第9話 偽りの花
「こたびは縁談を受け入れてくださり、感謝の言葉にたえません。朱桜家に嫁ぐために参りました。栴檀月花と申します」
そう告げたのは、もちろん月花ではない。しかしその顔に月花はあり得ないと叫び声をあげたくてたまらなかったが、平穏に暮らし始めた今も彼女から受けたさまざまな苦痛は揺らぐことはない。
彼女は……目映い金色の髪を茶色く染め上げながらも、その碧眼と張り付いたような美しい顔立ちを忘れるはずも、見間違うはずもなかった。
【栴檀月花】が身に纏ったこともない鮮やかな紋様があしらわれた高級な着物に袖を遠し、頭には煌びやかな簪を指している。
少なくとも彼女が見下してきた栴檀月花はそこにはいない。簪も、ちょっとした髪飾りですらつけることは許さず、誉に昔もらった小さな髪飾りですら私には不釣り合いだと奪いとった。そして誉には私がくれたのだと嬉しそうに話した。
――――それに誉が怒ることはなかった。ただその髪飾りが似合うと姫花を褒めたたえた。
月花は誉に怒られなかったことにだけ安堵し、その異常さを見抜けなかった。月花にとって姫花の癇癪は恐るべきものであり、そして唯一の味方だと思っていた誉に嫌われたくなくて。
ただ、それだけで。
月花は必死だった。生きるのに。たったひとりの味方だと信じた誉に嫌われたくなくて。
けれどもう失った。奪われた。だから今にして思えばそれがおかしいことに気が付く。もう……誉に嫌われぬよう心を殺す必要もないから……。
けれど、どうして姫花は。
月花から誉をも奪い、その妻の座をもぎ取ったと言うのに。
どうして月花の振りをしてここに現れたのか。そんなことは決まっている。
――――――――姫花は守護者の妻の座が欲しかったのだ。
一度は当主の後妻になると聞いて嫌だとごねて、それならばとかねてから狙い、手中におさめていた誉と結婚した。
だがしかし、蓋を開けてみれば朱桜には禾稲と言う跡取りの守護者がおり、そのみ嫁いでいれば姫花は財も名誉も、そしてうら若い伴侶も手に入れられたはずだった。あの強欲な姫花が……欲しいものはその癇癪で何もかも手に入れてきた姫花が、諦めるわけがなかった。しかし姫花は既に結婚している。帝じゃない限り伴侶を複数だなんて無理だ。いや帝だって妃は複数いるだろうが、それでも妻である。夫を複数持つ妻なんて聞いたことがないし、この国の法もきっと認めない。
いくら栴檀が巫女の大家であろうと、それを許せば巫女の家がまるで皇家に並ぶように映ってしまう。
それだけは帝も許さない。たとえ縁談の破談を一度認めたからといって。
だが……私がここで彼女が偽物だと告げても、正しいのは彼女とされてしまうだろう。
巫女の力を持った彼女こそが第一で、そしてそれが罷り通ってきた。
さらに禾稲には巫女の力を秘めた姫花の力が何より必要である。
もしくは栴檀が用意した全くの別人であったなら……少しは、ましだっただろうか。
だけど禾稲が姫花のものになってしまうのが何より悲しくて、寂しくて、苦しい。
そして恐らく私がここにいることに姫花が気付いたのなら、確実に追い出される。今度は禾稲を懐柔し、禾稲にまで裏切られて……捨てられる。
これも私が真実を言わなかった罰だとでもいうのなら、それは受け入れなければならないこと。
だけどもしそうなったならば。
――――――――ごめんなさい。
やっぱり私は……この世界で生きていくことなどできない。あの時『死ぬな』と止めてくれたあなたがいなくなるのなら……もう生きている意味などないのだ。
月花は絶望にうちひしがれるように俯いた。早くこの場から逃げ出したい。ここにいたくない。どうせ禾稲に捨てられるのなら、もういっそのこと……その前にこの命を絶ってしまおうか。
あの時……いやもっと早く。禾稲が止める前にあの刃を突き刺していれば。
更なる絶望を味わうこともなかったと言うのに。
月花はそっとその場を後にしようと思っていた。しかし当主の放った言葉に思わず息を呑んだのだ。
「いや、君は月花さんではないだろう?」
どうして……。どうして当主はそれを見破ったのか。月花は信じられないことがこの場で起きていることに目を見開いた。
「な……何を……っ、私は、私は栴檀月花ですわ……!」
月花の皮を被った姫花は額から冷や汗を垂らしながら必死に訴えるが、当主の顔は覚めたものだった。みな、誰もが姫花の美しさの虜になったと言うのに。その虜になり得なかったものは……ない。ないように、されたのだ。
「いや、君は月花さんではない。君は栴檀姫花さんだね。守護者や巫女を集めた宴で、私は君に挨拶をしたことがある。残念ながら刹那は異能を開花することができず、君と会わせることができなかったが」
私は一度もそのような宴に足を運んだことはない。それらには必ずと言って姫花が出席するものだったからだ。
「思えば、来られない姉の月花さんの代わりに、婿殿の同伴として来られていたが……そう言えばいつもそうだった。月花さんは病弱で来られない……と言うことだったが」
そんな……そうだったの……?月花は驚愕の連鎖に頭の回転が追い付かない。そう言った宴に、誉が参加しなくてはいけないことは知っていたし、宴に参加する誉を見送れど、まさかその頃からずっと、姫花と共に同伴していただなんて……っ。
しかも月花が病弱で欠席と言う話は、月花自身初めて知ったことだ。月花はずっとお留守番だった。将来栴檀家を継ぐ立場でも、参加を要請されるのは異能持ちの術師である誉。そして栴檀の家で確固たる地位を築き上げていた姫花だけ。
月花はずっと……働かされていた。栴檀家の雑用に、巫女が手ずから仕上げなくてはならない物品の用意など。
病弱で欠席したわけではないのに。世間ではそう言うことになっていた……。
しかし……姫花の顔を知ってるのは分かったが、当主は何故【栴檀月花】は偽物で、彼女が姫花だと見破ったのだろうか。
「わ、私は、私は月花です。姫花は……妹ですから、顔が似ているのだと」
あんなに似ていないとばかにしておいて。両親にも怒鳴られ、否定され、そしてそれを盛り立てるように姫花が笑い、自分こそが両親の血を引く正統な娘であると告げる。
姫花に似ていたことなんて、一度もない。月花は渦巻く怒りを呑み込みながら、それだけが救いだと言い遺し、命を散らせていった片割れを想う。
死んだら……地獄で待っていてくれるひとなどいない。きっと片割れは極楽浄土へ行ったはずだ。
彼はただ、片割れを守ろうとしただけだ。そのために、ひとではないものになろうとも、暴力にさらされながらも、いつもいつも、月花を守ってくれた。月花の大切な……片割れを想う。
死んでしまえば二度と彼に会うことはない。けれど生きていても彼にはもう二度と会うことはない。けれどどこかで繋がっていると思えるこの感覚は……死して魂が地獄に落ちれば、なくなってしまうだろうか……。
でもそれなら、せめて来世こそは。片割れだけは幸せになれるよう、この命を捧げれば……っ。
巫女の力もない私が捧げられるものなど、この命しかないのだから。
だけど禾稲の隣ならまだ生きられるのではないかと思った。だから私はまだ、生きている。そして当主さまは、悪魔のような女に、絆されることはなかった……。
月花は呆然としながらも、当主の言葉に耳を傾ける。
「君のお父君も婿殿も、異能持ちだ。だからこそ知っていると思ったのだが。君をここに月花さんの振りをして遣わした時点で……そのことを忘れているのか。それとも知ることすらなかったのか。戦場に立つことのない、立つことができない異能持ち故の愚行だろうね」
当主の言葉はどういった意味なのだろう。守護者の家で跡取りの守護者に選ばれずとも、巫女の家に婿入りできる術師は幸運な立場ではなかったの?それゆえに、男が冷遇される栴檀の家でも父親と誉だけは特別な存在だった。
姫花のおねだりに、父親がうんと頷けば、全てはその采配通りに動く。
巫女の家に婿入りする異能持ちとは、そう言う存在ではなかったの……?
「異能持ちは巫女を判別できるのだよ。巫女同士がそうであると判別できるのと同じでね。だからこそ私は君が姫花さんだと言うことがわかる。とりわけ守護者と言うのはその本能が強い。禾稲が守護者の地位を引き継いだとは言え、先代守護者。それを判別できないはずがないんだよ」
当主が告げたその言葉に、姫花はぽかんと口を開けている。知らなかったのだろう。そして誉も父親も知っていたのか、知らなかったのかは分からない。だがここに姫花の顔を知っている当主の前に差し出してきた時点で知らない可能性は充分にある。そもそも栴檀の家を好き勝手にしてきた姫花である。あの2人の許可などとらずに、使用人たちを使い勝手に来た可能性もある。
何よりあんなに姫花にベタぼれだった誉が、姫花が月花の振りをして守護者に嫁ぐことなど許すだろうか?
「それにね、異能持ちは既に別の異能持ちと繋がった巫女は判別できるのだよ。だからあなたが既にほかの異能持ちに嫁いだことは分かるし、同胞の異能持ちに嫁いだ未亡人を、夫を失った後に不自由なく暮らしていけるよう手配することはあれど、一度異能持ちと契った巫女は、ほかの異能持ちには選ばれない」
月花が初めて知る事実である。そして同時に姫花も。それを彼女らの父親ーー異能持ちである彼が知らぬはずがない。
やはり姫花は2人に何も告げず、自らが守護者の妻になるためにここに押し掛けたのだと月花は悟る。
姫花はあの家で絶対的存在。もう既に栴檀で絶対的な地位を築いていた父親すらも追い越して、跪かせ、その頂点に君臨する。だからこそ、栴檀家として朱桜家に縁談を持ち込むことすら容易なことだったのだ。
そして自分が選ばれるであろう絶対的な自信。それを持ち朱桜家に押し掛けたものの……彼女は大切なことを知らなかった。自らが傀儡にした異能持ちたちの意見など彼女には関係ない。彼女こそが全て。彼女こそがルールなのだから。それが通じないことなど、想像できたはずもない。
「我が朱桜家側にも過失があったため、帝の温情により縁談は破棄されたとはいえ……跡取りを公表した途端に手の平を返して、既婚であるのにのこのこと来るとは……朱桜家をバかにしているとしか思えない」
「そんな、待ってくださいお義父さま!私のような見目麗しい美少女が、お義父さまの娘になるのですよ!?さらには巫女の力も膨大!きっと禾稲さまを満足させられます!帝だってきっと賛成してくださるはず……!」
それは姫花が散々嫌がった相手だと言うのに、若き守護者の後継者が決まれば途端に義父扱いで腰を振る姫花に、さすがの月花も絶句しかない。
そして姫花が禾稲の名を呼ぶことが、辛く、こんなにも胸を締め付ける。
しかしさすがに帝の名を出したことに、当主は戸惑ったような表情を浮かべる。
そして不意に縁談会場の襖がすとんと開いた。
「ほう……?面白い話になっているではないか」
現れた人物の顔を目にした姫花は次の瞬間、悲鳴を上げた。
「いやあぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!?化け物おぉぉっ!!!助けてぇっ!お義父さま、禾稲さまぁ!早く!化け物を退治してえぇぇっ!」
※※※
アァ……オモシロイ
オモシロイ
いつのヨモ、人間とハ、巫女とハ……
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