第5話 巫女と守護者と
もうすぐ始まル。
朱よりも赤い赤を纏フ、あなたにこヒ焦がれる。
ナゼ化け物はヒトを襲うのカ。
喰らフため。
その悲鳴ガ心地ヨイヤウニ、ぼくたちハできている。
それを、化け物ニ堕ちて知っタ。
けれどね、ぼくはあなたが見たイ。
赤を纏うあなたが。
たとへその思ヒが同胞を呼び寄せてたとしても。
それが、喰らはれんためニ、化け物ヲ飼フことを選んだヒトの業ナレバ……
あなたが赤を纏フそのさまを望むことヲ、タが止めラれヤウカ……?
※※※
「あの……お帰りなさい」
「……ただいま」
昼になると、朝言った通りに彼が帰ってくる。那砂が持ってきてくれた野菜と、冷蔵貯蔵庫の肉で肉じゃがを作り、食卓に並べる。
那砂の言った通り、肉じゃがの野菜にも普通に箸をつけて食べてくれることに月花はホッとしつつ見守る。
そして、食事を終えれば。
「……明日から、一週間くらいここを
「え……っ」
昨日の今日で突然すぎる話だった。
空けるって一体……何が?
「
あ……そうかと月花はハッとする。彼は、守護者だもの。一介の兵士としてでもなく、朱桜の縁者の術師でもなく。
一門を代表する守護者ともあれば、最前線に自ずと立たされることになる。彼らのために人柱となる巫女とは違う意味での……国の人柱。世界の人柱。彼らがいるから、彼らが戦場に立つからこそ、ここに世界の安寧がある。巫女の人柱など、彼らの命懸けの戦いに比べたら、ただの子どもだましだ。巫女は守護者の家に嫁げば……それも守護者に嫁げば、それはもう大切な存在として扱われるそうだ。子孫さえ作れば欲しいものは何だって与えられる。生涯に渡り守護者の家で大切にされ、守られる。姫花も守護者の妻に憧れてはいたけれど。さすがに朱桜の後継者がいなく、当主……彼のお父さまの後妻になると聞き、いやだとゴネた。彼女はお役目よりも、国命よりもまず、富と財と、見目麗しい婚約者が欲しかった。そう、誉が欲しかった。だが彼は守護者ではない。選ばれなかったからこそ巫女の家に婿養子に入ることを選んだ。
姫花はそれだけが不満で、今まで誉をすっかり懐柔していることを隠していたのだろう。
しかし朱桜からもたらされたのは当主の後妻だったから、彼女も思いきって朱桜の守護者の妻の座を捨て、私を捨てて自分が巫女の家を継ぎ、誉を名実共に自分のものにすることを決めたのだ。
――――――――しかし、どう言うことか、朱桜には跡取りがいた。跡取りの守護者が。彼がいたのだ。それがどう言うことなのかはまだ分からない。しかしその事実を姫花が知ったらどうするのか。想像にかたくない答えが脳裏に浮かび、身震いする。
けど。今は……。姫花がどう出るかよりも、目前に迫った……いや、彼らにとってはいつも目前にある、妖獣との戦い。
「ぶ……無事に帰って……来ますよね」
「あぁ……。俺がいない間何かあれば
「はい……」
確かに那砂はとても頼りになりそうな女性で、月花も話していてとても楽しいと思ってしまった。けれど、大切なのはそこよりも、彼のこと。
こうもあっさりとしたものなのだろうか。とは言え月花にできるのは……。
たいして役にたたない巫女の力でも、御守りくらいは気休めになるだろうか。
あ……御守り……。作るのならば、聞いておかないといけないことがある。
「あの」
「どうした?他にも何か心配事か……?」
「あなたの名前を、まだ聞いていないと思って」
私はまだ、彼の名前を知らない。ひとの名前を尋ねるなど、実家ではなかった。使用人の名前ですら、【知っていなければ】ならなかった。名前を尋ねただけで、それすらも知らないのかと罰を与えられた。
けれど姫花はそんなことを知らずとも許された。使用人の名前など覚えない。【お前】【あんた】で足りる。
だが姫花はその使用人の名前すら知らないのに、私が知らないとすぐに癇癪を起こす。だからこそ、尋ねることもできず、知らなければ鞭打たれる。
けれど彼は……違う気がしたのだ。それとも自分なんかが聞いてはいけないだろうかと、月花は後悔する。相手は朱桜の守護者なのである。知らない自分が責められるのではないかと。
「禾稲」
「え……っ」
「
普通に教えて……くれた……?
「か、禾稲さま」
「……さまはいらない。そう言うのは好かない」
「ごめんなさい……!」
「月花が謝ることじゃない。
「……朱桜家……ですよね」
「そうだ」
彼は躊躇うことなく頷いたが、しかしその表情はまるでそうであることを受け入れがたく思っているようにも見てとれる。
「その、あ、跡取りさまだと」
「そんな立派なものじゃない。跡取りは……守護者はただの……化け物に一番近い化け物だ」
「……それでも……あなたは私の恩人です」
禾稲がいなければ、月花は確実に三途の川を渡っていただろう。温かい食事も、お布団で寝ることも、たった一晩でも禾稲と過ごす時間の幸せも知ることができなかった。
「禾稲……さん」
「さんは、つけなくていい」
「……禾稲」
自らを一番化け物に近いと言って、突き放そうとするのに。月花を連れ帰り、この離れに住めばいいと迎えてくれた。
「だから私は、禾稲が帰ってくるこの離れで、禾稲の帰りを待ってます」
たとえそれだけしかできなくても。
「……そうか」
禾稲は短くそう答えると、明日の準備があると本邸に向かった。
月花にできることなど、禾稲を見送り無事を祈ることしかできない。
だけどせめて気休めになればいい。真実を言えない代わりに、月花は那砂から託された裁縫道具を取り出す。
もらった着物の手直しや、禾稲がよく衣をほつれさせて帰ってくるはずだからと言われて。共にはぎれ布もいくつかもらっている。月花は役目として覚えていた巫女の御守りをちくちくと縫い合わせていく。中に入れるものは巫女の力を込める符。
月花が書いたところでたいした効力はないだろう。
だが実家にいたころはよく作らされていた。大体が姫花が巫女や守護者の恩恵を少しでも得たいと求める貴人や庶民へ卸すための御守りである。姫花はこうした面倒な作業が嫌いであったから、全て月花が用意した御守り袋と符に最後に巫女の力を込めて、自分が作ったものとして貴人へ卸すのだ。
そして庶民向けの御守りにら何の力も込めない。バレれば詐欺だと言われそうではあるが、納める金額が違うからだと言われた。庶民の出すお金は貴人たちのものとは違い、せいぜい材料費にしかならないと言うことだった。それでも月花は、ただの見かけだましを売ることなどできず、ない巫女の力でもせめてと願いを込めたが、それでも子どもだまし。
昔、御守りの作り方を覚えて、真っ先に誉のために作った。特定の術師にあげるときは、御守りの袋にその術師の名を。それは戦場へ赴く術師を思う無事を願う巫女の願掛け。
効力はあるかは分からない。そもそも月花が作った御守りが効く可能性はほとんどないだろう。いつものように姫花の巫女の力を込めていないのだもの。
それでも誉はもらってくれた。けれどその御守りを誉が私の前でつけてくれていたことはない。
当然だ。効力がないのだから。それとも姫花は私が作った御守りに効力を込めて誉に渡していたのだろうか。あの子が自分で御守り袋や符を拵えるとは思えないから。
それなら、一度もつけてくれなかったのにも納得である。彼はずっと、……姫花の御守りをつけていた。そしてそれを見せることは絶対にせず、私を騙し続けていた。
――――――――私も今は禾稲を騙しているのだろうか。私が本来姫花の代わりに朱桜に嫁ぐはずだった、役立たずの巫女だと言うことを、言えずに。
だからこそこれは贖罪なのだろうか。禾稲や、那砂たちを騙している……。
だからせめて、無事に還ってきますように。どうせなら、捨ててくれたってかまわない。これは月花の贖罪のための、勝手なエゴなのだから。
夕飯を終えて、床につこうと言うとき。月花は勇気を振り絞り禾稲を呼んだ。
「あの、禾稲」
「どうした、月花」
「あの……えぇと……その、御守りを、渡したくて」
禾稲は平気そうにしているけれど。
「もしも迷惑なら、捨てても……いいから」
震える両手の上に捧げられた御守り袋のはしには、禾稲の名の刺繍がある。
――――――たった一晩二晩だけの縁で、重たいだろうか……。
「迷惑ではない」
そう言うと禾稲の手が伸びてきて、その御守りをそっと掴みあげた。
「もらう」
そう言って、枕元に用意しておいた明日の衣の上にそっと置いてくれることに、月花はそっと胸を撫で下ろす。
やはり、禾稲は優しいひとだ。
そしてそんな優しい禾稲に真実を伝えられない自分を、月花はひどくもどかしくも思った。
――――――そして翌朝。
御守りを身に付け、大きな両刃斧を携えた禾稲を、月花は見送った……。
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