第3話 憧憬


求めども、叫べども、祈ゲども。


手に入らぬソレを、いつしか諦めタ。


苦しく、息もできないほどに脅えながラ過ごした。


この家には、化け物がいル。


しかしそんな化け物よりも恐ろしい、耳朶に押し寄せる呪言の数々に、心の器すら崩れ果てタ。


そんな地獄のようなときを終わらせるのハ、いつもときの声。


大地を蹴り上げ、大斧を振り上げ、朱よりも濃い赤を纏いながラ、暴風のヤウニ駆け抜ける。


みなガ化け物と呼ぶ。


が化け物と脅えル。

朱の色に包まれながらモ、化け物の名を呼び喜び、そして化け物への恐怖に泣き叫ぶ。


けれど憧れタ。


アナタのヤウニナリタイ……


ソレに見て欲しいわけではなイ。


みなに化け物であると認められたいわけではなイ。


ボクは……タダ、アナタのヤウニ、ナリタイ……。


――――――ダカラ、だから……


――――――コノ身ヲ、化ケ物二堕トサン


※※※



――――――――声が聴こえた気がした。それは獣の叫びのようであり、しかしひとの言葉でもある。

悲しくて、苦しくて、けれどもその憧憬どうけいを忘れられない……


「……」

月花がゆっくりと身を起こせば。そこは見知らぬ部屋であるが、心地よい暖房が効いている

さらには寝かされていた布団もふかふかである。

しかも……着物も着ていたものとは違う。


「あぁ……気が付いたのか」

すとんと襖が開けば、そこにはひとりの青年が立っていた。

そしてあの時の声の主だと分かる。初めて目に入れたはずなのに、そうではないように思うのは、声のお陰であろうか。


闇のような黒髪に、朱色の瞳。

その朱色の瞳は、朱桜の色と呼ばれているもの。彼が戦に赴く身なのであれば、その縁者であろうか……?


「今、何か作ってくる。食えないものはあるか?」

え……作る?そしてその後の質問で、ご飯のことを話しているのだと悟る。食事など進んで頼めるような立場でもなければ、またごく普通に出てくるものでもなかった。


あったのは使用人にすらこき使われながら作らされた食事の……残り物を隠れて食べるくらいだった。


だからこそ、好き嫌いなどする余裕もなく、食べられるものを食べるしかなかったのだ。


「特には……ないです」

月花が静かに答えると、彼がコクンと、頷く。


「そうか。分かった。……」

そして彼は月花を見つめ、少し考えるように無言になると、ふと口を開く。


「……身体洗ったのと着替えさせたのは……いとこの姉だから、安心しろ」

あぁ……女性のひとが……。

思えば髪もさらさらになっているし、肌のべたつきもない。


「少し待ってろ」

「……はい」

頷けば彼は一旦部屋を後にする。それから5分後くらいに器を抱えて戻ってきた。


「あいにく今晩はもう出汁茶漬けくらいしかないが……」

それでも、それなら米が柔らかくなるので食べやすい。彼なりの優しさであろうか。


そして彼から器と箸を受け取る。

湯気の立つ器には、急ごしらえではあるが米と、簡単な乾物と出汁の色。


ゆっくりと口に含めば、その通り出汁が効いていて美味しい。


「あの……美味しい、です」

「なら……いい」


そうぶっきらぼうに顔を背けるのは……照れてる?いや、まさか。月花は再び器に顔を戻してゆっくりと茶漬けを口に運んでいく。


暖かい、しっかりとした食事らしい食事。お腹だけではなくどこか心も温まるような感覚を抱きつつ、無事に器をからにした月花は箸を置く。


「……あの、洗い物を」

食べた器と箸をあらわなければ。

「今日はいい。……寝ろ」

そう言うと彼は月花から食器を受け取り、また何処かへと向かってしまった。


「寝る……」

のか……。


しかし……先ほど相当ぐっすりと眠ってしまったのか、なかなか寝付くこともできなかった。身体が温まっているのも関係しているだろうか。


月花はゆっくりと身を起こすと、布団からのそりと脚を出し、そっと襖を開く。

見れば隣の部屋には灯りが灯っている。


そして隣の部屋の襖を慎重に開けば、身を起こしてこちらを見る彼の姿があった。ここは居間なのか、彼はそこに簡易な布を敷き、毛布を被りながら寝ていたのか……?


しかも独り暮らしにしては大きすぎるようなテーブルが置かれており、寝るのに端に寄せられているとはいえ、それでも寝るスペースには狭いと思えた。


やっぱり寝室はあそこひとつ……いや、普通はそうだろう。巫女の一族のような大きな家でもない限り……。

そしてお布団も……。


「何かあったのか」

彼がピリッとした空気を纏う。月花は実家での経験から瞬時に身構えるが、彼が月花を傷付けようとしているわけではないと悟り、そっと肩の緊張をおろす。むしろ……月花のことを心配してくれていることに何とも言えない不思議な感情が湧いてくる。

だが、まずは……だ。


「あの……そこで、寝てる……の?」

「あぁ、寝室はひとつしかないから」

やっぱり……。


「あの……私がここで寝るので、あなたは寝室を……」


「気にするな。これくらい戦場で慣れてる。……あそこに比べたら、寝具があるだけましだ」

戦場……想像もつかない場所。しかし、戦場は想像を絶する場所だと言う。妖獣との命懸けの決戦の場。こんな風に屋根のある場所で寝られるのかどうかも分からない。


しかし、屋根のある非戦場の家の寝具……と言うにはあまりにも簡素な……。しかし月花にとっては。


「私も……それくらいなら、普通ですから……!」

「は……?」

ひどく驚くような顔をされて、思わずびくんとくる月花だが。


「その、や、雇われたので……。使用人として……」

実家での使用人はしっかりと布団で寝ていたが、月花はいつの日か布団すら奪われ布にくるまれて眠っていた。眠れると言うほど寝られたわけではない。


くたくたに疲れて布にくるまっても、せいぜい2、3時間くらいしか眠れず、すぐに翌朝のための準備をさせられた。


使用人の方が余程ましな生活をしていただろう。それでもみんな……使用人も両親も何も言わなかった。むしろ使用人には蔑まれ、それを主導している姫花の嘲笑にさらされた。


誉だけは心配してくれたが……それだけだ。

心配してくれただけで満足して、救われた気分になっていたが、本当の意味で救われたことなどなかった。


――――――本来であれば月花は巫女の一族の長女で、婿を迎えて家を継ぐ立場だったと言うのに。

尤もそれはなくなり、ずっと前から姫花が誉と繋がっており、姫花が家を継ぐ流れになっていたのであろうが。


だが、それでも。主人となる彼をここに寝かせて自分が布団で寝るなどできるはずもない。


「使用人だって布団にくらい寝るだろ」

それは……そうだけど。私はそれすら許されなかったから。


「でも、あなたは……」

「俺は慣れてる」

そうは言われても……。


「……布団を敷くなら、あの部屋しかない」

確かに居間はテーブルや武器……のようなものが立て掛けられており、布団を敷くスペースはない。


「同じ部屋になるぞ」

「……私はここでも……」


「いいからお前は……」

「つ、月花……です。月の花で、月花」

「……月花はあそこで寝ろ。じゃなきゃ従姉ねえさんにどやされる。布団くらい、もう一組すぐにもらってくる。ここは離れであれしか布団はないが……本邸になら予備があるはずだから」

本邸があるのかと月花はハッとする。離れならそれはそうである。そしてここは恐らく独り用の離れなのだろう。


「重いのでは……」

「そうでもない」

割りと細身に見えるのだが、それでも彼の周りにある武器は大型なようである。

あの武器を扱えるのなら、布団くらいは楽勝だろうかとも月花は思う。


彼はさっと立ち上がれば、月花の方に歩いて来て、頭にぽすりと手を乗っけてくる。


「先に寝室に入ってろ」

「……はい」

どうしてかその手の平の熱が温かくて、そして離れていくのがどこか寂しくて。しかし本邸まで布団を取りに行く彼の背中を見送った月花は……彼のために、寝室の布団を端によけに向かった。


そして布団を易々と一組持ってきた彼は空いたスペースに布団を敷き……。


「ちゃんと寝るように」

「は……はい……!」

そう言って布団の中にくるまる彼を見送りながら月花も布団にくるまれば。どこか不思議な安心感に包まれて、再び夢の中へといざなわれていった。



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