第6話 帰還
――――――禾稲が戦に出て、3日が過ぎた。月花は禾稲のいない離れで暮らしている。
食材は本邸から毎日届くし、気を回して那砂が月花と話しに来てくれるので、月花は少しだけ寂しさを紛らわすことができた。
あとは毎日の家事と掃除。禾稲が還ってくる場所だから。それだけが活力で、やることがなくなれば那砂から託された裁縫道具で禾稲の衣を直したり、那砂からもらった衣の丈を直したり、刺繍をして時間を潰した。
そして那砂からのおさがりで心配していたサイズだが。おはしょりで調整できるとはいえ、那砂は背が高く、結構な分をとるので丈を修正して着ることにしたのだ。
あと、禾稲の衣だが。那砂の言った通りところどころほつれていて、穴が空いていた。少し愛らしく感じながらそれらを埋めていく。
それでも思うのは、やはり禾稲の無事。守護者は強いと聞くけれど、それでも心配じゃないはずがなく、夜もひとりの寝所がどこか落ち着かない。
巫女の御守りを拵えたり、これからの寒い季節に備えて毛糸を編んで、やっと寝ていたら、那砂にひどく心配されてしまった。
どうしてもクマというものが出きるらしく。あまり夜なべをすれば那砂まで心配させてしまうし……。
禾稲にも叱られてしまうだろうか。それでもそれは月花のためを思うもの。実家での厳しく意味のない叱責、姫花の癇癪とは違う。
あの頃はひたすら、寝ずに働けと言うのが基本だった。今思えば変な話である。
「私はどうしてあんなに……」
働いていたのだろう。
生きていくために。
でも、何のために……?
それすら考える余裕もないくらい。
でも、ここでは……。
禾稲を待つために。
還る場所を守るため。
少なくとも生きる理由がある。けれど月花の心を度々よぎるのは、自らの真実。
月花は禾稲に隠している。
自分自身が巫女の一族であることを。
朱桜の守護者に嫁ぐ身であったことを。
「……でも……巫女の力もたいしてない私が伴侶になっても……意味がない……」
それならば。禾稲が巫女の力を持った者を娶ってくれたほうが、禾稲のため。朱桜の術師たちのためである。
けれど、どうしてだろうか……。
胸の奥がざわざわとするのは。
この感情は一体何であろうか。
月花はその身に初めて抱いた不思議な感覚に首を傾げる。
しかしその感情を埋めるように……月花は再び針と糸に手を伸ばした。
※※※
何のためにあなたは戦フのか。
その戦フ姿が美しいと思った。
朱よりモ鮮やかナ赤を纏うあなたハ誰よりも強く、秀で、雄々しく戦ヒの咆哮をあげる。
けれどこの身に堕ちて思フのは。
あなたは何のために戦ヒ、
何のためにギリギリでヒトの姿を保つのカ。
分からなイ、分からなイ。
あなたと同じ化け物に堕ちたのニ。
あなたよりも化け物ニ近い、化け物ニ堕ちたと言うのに。
それが分からなイ。
※※※
ガタンと扉が開かれた音がして、月花は立ち上がる。
今日で1週間。
遂に禾稲が還ってくる日。
禾稲が還ってきたのだ……!
急いで居間の襖を開き、その名を叫ぶ。
「禾稲……!」
「……」
どすんと武器の大斧を玄関に立て掛けたのは、確かに禾稲だが……どこか、最初と違うような感じを覚える。
「禾稲……?」
「……あぁ……」
月花の言葉にゆっくりと顔を上げる禾稲の顔には一瞬赤黒い紋のようなものが見えた気がするのだが、それはすぐに掻き消えて、ただの幻を見たのかとも思う。
しかしその衣や鎧には黒く変色したソレがところどころに滲んでいる。
「……あの、怪我を……っ!?」
妖獣相手に……っ。
「……違う。俺は怪我などしない」
それは一体どういう意味なのか……今の月花には分からないことだった。
もしかして守護者に何かがあるのか。しかし月花はまだ守護者のことを全然知らないのだと言う事実に、心臓が打ちのめされるようだった。
実家では姫花が見目麗しい守護者に溺愛、寵愛され、なに不自由なく過ごせる夢見がちなことを延々と聞かされるだけだった。
しかし彼らは戦に出ているのだ。そして人々が平穏に暮らせるように命を懸けて戦っている。
姫花が夢見る生活の裏で……。
それを知って、姫花のような夢を、果たして抱けるのだろうか……?
彼の無事を信じて待つあの日々を、夢のようななに不自由ない生活が送れるなどと誰が言うことが出きるだろうか。
言葉通りあの子は夢を見るだけで現実を何も知らない。そしてそれは自分もであったと月花はひどく後悔した。
「あの……」
伸ばしかけた手を、禾稲の視線が制する。
「妖獣の返り血がついている。こんなものには触れない方がいい」
側で触れることもかなわないだなんて。月花は妖獣の血だと言うそれを恐れることはない。おびただしい返り血の量。垂れずに染み込みこびりついているのが不思議なほどである。
ただそれよりも、禾稲が本当に怪我をしていないのかどうかが心配で……。
「風呂入ってくる」
そう言うと禾稲は両刃斧を持ち上げると、離れに設えられたにしては広めな浴室へと入ってくる。あそこも禾稲が還って来た時のために毎日しっかりと磨いたが……。
あそこがあんなにも広いのは、この時のためだったのだろうか。
バタンと閉じた浴室へ続く戸にもの寂しさを覚えながらも、きっと疲れてお腹が空いているはずだと思った月花は、台所へと急いだ。
※※※
夕飯の支度を調えていれば、風呂から上がったらしい禾稲がやってきた。
汚れを落としたのか、布にくるんだ斧を脇に置くとすっと食卓につく。
「全部作ったのか?」
そして食卓の皿に盛られた料理の数々を見た禾稲が驚いたように告げる。
……戦に行く前の、禾稲と同じ。ホッと胸を撫で下ろすと共に、月花はこくんと頷く。
「那砂さんに、教えてもらって」
最初は信じられなかったが、戦から戻った禾稲はいつもこれくらい食べると食材を託された。大変だったら手伝おうかとも言われたが、那砂にも仕事があるだろうし、禾稲の帰りを待ち望む間、何かをしていたかったから。
月花はそれらを無心で料理した。
「お代わりも、あるから」
既に何人前だと言う量だが、独り暮らしにしては大きいそのテーブルの意味が少し分かった気がした。
「……分かった」
そう言うと禾稲は『いただきます』を言い箸をつける。
野菜もたくさん食べて欲しいとは思うし、那砂も野菜を混ぜてくれたが、多くは肉。あとご飯は5号炊いている。多分それくらい必要だと言われて、いつもよりも大きな釜で炊いたのだ。
月花はいつもの一汁一菜だが、禾稲はがつがつと食べ、食事の途中にも事前に居間に運んでおいたおひつから何度もご飯のお代わりをしていた。何度か空になり月花が台所から次のおひつを持ってきたり、追加の料理を運んだりしながら、間を縫って月花も『いただきます』を言って食事に箸をつける。しかし……こんなに禾稲の細身な胃に入るのかと心配にもなったが、禾稲は構うことなく胃に納めていった。
先に食事を終えた月花は洗い物をしながら追加の料理も運んでいた。
料理がそろそろ尽きるのだが。
「あの……足りそう?追加で何か作る?」
「いや……いい。足りる」
そっか……。よかった……。
禾稲の答えにホッとしつつも、月花は空になった皿を台所に運んでいく。
「あ……そうだ」
月花は那砂からまだ託されたものがあったと思い出す。
「あの、禾稲。お酒も……飲む?」
ひとり分にしては随分と大きな酒瓶……ではなくもはや酒樽である。
だけどこれが普通だと那砂に教えられ、離れで少し飲んだ後は本邸で帰還祝いにまた飲むのだと教えられた。
なお、酒豪は家系らしく……『酒癖は悪くないから、安心して!』と、那砂からは聞いている。
だけど禾稲は……割りと甘めな味付けが好きな気がする。米と肉しかなくても、お砂糖や蜂蜜が常備されていた。
その疑問を那砂に問うてみれば、これは好き嫌いの問題じゃないと言われてしまった。月花もいずれ、この朱桜の家で過ごすうちに分かってくるだろうとも。
……それでも。
『禾稲を嫌わないであげてね』
そう告げた那砂の言葉は切実で。
そして月花も、禾稲に捨てられたくないと言う思いを抱いていた。大切なことをまだ、禾稲に隠していると言うのに。
けれど……まずは禾稲のためにできることをしてあげたいと言うのが、月花の思いであり、罪滅ぼしのようなものだった。
だからこそ那砂に託された酒樽を出したのだが。
「……今日はいい。少し休む」
そう言うと座布団を枕にして禾稲は寝転んでしまった。あんなに食べた後に寝転んで大丈夫だろうか。そもそもあんなに食べたのに膨れてないまったいらな禾稲のお腹も不思議だが。たくさん食べたからこそ……なのだろうか?
「それは後で本邸に運んで置くから、置いといてくれ」
横になりながら告げる禾稲に月花は頷き、居間の邪魔にならない場所に酒樽を移動させる。さすがにこれを本邸まで運ぶのは月花には無理だ。那砂も食材と酒樽を運んで来たときは、本邸から力のありそうな男性たちに手伝ってもらっていたし。
月花は禾稲が風邪をひかないように、目を閉じた禾稲の身体に毛布をかけると、再び洗い物を済ませに台所に戻る。
そして寝室に禾稲の布団を広げ終わり、どうせなら寝室で寝てもらおうと居間に戻ろうとした時だった。
「おーい、禾稲ぁ、いるか?」
誰か入ってきた……!
驚きつつも開かれた戸を見やれば、そこには背の高くがっしりとした体型の男性がいた。
誰……だろうか。こんな夜分遅い時間である。そんな時間に朱桜家の敷地内にいるのなら、朱桜家のひとには代わりないと思うが。
「……誰?」
彼の問いに、そうだ、よそ者は自分の方だったと月花はハッとしつつも口を開く。
「あ……あの、私は……」
「うそ……女……?禾稲がなず
戦用であろうか、足全体を覆う頑丈そうな靴を脱ぎ捨て、ずかずかと近付いてくる男性に、思わず月花は身をすくませる。
どう、しよう。
その時だった。
背後で襖が開かれる音がしたのは。
「おい、何をしている」
それは先ほどまでとは違う……どこかイライラしてそうな口調だが。しかし禾稲の声に安心した月花がいたのも、事実である。
だがこの男性は一体、誰なのだろうか……。
「つーか禾稲、どういうことだ!?いつの間にこんなかわいい女の子連れ込んだんだよ!聞いてねぇぞ!」
か……かわいい……だろうか。常に平凡だとばかにされ続けた月花は首を傾げるが。
「何でお前に言う必要がある。当主には許可を得たぞ」
当主って……禾稲のお父さま。朱桜の守護者……いや、禾稲が跡を継ぐのなら先代の守護者だ。そして月花が後妻として嫁ぐはずだったひと。実際は禾稲に跡を継がせるための当主の一大駆け引き……だったらしいが。
「そう言われても……と言うか、酒!お前も来るんだろ!?そこでみっちり話聞くからな!?」
そう言えば本邸でも飲むのだと、那砂にが言っていたと月花は思い出す。
「今日はいい」
「は……?」
禾稲の回答を聞いた男性はぽかんと口を広げていた。
「今回は調子がいいから……いらない」
「そりゃぁ俺たちも今回はいつもよりは……でもお前が酒宴に来ないなんて……」
「今日はもう寝る。帰れ」
「あぐ……分かった……けど!今度みっちり聞くからな!」
そう言うと男性は再びずかずかと帰って行ったが……。
「あの……本当にいいの?」
酒宴に行かないのは、自分のことを気にしているからだろうかと、月花は懸念する。
「別にいい。今は寝たい」
「……お布団なら、敷いたから」
「……あぁ」
そう短く答えて寝室に入っていく禾稲の袷の隙間からは、ちらりと月花が渡した御守りが覗いているのが見えて、月花はどこか嬉し恥ずかしい、不思議な感覚に浸ったのだった。
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