第13話 始まりの場所 中


普段は誰も入れないようにしていると言う北端の屋敷。ここに来たのは、久々だ。


あの時と違うのは、今はまだ陽が明るいと言うこと。そして禾稲と伊那が一緒だと言うことだ。


「月花さんも最初不思議に思ったことでしょう。私には息子は……刹那しかいないのではなかったかと」

「……はい」

伊那の言葉に月花は素直に頷く。


キイィッと扉は開かれる。

その奥へと足を進める。そこはとても寂しく、けれど獣の悲しい咆哮を聴いた気がする場所。


その屋敷の中を進みながら、伊那が言葉を続ける。静かな抑揚のその声すら響く、何もないガランとした屋敷の中。家具もなければ、生活感もない。


「私は巫女の婚約者がいる身で、かつてただびとを……もうご存じかと思いますが、穂揺の姉を愛してしまいました」

「……はい」

穂揺が禾稲の叔母であり、穂揺が巫女の一族ではないならば、穂揺の姉である禾稲の母親もまた、巫女ではないただびと。


「彼女はただびとの身で、禾稲をその身に宿した。それには私も……婚約者がいる身で行ってはいけないことだと分かっていました……。だからこそ婚約者との婚約を穏便に解消し、そして彼女との婚姻を希望しましたが、当時の帝……先帝ですね。その答えは否でした。彼女は巫女ではないから、守護者の私の力を鎮められない。そして朱桜家の異能持ちも安定しない。何のための守護者か。そして巫女か。それを考えれば分かりきっていたことでした。私はなくなく彼女を分家に送り、婚約者の巫女が18歳を迎えた日、巫女と、前妻と婚姻を結んだのです」

それが、刹那さまのお母さま。


「そして暫くして禾稲が生まれたこと、更には禾稲の母が出産に耐えきれずに亡くなったことを知りました。さらには禾稲は守護者のごとき異能を持っていた。彼女には……ただびとには耐えきれぬものだったのです。それでも彼女は私との子を……命を懸けて産み落としました」

だからこそ、穂揺は忠告を与えたのだ。姉のような悲劇を繰り返さないように。


「ただ……本家の直系として育てるには前妻が反対しました。けれどこれほどの異能を持つ禾稲を分家で育て続けるのには無理がある……。そこで、直系に近い……弟夫婦の子として育てられ、那砂は姉代わりとなりました」

だからこそ……那砂と禾稲は本当の姉弟のような仲で……いや、本当に姉弟として育ったのだ。


「しかしその後、前妻との間にはなかなか子宝に恵まれませんでした。巫女と守護者だと言うのに、情けない。いえ、決して彼女は悪くありません。ほかの女性と子を成した私の元へと嫁いでくれたのですから。これは私の罪なのです」

本来ならば、守護者と巫女は相性がいいはずなのに。それも絶対ではないからなのだろう。


――――――伊那が犯した罪。その答えが恐らくこの屋敷にある。静かに伊那の言葉に耳を傾ける月花は、そっと禾稲の手を握れば、禾稲が握り還してくれるのが分かる。


「禾稲が産まれて4年後。前妻との間に待望の嫡男……刹那が生まれたのです。ですがご存知の通り……刹那は異能を持たなかった。何年経っても、彼女がいくら切望してもその異能を開花させることはありませんでした。当然です。異能持ちのトップである守護者の私が、刹那が異能を持たないことを何よりも分かっていたのですから」

それは月花も知っている、朱桜家の悲劇。嫡男を迎えながらも、嫡男が異能を発現させることはなかった。そしてそればかりが事実として目立ち、当主の弟夫婦に育てられた禾稲のことはなかなか表にでなかった。もしかしたら伊那は異能を持たない、発現させつことができない刹那のために、禾稲の守護者としての異能を表に出さないようにしていたのだろうか……。


「しかし禾稲が成長するにつれて、もしや禾稲こそが次代の守護者なのではないかと一族内で噂される中、自ら産んだ子が異能を持ち得ない……守護者になり得ない事実に彼女は……壊れてしまいました。私は当時、彼女を傷付けないよう、彼女への贖罪のためひたすら戦場に身を投じていました。でも今思えば、しっかりと彼女に向き合うべきでした。戦場から帰るなり、弟に連れられて駆け付けた時には……既に遅かった」

伊那は後悔の念を滲ませながら言葉を紡ぐ。重い重い、けれど避けては通れぬ真実を。


「彼女は……異能を目覚めさせる訓練と称して刹那を狭い部屋に閉じ込め、過激な虐待を加えていたのです。そして使用人たちもまた、刹那の異能を目覚めさせるためだとそれを黙認した。刹那は、助け出された時、既に痩せ細りしゃべることもできない状態だったそうです。あれは……刹那が12歳の時の話でした」

刹那さまがそんな目に遭っていただなんて。月花はショックを拭えないながらも、……そしてそれは、かつて死に別れた半身の記憶と重なると感じた。


「刹那を間一髪で助けたのは禾稲です」

「禾稲が」

「あぁ……」

短く答えた禾稲の手の平に力が籠る。


一体、何があったのだろうか。


「禾稲は刹那を助け出した時に異能を使いました。そして彼女はその異能の恐ろしさに遂に……壊れ、刹那が元気を取り戻すのに比例したように衰弱して亡くなりました」

刹那の母もまた、姫花のように異能持ちを、守護者を恐れて亡くなった。それに関しては伊那自身も責任を感じている。しかしあの時、姫花に守護者の巫女として相応しくないと言う判断を下したのはそう言う背景もあった。


「もちろん、彼女の行為を黙認した使用人たちは総入れ替えし、弟のもとで使用人をしていた穂揺さんに来ていただき、体制の一新をはかり、私自身、戦場に身を投じすぎた責任からしっかりと朱桜家のことを把握できる範囲にとどめることにしました。足りない部分は弟やほかの異能持ちにも補填してもらいつつ……ね」

それで穂揺は今本邸にいる。もともとは亡き姉の忘れ形見である禾稲のために、伊那の弟の元にいた。


「しかし、その後禾稲を本家の嫡男として迎えようとした時。守護者であるはずの禾稲が猛反発いたしまして。戦場には私の穴を埋めるように身を投じ……かつての私のようだと心配しましたが……それでもそれは刹那のことを思ってのことだと感じていました」

そうか……禾稲は刹那さまの立場を守るために、その座に就くことを厭うた。


「私も刹那には焦らなくてもよいと伝えましたし、異能持ちの中には戦闘に向かないものもいる。だからこそ刹那の活躍の場はあるのだと励ましながら生活していたのですが……しかし自体は一変しました。いいえ……もっと前から刹那はきっと……決めていたのでしょう」

一体……何を?


「2年前のことです。刹那は……表向きは出奔して行方不明と言う形になりましたが……実はこの屋敷の地下にいます」

「ここに……」


「えぇ……あの子は異能を目覚めさせられないことを嘆き……異能持ちの本質に手を出してしまったのです」

それは一体どう言う意味なのだろう……?


「俺が月花を連れていく。アンタは……ここで待っていてくれ」

「……ですが」

禾稲……?ひとりで私を連れて地下に行こうとしている禾稲を、伊那が止めようとするが。


「いい……。これは俺の責任でもある」

禾稲の責任でもあると言うのは一体……。


「……分かりました。ですが何かあれば呼びなさい」

「……分かった」

伊那の言葉に、禾稲がいつものように短く答えるが……。その顔は……どうにも暗く、翳りを拭えない。


月花は不安を覚えながらも、禾稲の手の平を握りしめ、ゆっくりと地下へと続く階段に足を踏み入れた。



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