第29話
和彩はしばらく医務室で安静にすることが義務付けられている。
スペアがあると言っても、本機を全損しているので、用意ができるまでは出動からも除外された。今まではスペアでも出動を求められていたので、それが除外されたことで得られた安堵は計り知れない。和彩本人よりも、俺のほうがよっぽど安心していただろう。
俺は和彩の元へ日参して、運び込んだ珠装具の修繕を行っていた。作業室でしかできないことはやむを得ないが、それ以外の時間を和彩の元で過ごした。
くだらない雑談に花を咲かせて、時々キスを交わす。堀内夫婦の蜜月を揶揄っている場合ではない。そんな日々を送っていた。
和彩の包帯などは、そのうちに外されている。見た目に怪我の後が分かりづらくなると、肩の荷が下りるものだ。
和彩は有無には頓着していないようだった。怪我が恒常的になり過ぎている。俺だって、珠戦士はそういうものだと理解していた。しかし、想い人となれば話は変わってくる。ひどい贔屓だ。だが、そういうものだろう。
差別は許さざることであろうが、全員に平等であろうなんてことは不可能だ。博愛と言えば聞こえはいいが、八方美人と言えば褒め言葉ではない。言い方ひとつで物事は変わり、そんな物事に拘っていられない世の中だ。俺は敢然と和彩を贔屓してそばにいた。
そんな中で、区画のカーテンが揺らされる。
「安宝さん、起きてる?」
「いいぞ」
俺が先んじたことに、和彩は苦笑いをしていた。俺が何かと世話を焼くことに、呆れているのだろう。特に、こんな返事くらい、怪我が治っていなくたってできる。
カーテンを開けた小太刀も呆れた顔をしていた。一誠のことで呆れさせられた身としては、腑に落ちない。
「……何だよ、その顔は」
「いっくんが言ってたけど、本当にべったりしているんだと思って」
「お前らには負ける」
こういうのは勝ち負けじゃないけれど。対比すればそうなるだろう。やはり、小太刀たちには言われたくはない。
「あたしたちは夫婦だもん。一緒にいるのが普通でしょ。そっちはそうじゃないじゃん」
「……分かった分かった。それで?」
小太刀が手にしているのは、大剣を入れる用の桐箱だ。分かりきっているが、促して話を移行する。小太刀は作業台の上に、慎重に桐箱を置いた。大剣は重さがある。ずしりとした重みは、単なる重量の問題でもないのかもしれないけれど。
「大剣ができあがったから持ってきたよ。前回よりも宝石の純度を上げたから、少し重くなったかもしれないけれど、硬度は三枝に聞いた大丈夫そうなところギリギリまで上げたから、今度はそう簡単には砕けたりしないと思う。重すぎると思ったら、そのときは表面からゆっくり削っていけばいいから……三枝、やり方は珠装具とそう変わりないから、できるよね?」
珠具と珠装具の加工方法は近い。完成品に差があるとはいえ、加工の手順は大凡同じだ。手入れや調整の部分になれば、誤差レベルだろう。削り出しになれば、それこそ珠装具だってよくやるものだ。最近は、重さの調整をやる機会が増えたので手慣れている。
しかし、だからと言って自分の作った珠具を他人に託すものか。眉を顰めると、小太刀は神妙な顔つきになった。
「もう、出るから」
いくら覚悟を決めているとしても、他人に通告するには気後れするのだろう。放言するものでもない。
そして、どれだけ話を聞いていても、空気が張り詰めた。それは、多分、俺たちにとっても遠くない。現実の話であるからだろう。
「……和彩が振るうのを待てないのか」
「既に決めてるからね」
「準備に忙しいときにごめんね」
俺がまだ食い下がると思ったのか。それとも、言葉を選ぶ時間をくれたのか。和彩が横から言葉を突っ込んでくる。
逃亡に準備がいるのだろうか、と考えてしまったのは、行き着く先を知っているからだろう。仮にそうなるとしても、最期の時間を過ごすためのものだ。準備していくのも常道と言えた。逃亡に常道があるのも奇妙な話だが。
「ううん。安宝さんこそ、大丈夫なの? 三枝が片時も離れないって聞いたから、よっぽど悪いのかと思ってたの。起きてて平気?」
「うん。珠装具が破壊されてしまったけど、おかげで生身の傷はそこまでひどいものじゃなかったから」
「頭を打って昏倒していたんだから、大丈夫とは言わないんだよ」
麻痺するものだ。後方支援部隊ですらそうなのだから、本部隊となれば尚のことだろう。それでも、会えなくなるかも、と思ったほどの危機感を話すには軽過ぎて横口を出した。
勿論、和彩が俺だけに見せてくれた弱い部分を小太刀に伝えるつもりはないけれど。
「無事で良かった。安静にね」
「ありがとう。寧音さんも、堀内くんといい時間を過ごしてね」
無事であるはずもなければ、気をつけたってどうにもならない。
逃亡する。それは自殺の宣告と同等なのだから。言えることは少ないが、和彩はその中で正解と思われるものを掴み取っていた。
「うん。二人きりの時間を過ごすよ。ありがとう。それじゃあね」
今生の別れにしては、軽やかに過ぎる。裏腹に重いのは、そうすることで隣人であることを痛感するからだろう。
「じゃあね」
「……一誠によろしく」
いつ出るのか。具体的な話はしなかったし、突っ込まなかった。一誠が挨拶していくかも分からない。これを挨拶とされることもあり得た。それほど、それじゃあ、という挨拶には意味が付随してしまっている。
小太刀は頷いてから、さくっと背を翻した。未練も何もない。そんなものを見せられても、どうしようもなかった。
小太刀が立ち去った後の区画内に、しんと静寂が広がる。
俺たちの時間は、賑々しいものではなかった。しかし、沈黙の種類が違う。互いに探り合う気配があった。
「今日、明日の話なのかな」
「かもしれないな」
和彩の視線が大剣をなぞっていた。
俺は小太刀の腕を詳細に知らない。苦戦している様子もないが、素晴らしい腕だという噂もなかった。
何にしても、和彩にとっては思い入れのある大剣だろう。
「……寂しくなるね」
「和彩がいるよ」
小太刀とは、後方支援部隊で時間を共にした戦友だった。飛び抜けて仲良くしていた記憶はないが、一誠を通して知り合いになって、それから会話する相手になった。
何度か珠装具と珠具について語ったこともある。俺の認識がズレていることを思い知らされるばかりだったが。それでも、無益な関係ではなかったし、寂しさはある。
一誠とは、一年のときの実技で一緒になった。珠装師でも、体力作りはさせられる。その後二年になって、右足をなくしたと聞いたときには心臓が冷えたものだ。
一誠は一も二もなく、俺に珠装具の依頼を出してきた。それから、俺はずっと一誠の珠装具を任されてきている。前回の補修が最終調整だったのだと思うと、哀愁を感じずにはいられない。
手を離れる。手を離す。飽き飽きしていた惚気を聞くことも、もうない。
逃亡という名の心中宣告は、賛成できるものではないのだ。元来であれば。もっと死ぬ気になって引き止めるべきなのだろう。元来であれば。状況が元来を揺るがすから、既存の感性だけで生きることが難しいだけの話で。
寂しい。和彩がいても変わりはない。口でどれだけ言っても虚勢だ。
それは和彩も察しているのだろう。手を引かれて、引き寄せられた。肩口に頭を押し付けられる。小さな子どもにするような。慰めようとするような手つきは、温もりとなって俺を包み込んだ。
息を吸い込む。和彩のまろい香りが鼻腔を擽って、体内から浄化されていくようだった。それ以上、言葉を紡ぐことはない。無言に癒やされることもある。和彩の気遣いに感謝して、その身体に縋った。
採掘師が一人、妻と逃亡したと報告が上がったのは翌日のことだ。
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