第32話
慣れたコロニーの廊下を猛進する。薄暗さはまた一段と深くなった。
採掘の効率ががくっと落ちたのは、一誠がいなくなり、和彩が休養せざるを得なくなった頃からだ。それだけが原因ではないだろう。二人は複合的な最後の一押しになっただけに過ぎない。
そして、それは今までの積み立てがあってなおの話で、これから更に生活は困窮する。それは既定路線だ。
和彩が出動してから、二日目になる。魔物が活発化し続けていれば、珠戦士が撤退してくることはない。
寧ろ、前触れもなく帰ってこられるほうが恐ろしかった。だから、今のところは絶体絶命な不安を覚えてはいない。
だが、それは個人の話だ。現場は混乱しているらしい。約束されている困窮が、刻々と迫り来ている。和彩が無事ならそれだけでいい、というわけにもいかない。だが、そうした緊急事態だからこそ、取れる選択肢がある。
俺は荷物を抱えて、補給車へと乗り込んでいた。補給車と呼んでいるが、採掘の収集車と同じものだ。
後方支援部隊が補給役として戦場へ赴くことがある。俺も、今まで何度か採掘に出向いたことがあった。とはいえ、塹壕の近くで荷物運びをしたくらいのものだが。
だが、今回はそのつもりはない。
俺が補給に向かう先は決まっている。完全な自分勝手だ。しかし、前線に向かいたがる後方支援部隊員なんて稀有だった。重宝されて、あっさりと許可が下りている。著しく淡泊な許可であったため、肩透かしを食らったほどだ。
それだけ、コロニー全体が危機的な状況であるのだろう。明るい未来図などないが故に許されていることだった。喜びはしない。戦場でない場所でそばにいられることが第一であるから、喜びではなかった。
だが、和彩の元へ行く。それは胸が膨らむものではあった。
二日目。そんな数日間。顔を見かけない日々なんて、今までもいくらだってある。出会わない日のほうが多かったくらいだ。お互い用件がなければ、相手の元へ行くこともなかったのだから。俺たちの距離はそんなものだった。
今となっては、どうして他人事のように接していられたのか。それが分からない。……多分、俺たちは無意識に感じていたのだろう。詰められる距離が自分たちにはあって、その距離を詰めた先にあるものを。どこかで感じていた。
センキの姿を見るたびに、姫だと感じていた目が、その先をちらとも感じていなかったなんて信じられない。
まぁ、所詮は後付けの理由だ。肝心なのは、そう思うほどに現在は感情が伴っているという部分だった。
申し出た婚約話はトントン拍子に進んで、意見の擦り合わせは終わっている。廊下で話すには問題があったので、和彩の部屋へ入ることになったのは余談だ。
和彩の出動を見送ったのは、和彩の部屋からだった。そこまでで、話は現実として詰められている。こうして一歩ずつ進んでいくものだな、と一誠たちのことを思い出していた。
「三枝。忘れ物はないな。出発するぞ」
「問題ありません」
背負ったリュック。珠装具を手入れするためのツールポーチ。身体の前に回したボディバックには食糧といくつかの貴重品を入れた。
俺の他にも複数人の補給隊員が乗車している。その隊員の点呼を終えた後、補給車は発進した。
宝石を採掘した後をならした道はでこぼこしている。スピードが上げられるものではないので、緩やかだ。撤退の際には、強引に突破するものらしい。今は安全第一で進んでいる。
補給物資に問題がでれば、補給車の意味がない。遅々としている中であるから、外の様子がよく分かった。
魔物たちが跳梁跋扈している。……いや、跳梁跋扈というほどに多いのかどうか。俺には判別がつかない。
それでも、珠戦士が対峙して、戦闘を繰り広げている。これが常ならぬことであるのは、想像がついた。ここはまだ最前線ではないのだから。
かなり押されている。それは一誠から聞かされていた。和彩から聞いたことはない。和彩は珠装具以外の無駄口を叩くことはなかった。調律するようになってからは零れることもあったが、詳細は聞いていない。
知らなくてもいいことだとは思っていなかったが、どちらにしても惨劇が免れないことは分かっていたからだ。最期は決まっている。そのルートを外れる未来がないことは、こうして戦場を走っていなくっても分かっていた。
こうして目にすれば、より顕著に分かる。一誠が逃亡を選んだことが、決して残忍たる覚悟であるとは言えない。
今となっては、俺にも和彩がいる。痛切さはいや増してばかりだ。どれだけ瀕すればいいのか。それほどまでに人類の分は悪い。それを噛み締めながら、着々と前線へと進んで行った。
何人かずつ人を下ろしながら進んでいく車内は、どんどん静かになっていく。……違うな。これは外の剣戟が激しくなっているから、車内の静けさが際立っているだけだ。
ここまで分明な戦場に出てくるのは、初めてのことだった。恐怖を抱かないことはない。しかし、恐慌に身が竦んで動けないということもなかった。
心は凪いでいる。こういうものか。予定調和であるかのように、心はついてきていた。立候補してやってきたのだから、当然と言えば当然だろう。
だが、それでも土壇場になれば、もっとじたばたするのではないかと思っていた。それも、自分の我が儘でここまで来ている。魔物への確固たる敵対心などではない。そこに想い人がいるという浮かれた理由だ。平時なら通る理由ではない。
今回だって、底意を外に漏らしてはいなかった。けれど、平時ならば、通そうとすら思わなかっただろう。今じゃなけりゃ、こんな無茶はしていない。世間が許さなかっただろうし、和彩だって了承しなかったはずだ。
珠戦士が戦場に行くためには、多くの訓練が求められる。だからこそ、学生が学園で学んでいるのだ。近頃の出動頻度では、戦場で鍛え上げられているようなものだろうが。待機室待機が主になっているのが、制度の崩壊を浮き彫りにしていた。
人手不足は慢性的で、どうにもならない。こうして俺が出動できるほどには、戦場の環境は劣悪だ。
「三枝、そろそろ下ろすぞ」
「はい」
徐々に魔物の数が減っている。前線であるのに、というのは言うだけ無駄だ。和彩がいるから、というものでもない。
魔物の出現スポットは予測できないし、前線だからといって一番多いということもないのだ。点在しているし、時機も読めない。そのために、逃亡が思考を掠め、実行に移させるのだ。
どこかに新天地がある。
そう夢を見るほどに、宝石についての研究は手つかずのままだ。まだ、宝石に侵食されていない土地があるのではないかと思えるほどに。現場に出れば、その不可思議な世界を肌で感じるものなのだろう。
そうした御託を頭の隅に並べながら、補給車から降りる。じゃりと鳴る土の中に、宝石の輝きが混ざっていた。目で見なくても、ざりざりとした音と足裏の感触で分かる。珠装師としての技術だろうか。
遠くまで来たものだ。
せり上がる苦笑を飲み下して、地面を蹴り出す。慣れない。思えば、こうした自然の中に降り立つのはいつぶりだろうか。周囲に出土している宝石たちは、俺にしてみればお宝だ。
呑気に言っている場合ではないのだろうが、それでも、美しさに貴賎はない。これが自分たちを貶めていると分かっていても、心の襞にあるものを失うことは難しかった。だが、その魅力的な輝きも、すぐに別のものに上書きされる。
栗色の髪を風に揺らし、大剣を片手に、正々堂々と佇んでいた。
珠装具を目視することはできない。けれども、そこにあるエメラルドの輝きを、俺はよくよく知っている。自分のものであるし、和彩のことであるから。
視線が合うと、和彩が真っ直ぐにこちらへ突っ込んでくる。思えば、こうして戦場を駆けているのを見るのは初めてだ。
不思議な気持ちになりながらも、和彩が大剣を翳したのを目にしてこちらも小刀を取り出す。そのまま腕を振るって後方を振り仰いだが、俺の攻撃が届く間もなく、和彩の大剣がゴーレムの腕を切り裂いた。
俺はいくらかテンポがズレたままに、小刀を振るってゴーレムの足首を切り崩す。バランスを崩させるほどの力しか持っていなかったが、そこは和彩という強い味方がいた。センキなのだから、これ以上心強い相手はいない。
和彩の大剣がゴーレムの胸を切り裂いて消滅させる。一息吐いたところで、和彩の回し蹴りが炸裂した。近付いていた獣型の腹にクリティカルヒットする。
なるほど。こうして鈍器として使っていたのだな。今頃、やり方を学んだところで遅いけれど、見られたのは嬉しかった。和彩のことなら、どんなことでも知りたいものだ。
昏倒した獣型に小刀を突き刺して、トドメを刺す。生き物を殺した体験は二度くらいなものだった。しかし、躊躇はない。足手纏いになるつもりは毛頭なかった。
「無事?」
「ああ。大丈夫だよ」
「佑くんって思ったより動けるんだね」
「予想外だったか?」
「だって、そんなに運動しているところを見てないんだもの。目は悪くないのは知ってるけど」
「それは関係ある?」
「動きと動体視力は関係あると思う」
「そういうものか」
「そういうものかなぁって。あくまで私の分析だけどね」
「戦姫の話なら頼りになるよ。ほら」
大剣を携えた和彩に手を差し出した。本当なら、手は空いていたほうがいいのだろう。けれど、和彩は俺の手を取ってくれた。指先が絡みついてくる恋人繋ぎには、胸がいっぱいになる。
「どっちに行く」
「コロニーとは逆側がいいよ」
「じゃあ、行こうか」
「うん」
贅言を要しない。
昨日、プロポーズしてから、出動要請が出るまでの四時間。逃亡への計画を立てた。とはいえ、逃げるタイミングを擦り合わせる。それくらいのことしかやることはない。
俺は和彩の珠装具へ重さを調整するために持ち歩いていたエメラルドで指輪を作る時間があったくらいだ。それを嵌めて、泣く泣く別れたのは二日前。
補給部隊に手を上げて合流して逃げ出す。計画はおざなりだ。一誠たちも同じようなものだったことは、知っている。結局、そうするしかないのだ。
俺が運んできた補給物資は、この逃避行のためのものだけだった。
「変な感じ」
いつだって、戦闘に出ていた場所で手を繋いでいる。妙な気持ちになるのは、想像できた。
宝石に囲まれた世界を、手を繋いで歩く。魔物がいなければ、美しい世界なのだろうけれど。現状では、狂った事態でしかない。
それは熟知した上で、俺たちは閑雅なままに進んでいく。和彩の体温だけが確かなもので、それだけでよかった。美しいものと繋がっている。
先のない道を進んでいた。展望など何もない。
けれども、心は軽く、和彩の存在だけが光となっていればよかった。光を手にしているのだから、何を恐れることがあるというのか。
俺たちはただひたすらに決まりきった終末へと歩き続けた。
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