺さぶるイベントに突然参加とか……っ。うえぇぇっ!!?


「琳は私の側室だ。そして側室は現在琳のみ。と言うわけで、琳は側室筆頭。正妃の次に私が寵愛する妃なのだから、来てくれないと寂しいな」

「シロハンキさまの次にちょ……寵愛されてるんですか……!?」

「いやまて、そこなのか?」

「そこ重要では……!?」

「なぜそうなる……!?しるしは重用はしているが……BはLしない!」

「うぐあぁぁっ!!」

分かってた…、分かっていますとも。

そこにオタクのトキメキは……ないのだと……っ!くぅっ!!


「うぉらぁっ!てめーが変なこと言うから、また琳が変な方向にトキメいただろうがぁっ!!」

「がはぁっ!!」

そしてシロハンキさま、すばやい。すばやく漆の後ろに回り込み、ヘッドロックをキメていた。


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