第7話 縁談
ソノ安寧は、
荒ぶルその獣の血を鎮めたのは誰ガ。
荒れ狂うあなたはとても美シク、強ク、狂おしいほどに愛おしイ。
そんなあなたをずっとずっと追いかけていタ。追い付きたかっタ。
だからこそ、異形のモノに戻っテ、あなたの先で待てドモ。
そこで気が付くのダ。
ぼくはその先へ来てしまったから、あなたを手にスルことがデキナイ。
あなたのその安寧のイミヲ、理解できナイ。
だけど知っていル。
その安寧が持つ悲しも、寂しさも。
だからこそ、怨めしいクハない。
見てイルものは、同じ。
求ムルものは、同じ。
朱桜ノ……花。
※※※
「こらーっ!禾稲!あんたまだ寝てんの!?」
朝食の準備をしていれば、ふと那砂の声が聞こえ、月花はパタパタと廊下に顔を覗かせる。
「あら、月花ちゃん。おはよう。もう起きてるなんて偉いわね」
「……は、はい……っ!」
禾稲の方が朝の鍛練で早く起きるのかと思えば、さすがに今日は禾稲はまだぐっすりと寝ている。昨日やっと戦から還ったのだ。相当疲れているのではないかと、月花先に朝ごはんの準備を始めたのだ。
「そして禾稲はまだ寝てるのかしら」
「あ、あの……恐らく戦から還ってきて疲れているのだと……」
「いや、それはないわ。あいついっつも戦から還ったら酒浴びるように飲んでぶっ倒れながら寝て、翌朝にはけろっとしてるから」
「あ……浴びるように……!?」
昨日の酒樽は朝起きたらなくて、禾稲が夜中に起きて運んでくれたのかもと思った。
普段はあれを飲んで、さらに本邸でも……と言うことか。健康的には大丈夫なのかと心配になってしまうが。
「そう言えばあいつ、夜中に酒樽未開封で返しに来たんだって?宴会にも来なかったって聞いたし……それなのに、寝たのか」
どうしてそんなに意外そうなのだろうか。
「ぐっすりと」
夜中途中起きたようだが、今朝はすやすやと寝息を立てていた。
「はぁ……もう月花ちゃんにお嫁に来て欲しいくらいだわ」
「へ……っ!?」
那砂の思わぬ言葉にビクンと来てしまうのは、隠し事のせいだろうか。
それとも妙にトクントクンと高鳴り始める鼓動のせいだろうか。
「聞いた?いや、禾稲が自分から話すとは思えないけど、今日あいつ縁談なのよ」
「縁……っ」
いきなりのことに驚きつつも、それはそうかと思ってしまう。禾稲の厚意に甘えて、この離れに厄介になり、寝室がひとつしかないからと共に布団を並べて寝ているが。
そもそも禾稲は守護者。その類いまれなる異能のために、巫女と言う伴侶が必要なのである。
本来嫁ぐはずだった姫花は、月花の婚約者だったはずの誉と婚姻を交わし、月花が身代わりでこちらに嫁ぐこととなった。
だがそのことを禾稲には言い出せず、そして巫女の力もたいして持たない月花には禾稲の妻など務まるはずもない。だから禾稲は……月花ではないちゃんとした巫女の力を持つひとを伴侶に迎える必要がある。それは分かっている。分かっていたことだ。
けれどどうにもこうにも、胸が締め付けられるような感情が芽生える意味を、月花はまだ知らなかった。
「それも、一度は破談になりかけた
【栴檀】。その家名に月花の顔が真っ青になる。那砂には気付かれていないだろうか。口元を手で覆いながらその名を、心の中で復唱する。栴檀。それは古くから続く巫女の家系のひとつ。巫女の家系はたくさんあれど、栴檀は名家中の名家である。
――――――そして、月花が生まれた巫女の家。月花はその姓を栴檀と言った。
「元々は栴檀姫花って子が嫁いでくる予定だったんだけど」
あぁ……やはり。姫花が嫁ぐはずだったのだ。この朱桜家に、巫女として。
「伯父さまが禾稲相手に切った張った並みの大勝負。禾稲が跡を継がないなら嫁がせる跡継ぎがいないから自分が後妻に迎えるってメンチ切って栴檀家にそう
本当にあれは……。そう言うことだったのかと今では思う。
「それであちらが嫌がったのかしらね。長女が病で家を継げなくなったから、本来うちに嫁いでくるはずだった次女が急遽婿を迎えて栴檀家を継ぐことになったから、うちに嫁がす嫁がいないって言ってきたわけ」
確かに姫花は嫌がった。そしてそれを理由に月花を追い出すように誉と婚姻を結び、月花を代わりに朱桜にやるといい、捨てた。
まるで自分で死を選べとも言わんばかりの刃を添えて。
しかし栴檀家は月花が病に臥せったと言う言い訳をしていたのか。嘘ばかりだ。
まるで嘘で塗ったくられた姫花の根城とばかりに、それを全面に押し出してきた。
「こちらにも落ち度はあるから仕方がないと、帝に許しを請うて、縁談はなしになったわけ。まぁ栴檀家も跡継ぎがいないと仕方がないわけだし。禾稲の結婚は禾稲の結婚で大至急代理を探すってことにして、禾稲が朱桜の跡継ぎに正式に決まって守護者になったことが公になったの。その瞬間、栴檀の掌返しよ」
え……?栴檀家は一体何を……?
「長女の病状が回復したから、こちらに嫁がせるって」
え……?長女……?長女は月花だ。月花がここにいることを、まさか栴檀家が掴んでいる?朱桜家にやるつもりもなく打ち捨てたのに。
あの家にはもう、嫁げる巫女は子どもしかいない。さすがに姫花の姉が子どもでは偽物だと言っているようなものだ。そんな中、一体、誰を長女として嫁がせる気か……。
「だから今日はその縁談。運がよければそのまま婚姻は認められるけど」
婚姻が認められる……。いや、巫女が嫁ぐ場合、婿をとる場合。巫女が18歳になったら即時が基本なのだ。それを誉が姫花と繋がっていることを隠して一年も月花を待たせていたことがまずは異常なことだった。
栴檀の長女は19歳である。そして禾稲は恐らく月花よりも2、3歳年上だから……。朱桜のために、国のために即時結婚でもおかしくはないのだ。
ふるふると震える身体と、沸き上がってくること不安は一体何なのだろう。
「ちょっと月花ちゃん!?顔真っ青だし震えて……大丈夫?」
「あの……私は、大丈夫、ですから……っ」
こんなに動揺するだなんて。ずっとずっとあの家で耐えてきたはずではないか。それでも、禾稲の不在で不安は積もりつつも平穏な日々に慣れすぎて
「その、嫁ぐ方の、名前は……っ」
もしかしたら何かの間違いであってほしい。
栴檀の長女の名が今さら塗り替えられることなどあるまいに……。
「うーん……えっとね。月花ちゃんと同じ名前なのよ。栴檀、月花。偶然よね」
あぁ……私だと月花は絶句する。分かっていた。分かっていたのだ。それは自分のことだと。そして、月花ではない。月花自身には自分への縁談だと言う話は何も来ていない。
「縁談は昼から。うまく進めば夜には結納の儀ね」
それが、守護者と巫女の間では普通のこと。
巫女が18歳になれば縁談と言う名の実質上輿入れ、巫女の家への婿入りならば婿養子が輿入れ、夜には婚儀が執り行われる。
禾稲が結婚してしまうのだ。栴檀月花と。私ではない、私と。
それが何よりも苦しくて、それは自分であると言い出したいけれどそれもできない。月花は禾稲の妻に相応しくないことを、誰よりも分かっていたから……。
その時だった。寝室の襖が開く。
「……
禾稲が那砂の顔を見るなり眉をひそめる。
「何でって当たり前でしょ。旦那に絶対あんたを連れてこいって言われてるのよ」
「……っ、汚い手を」
「そうでもしなきゃあんたすっぽかすでしょ!?」
「……俺は結婚なんて認めてないからな」
禾稲は……結婚はしたくないのか。どこか悲しくて、でもホッとするのはどうしてだろうか。
「あんたが認める認めないじゃないの!これは政略結婚なんだから!」
そう、政略結婚だ。国のための、世界のための人柱としての政略結婚。
「表にうちの旦那が来てるから、行け」
那砂が笑顔でそう言うと、禾稲が『うげ……っ』と漏らす。
那砂の夫と言うのは、そんなに恐い方なのだろうかと月花は不安がるが。
「あの……ご飯は」
そして禾稲も。
「着替えてもいないぞ」
「着替えなんぞ本邸で用意してんだからいいの!あと……ご飯は無駄になるから、お
「はぁっ!?ふざけんなお前っ!」
禾稲ったら……そんなに食欲旺盛なのだろうか。お腹、空いてるのかな……?
だが那砂は。
「おらっ!お従姉ちゃんに向かってなんじゃぁその口の利き方はぁ……っ!」
と、禾稲のこめかみをぐりぐりとして、禾稲が悲鳴をあげていた。えと……その、止めた方がいいの……?
しかしそれはすぐに止んで、ふんっと禾稲を見下ろす那砂と、苦しげに倒れ伏す禾稲の風景に変わる。やはり……禾稲は戦の後で疲れているのでは……?
「あの、おにぎりでよければすぐに用意しますから」
「……月花ちゃんがそこまで言うのなら……。おにぎりだけよ……!」
「だからなんで
これが普通の姉弟と言うものなのだろうか。月花にはなかったものだ。そして巫女一族の掟により奪われたものだ。
だから、そんな些細な姉弟喧嘩ですら微笑ましいと感じてしまうのだろうか……。
月花はぱっぱと握り飯を作り、禾稲に持たせれば。禾稲は渋々玄関の戸を開けて出掛けていった。
「さぁ~て、私は月花ちゃんの手料理だ!」
「そんなたいしたものでは……」
と、謙遜しつつも、居間の中を覗いた那砂は歓喜した。
「やだ、美味しそう!あいつ、昨晩もこんな美味しそうなもの食べさせてもらってたの?ずるーいっ!」
大人びており魅力的なひとなのに、こうして悔しがるところは何だか愛らしいひとだと感じてしまう。
昨晩は……これの何倍もの量の食事だったのだが。それでも喜んでくれる那砂の優しさが嬉しい。
月花は那砂と自分の分のご飯をよそうと、那砂との朝ごはんを始めた。そして……。
「あいつの縁談だけどさ、月花ちゃんも見に来る?」
「……えっ、いいん、ですか?」
「もちろんよ。むしろほかの子たちも気になって見に来るから、しれっと紛れればバレないって」
那砂の言葉に、月花は悩みつつも頷いた。
月花ではない、月花が一体誰なのか。それを確かめたいと思ったから。
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