第8話 私じゃない月花


望まれた化け物と成り果てタ。


巫女はそれでもその座が欲しいのカ。


いや、そんなはずがあろうカ。


ヒトの姿を保てなくなった化け物など、化け物デしかなイ。


化け物は愛しい巫女を喰ロフテしまわぬヤウニヒトの姿を纏ったガ。


巫女は化け物がヒトの皮を脱げバ、化け物を化け物トシテシカ見なイ。


守護者に殺せと泣き叫ブ。


アァ……なんと愚かしイ。

愚かしイ。

愚かしイ。


それでもあなたはそんな愚かしイものを選ぶのカ。


けれどその音は、脳裏に焼き付く不快な音とは違ウ。


力を持たなイ。弱々しイくせ二。

化け物となったこの御霊にかくも美しい音色を届けル。


それはトテモホシイモノ。

この血肉ノ糧とシテ欲するもの。

ホシイ、それがホシイ。

この渇いた喉を潤しソウナ、うまそうな音色を奏でル。


アァ……そうか。だから……だから喰ラハヌヤウニ……


ぼくたちは、ヒトの皮を纏フタノカ……。


※※※


「みんな~!この子が禾稲が離れで人知れず囲っている……月花ちゃんよ~!」

いや……人知れずって……その。一応当主の許可は得ているはずなのだけど。月花は戸惑いつつも那砂に連れられ本邸を訪れれば、ほかの女性の使用人たちに囲まれ紹介されたのだ。


「あら、噂の!?」

「禾稲さまったら全然本邸に連れて来させないんだもの!」

「やぁねぇ。私たちが虐めるとでも思ってるのかしら。それとも……独占欲?」

「やだ、ステキ!」

どうなることやらと思いながらも彼女たちは月花を好意的に迎えてくれているようだ。


「でも、それ以上はダメよ。守護者の妻は、巫女じゃないと」

しかしひとりの女性が告げた事実に、月花は頷くしかない。


「ちょっと……」

那砂が抗議するが。


「でも、大切なことよ。それは禾稲さまが一番よく分かっていらっしゃる」

それはどういう意味なのだろうか?

桃色の髪にタレ目がちな鶯色の瞳を持つ彼女はどこか月花が忘れてしまったけれど、恋しく思わずにはいられないような存在を思い起こさせる。


「末端の術師ならただびとを娶ることもある。巫女もそんなに余っているわけではないから、むしろその方が一般的ね。でも守護者だけは……その血に近い術師は、巫女ではないといけないの。それが禾稲さまのためにも、月花ちゃんのためにもなることよ。禾稲さまは、あの方は優しい方だわ。だからきっと……月花ちゃんがその命を削ることを望まないわ」

命を、削る……。巫女でないものが守護者やその近しい異能持ちの伴侶となればどうなるのか、月花は知らない。それでも巫女の力をほとんど持たない月花には同じことだ。

彼女は月花のために、そう言ってくれている。

そしてあの晩『死ぬな』と言ってくれた禾稲の言葉に……今は応えたいと思うから。


「分かっています」

月花は決意を込めた表情で頷いた。すると女性は意外そうな表情をしつつも柔らかく笑む。


「まだこんなに若いのに、しっかりしているのね」

そうして撫でてくれるその手は優しく、禾稲の手の平とはちょっと違うけれど、懐かしく、温かくなるものだった。


「何かしんみりしちゃった……ごめんね。でもあなたたちも縁談を見に来たんでしょう?行きましょう」

そう女性が告げれば、那砂が月花の手を引いてくれる。


「あの方は私たちのリーダーと言うか。本邸の女性の使用人たちの取り纏め役の穂揺ほゆらさん。本邸だけじゃなくて、離れや別邸の女性の使用人たちの管理も担うから、月花ちゃんも何かあったら頼るといいよ。ちよっと厳しい話になっちゃったけど、それも……朱桜の家で暮らしていくには必要なことだから……。穂揺さんはみんなのお母さんみたいなひとだからさ。みんなが言えないこともああして言ってくれる。厳しく感じるかもしれないけど……それでもあのひとがいるからみんな、この家でもやっていけるんだと思ってる」

那砂が寂しそうな表情を浮かべる。

お母さん……。月花がかつて恋しく思いながらも、その愛は月花は決して得られぬものなのだと諦めてしまった存在。


彼女に感じたのは、そう言うことだったのかと月花は納得する。


そして、この家で暮らしていくには……。

真実を知った時でも、那砂は……彼女たちは、月花のことをそう言ってくれるのだろうか。


――――――縁談会場だと言うお座敷にあがれば、そこはいかにも格式の高そうな場所で、那砂の言葉通りお座敷の端にはほかの使用人たちも見える。


「(みんな、フォーメーション・桜吹雪よ!)」

那砂が小声でそう告げると、周りの女性の使用人たちが同じく小声で『(オッケー)』と返してくれる。

すると月花は隠されるようにして彼女たちの影に隠れるようになるが、しかし隙間からお座敷の中央の座卓に腰掛ける禾稲の姿が見えた。


そしてその隣には……グレーの髪に朱色の瞳の40代くらいの男性が座っている。


「(月花ちゃん、あの方が伯父さま……朱桜当主の伊那いさなさまよ)」

那砂がそう教えてくれる。あの方が……。姫花は相当嫌がっていたけれど、とても優しそうな方だ。そして禾稲のお父さまなんだよね。月花は2人の様子を、桜色の衣の影に隠れながら見つめる。


2人のすぐ傍らには、先ほどの穂揺が控えている。


「(うちの旦那も禾稲の逃走対策には効果覿面てきめんなんだけど)」

か、禾稲の逃走対策……!?そんなことを講じさせるほどに禾稲は逃走癖があるんだろうか。

月花は意外に思いつつも、では何故今は穂揺が……?と首を傾げれば、那砂が続けてその答えをくれる。


「(うちの旦那、あまりこう言う場向きがしないから、今回は穂揺さんが側に控えてるの。穂揺さんも禾稲の逃走防止には有効なのよ)」

那砂の夫が場向きしないと言うのは何故なのか気にはなるけれど。


「(穂揺さんは禾稲の叔母だから)」

叔母……さま?

「(じゃぁ、那砂さんの……?)」

禾稲と那砂は従姉弟である。それならば、穂揺は……。


「(私は父方の従姉。私のお父さまが伯父さまの弟なのよ。対する穂揺さんは禾稲の母方の叔母にあたるの)」

「(禾稲の、お母さまの……?)」

「(そうね……もう亡くなられているけれど。穂揺さんのさっきの言葉は……そう言うことでもあるの)」

先ほどの言葉……。守護者の妻は巫女でなくてはならない。

――――――と言うことは禾稲のお母さまも巫女と言うことだ。当主の前妻は亡くなっているものの、巫女だったはずである。


あれ……と、月花は胸の中でふとした疑問に行き当たる。

前妻との間の子はひとりだけしか生まれず、その子はずっとずっと、異能を目覚めさせることができず出奔し、行方不明になったのではなかったか。それも確か……生きていれば姫花と同い年の18歳。

だからこそ姫花の婚約者にあてがわれたけれど、彼は異能を目覚めさせることができなかった。


彼の名前は……朱桜刹那せつな

だが今ここには、当主の息子である禾稲がいる。それも刹那よりも年上の、嫡男で守護者である……。


これは一体どういうことなのか。


そして穂揺は巫女ではない。巫女としての力はほとんどなくとも、巫女同士は触れ合う。玉のように触れ合い、音を鳴らす。その音で巫女は巫女同士を認識し、同時に巫女の能力すらも推し測るのである。


月花はずっと、不釣り合いな不快な音だと言われ続けた。対する姫花はまるで天の輝きのような美しい音色を奏でる。

巫女の中でも高位の存在だ。

もしかしたら穂揺は巫女の一族ながら巫女の力をほとんど持たなかったのかもしれない。しかしそれでもその音色は巫女の血に、身体に触れ合う。


それが穂揺にはなかったと言うことは、穂揺は巫女の一族の出身ではない。それが行き着く真実は。禾稲の母親が巫女ではなかったと言うこと。にもかかわらず守護者を産み、そして穂揺の言葉を借りるなら命を削って……いまは既に亡きお方となった。

穂揺はその悲しみを身近で知っていたからこそ……。


だから月花はやはり禾稲の妻にはなれないのだと、本当の栴檀月花はその隣に相応しくないのだと言う事実が心に重くのし掛かる。


――――――きっと優しい禾稲は、望まない。


それでも側に置いてくれるのなら。月花は真実を隠したまま、罪の意識を抱きながら、自分ではない自分と禾稲の婚姻を祝福する。それだけだ。月花の生きる居場所も生きる理由も、最早ここにしかないのだから。


だから、誰が私じゃない月花なのか、せめて見定めよう。


場の空気が緊張し、【栴檀月花】が到着したとの一報が流れ、そして縁談会場へとその姿を見せる。

あなたは一体、誰なのだろうか。


固唾を呑んで見守る月花の前に姿を表したその顔に、月花は身を強ばらせた。


――――――――そんな、バカな。

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