第28話

「区画なんだぞ」


 音が外に筒抜けだ。今回は、奥まった区画に運び入れられている。人の気配が和彩の休養を邪魔しないように、配慮されていた。それでも、区画は区画に違いない。


「一緒に寝るだけ」


 和彩は否定しなかった。俺が先走ったわけではないのだろう。その上で、限定条件を加えられた。


「……俺のことを無欲だとでも思ってるのか?」

「そんなこと思ってないけど、怪我している私に手を出すほど大胆じゃないとも思ってるよ」


 良心を取り沙汰されてしまうと、こちらには為す術がない。信用を取っ払って、性欲があるのだと顕示することに何の意義があるというのか。和彩の手が離れて、少しだけ身体が離れる。


「おい。無理して動くなよ」


 ぎこちない動きは、甘言に浸っていたって看過できない。

 片腕、片足なしだ。珠装具なしでの動きは鈍かった。旧来であれば、就寝時などでは補装具を外せるほうが好ましいのだろう。しかし、緊急出動の多い珠戦士が、珠装具を外している時間を作るわけにはいかない。それに応じられるように造られている。

 和彩だって、珠装具のない身体で動けるほど丈夫ではない。


「だって、佑くんずっとそうしてそうなんだもん」

「そりゃ、放っておけないだろ」

「どうせ一緒にいるんだったら、横になってても一緒でしょ?」

「色々違う」


 見ていることに変わりはない。そばにいることも変わりがない。和彩を想っていることも、そうした欲求があることも変わらない。

 だが、肉体的接触の意で大きく異なる。その差が天地になるほど、俺にはちゃんと煩悩が伴っていた。


「……分かってるもん」


 そんなに拙い言い方を耳にしたのは、初めてだった。


「和彩?」

「……」


 唇がへの字に曲がる。それから、離されていた手のひらがぎゅっとシーツに爪を立てた。きつく波打つ皺が、傷のようだ。


「もう、会えないかと思ったの」


 気付いたときには和彩の手を覆って、ベッドの淵に乗り上げて片膝を突いていた。衝動的な動きについて考える暇はない。

 激情を消すことはできず、そのまま和彩の頭を引き寄せる。包帯とネットが指に違和感を伝えてもどかしい。

 少しでも励ませるように。俺が堀内夫婦が逃亡の手助けをすると伝えたとき。和彩が当たり前にやってくれたことだ。大丈夫そうなんて鵜呑みにするもんじゃない。自分だって、気丈に振る舞うことを身につけている。

 珠戦士であれば、尚のことだろう。


「帰ってきてくれてありがとう」

「一緒にいて」


 今度は邪さや情欲を連想することはなかった。自制が効いたというよりも、それよりもずっと純度の高い愛おしさで胸がむずむずする。

 半分乗り上げたままに行儀悪く靴を脱ぎ捨てて、和彩の隣に潜り込んだ。いくら愛おしさで行動していると言っても、どぎまぎはする。

 和彩は俺の分のスペースを空けようとしてくれたが、俺は無視して狭い空間に無理やり身体を捻じ込んで、和彩の身体を抱き寄せた。


「佑くん?」

「いいだろ、これくらい」


 同衾をこれくらいと言えるような経験はない。強がりだった。けれど、感情としてはそれくらいの大きさがある。


「問題があるって言ったのは佑くんなのに」


 そういう声に笑いが含まれていた。そのことに、胸を撫で下ろす。

 些細なことだ。ちょっとだけ、息が漏れただけのような。箸休めにも満たない刹那的な穏やかさだろう。そんなことは分かっていても、そんな時間が持てることがどれだけ難しいのか。切々と理解しているからこそ、この一瞬に胸を撫で下ろしていた。


「……抱き心地、よくないでしょ?」


 華奢だ。けれど、そんなふうに言うようなことはない。弾力があってもちもちすべすべしていて、気持ちいいくらいだった。それを直接口にするほど情緒に欠けてはいないが。


「そんなことないよ。収まりがいいし」

「手足がないんだよ?」


 なんてことのないように言う重さに、至近距離で瞳を捉える。濃厚な影を宿しているようには見えない。でも、それは軽いことではないだろう。

 手足がない。

 誰かが口さがなく言うことはあるはずだ。それでもなお、第一線で戦う少女はセンキと名を馳せているのだから。


「和彩は和彩だよ。それに、俺は珠装具の付け外しをしてるんだぞ。和彩の身体なんて知ってるよ」

「それ、語弊がある」

「……うん。ちょっと思ったわ」


 ふっと笑みが零れる。同じように笑って和彩の息が擽ったい。頬と首筋を覆うように包んで、顔を引き寄せる。こつんとぶつけた額から、じんわりと和彩の体温が溶けた。


「でも、調律もしてもらうようになったし、嘘でもないよね」


 揶揄い半分なのか。クスクスと笑う。まったく以てその通りなのだが、突かれると尻こそばゆかった。


「言い回しは間違ったって」

「いいよ。佑くんなら」

「おい。あんまり煽るなよ」


 本気ではあるが、今は言葉遊び。それくらいは心得ているが、それでも口の端に乗せられると心拍数は上がる。

 和彩は余裕があるらしく、くつくつと喉を鳴らしていた。こう……手玉に取られているような気分になる。


「佑くんは無理しないよ」

「夢中になると他が目に入らなくなるのはよく知っているだろ」


 自分がのめり込むタイプだと自認しているつもりだ。

 和彩についても同じことだろう。……ここで珠装具の姿勢を取り出す自分の引き出しのなさには愕然としたが。しかし、和彩は目を見張っていた。


「何?」

「珠装具と同じくらいに??」

「え、ちょっと待って。何だと思ってんだ? 珠装具が一番だと思って……?」


 流石に、人と道具を比べた愛おしさが同列ってことはない。そりゃ、俺が珠装具に身を費やしていたのは事実だが。いくら何でも、人を想えば順位は入れ替わる。それだと言うのに、和彩は訝しげに首を傾けた。


「違うの?」

「和彩が一番に決まってるだろ」


 ぱっと紅が散る。それはいい。告白めいたことを言っているのだから、喜んでもらえるのは本望だ。

 しかし、ちょっと待って欲しい。本気でそう思われていたのは心外だった。俺のことを何だと思っているんだろうか。

 和彩の腕がそろそろと俺の胸元に伸びてくる。胸元に擦り寄るように抱きつかれた。大きな動きではない。寧ろ、それが厳かで淑やかで、胸を締め付けられる。


「嬉しい」

「好きだよ」

「わたしも好きだよ」


 口にしていなかった。音にして伝え合う充足感は、今までと比にならない。

 胸で膨張する愛情の手綱をどう握っておけばいいのか。一誠がしょっちゅう小太刀のことを俺に話したがる気持ちを今になって理解した。

 寄り添って、上目遣いに見上げてくる頬を撫でる。首を傾けると、エメラルドが閉じられた。吸い寄せられるように。そうすることが自然の摂理であるように。押し当てるだけのキスを送る。

 開眼した和彩が照れくさそうにはにかんだ。


「もう休まなきゃな」

「そうだね。佑くんも、起きてちゃダメだよ」

「分かってるよ。おやすみ」


 様子を見守っていることに気がつかれている。苦笑しながら頷くと、和彩は深く頷き返してきた。

 微妙に半眼なのは、信用しきないからだろう。俺も入眠できるか確約はできかねるので、その判断は正しい。和彩の安眠を確認しなければ。

 その半端さにも、和彩は苦言を呈すことはなかった。置き換える発想するくらいには、和彩は共感力がある。眉を下げるだけに留めてくれた。


「……おやすみ」


 そうして、ちゅっと軽いリップ音が触れて離れていく。それを捕まえて、今度は長く唇を合わせた。甘ったるい一夜だ。

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