第五章

第27話

 和彩がゴーレムの腕で昏倒させられて運ばれた、と聞いて医務室へと走った。

 辿り着いたときには治療中で区画の中に入ることは許されず、廊下をぐるぐると歩き回る。途中行き会った小太刀は、大破した大剣を抱えていた。エメラルドのそれを見て、心臓が干上がる。


「こだ……」

「安宝さんの状態までは分かんない。治療中だって。とりあえず、預かったの」

「……そうか」


 ふぅーっと長い息を吐いて相槌を打つことしかできなかった。それ以上、会話が続けられない。小太刀もすぐに引き上げていった。

 取り残されれば取り残されたで不安ではあるが、いてもらっても安心もできない。俺はうろうろし続けて、治療が終わるのを待った。そのうちに呼び込んでもらえたのは、俺が珠装師で調律にまで手を出していたからだろう。

 区画に入ると、和彩はベッドで寝入っていた。布団を被せられているので、傷の具合が分からない。ただ、頭に包帯が巻かれている。握り締めた爪先が手のひらに突き刺さった。


「今は睡眠薬が効いています。珠装具はこちらに」


 言われて初めて、作業台へ視線を向ける。珠装具よりも先に確認する人ができたことを、改めて不思議な手触りで自覚させられた。

 珠装具は右腕と左足。どちらも並べられていた。足のほうは硬度が破損を許さなかったのだろう。右腕は砕けていた。接合部も歪んでいるのが分かって、血の気が引く。

 腕は、と視線が和彩へ戻った。


「……かず、安宝さんの状態は」

「命に別状はありません。怪我は主に珠装具側で、生身に重傷はありませんから、その点は心配いりません。ただ、頭を打ってますから、しばらくは絶対安静になりますね。……戻れるかどうかは、正直分かりません」


 言葉がぐわんぐわんと頭蓋骨の中で揺れる。気持ちが悪い。下手をすると倒れそうで、足下に力を入れた。


「分かりました……いても構いませんか?」


 何も分かっていない。分かりませんという発言に、分かりましたは会話が成立していなかった。けれど、そんな吟味をしていられない。

 どうにか許可をもらって、区画に居座る。睡眠薬から起きるのは一・二時間後になると言われたが、到底離れられる気がしなかった。

 治療されていると分かっていても、身体の様子を確認したくてたまらなくなる。しかし、布団を剥いでまで観察するなどの所業に踏み切れるはずもない。いくら感情を交わし合ったと言っても、そんな横暴はできなかった。許されているし、信頼もされている。それをむざむざ捨て去りたくはない。

 和彩と逃亡について話したのは、たったの一週間前だ。具体的な筋道を立てたわけじゃない。堀内夫婦に比べたら、戯れ言だとされてもおかしくはないものだ。けれど、分かち合う人がいる。それだけで、感情を落ち着かせた。

 大切な人がいる。その世界は、多少変化して見えた。現実が様変わりするわけでもない。大切な人がいるからこそ、コロニーの状況には切迫感に襲われるけれど。けれど、和彩がいてくれれば、それだけで満たされるものがあった。

 その命が危機に晒されている。命に別状はないと言われても、目が覚めるまでは安心できそうにもない。何度も長い息を吐き出した。何時間でも待つつもりだったが、落ち着かない。

 俺はバラバラになった珠装具の元へ向かって触れる。左足は傷だらけではあるしヒビも欠けも多いが、補修だけで使えそうだった。接合部にも歪みもない。だとすると、足のほうは痛みはなかったかもしれない。

 右腕はもう使い物にならなかった。砕け散ったエメラルドが電灯の光を反射している。美しさが虚しい。接合部も歪んでいる。腕は……と何度も確認したい気持ちを押し殺す。

 接合部が生身の肉体に触れて、どのような症状を齎すのか。珠装師として、一通りさらってある。調律するようになってからは、そうした治療との境界線にある知識も新たに読み込んだ。

 和彩が寄せてくれる信頼に応えるためにも、珠装具のためにも、インプットに時間を費やすことはひとつの苦難ではない。何時間と時間を費やそうとも、和彩のためであれば安いものだった。彼女が俺を選んでくれてからは、尚のことだ。

 好きだと愛を語らうことはしていない。それでも、時間がある限りそばにいた。珠装具という詭弁を盾にして、俺たちは短い間に濃い時間を共有している。

 だからこそ、現状に心臓が冷えた。

 いなくならないでくれ。独りで勝手に行かないくれ。一緒にいてくれると言ったではないか、と。

 小太刀の気持ちを理解する日が来るとは、思いもしていなかった。以前なら、和彩が目覚めるまでに珠装具を手入れしていただろう。そうすることが役目だと、そこだけに血を捧ぐことができていた。

 しかし、と目は何度だって和彩に戻る。息をしているのを確かめなければ、不安が消え去らない。

 自分が弱くなったとは思わなかった。想うからこそ、珠装具へかける思いも強くなっていた。和彩のためならば、先のない道にも邁進できる。この世界でなければ役に立たない技術を誇れた。

 だから、弱くなったとは思っていない。大切な人を想えることの尊さを、俺は友人たちを見てよく知っている。自分がその仲間に入れたことは、素直に嬉しかった。

 和彩はどこまでも透き通るほどに美しい。こうして怪我に倒れていても、それが変わることがなかった。だからこそ、怖い。この完璧な存在が損なわれることがあってはならなかった。

 いや、たとえ何があっても、和彩の美しさに傷がつくことはない。たとえどのような状態になっても、俺の目に映る和彩は和彩だ。愛している存在だった。

 俺はそれを凝視しながら、延々と時間を待つ。時間のない。そんな日々の中で、何とも詮無き時間であっただろうか。できることは山のようにあった。

 それは、世界のためなどと大層なものでなく、和彩のためという局所的なものであっても。珠装具に手を入れることなど、いくらでもやりようはあった。しかし、俺にそんな余裕はなかったのだ。

 そうして、無作為に時間を浪費して数時間。ぴくりと動いた瞼に前傾姿勢になった。

 エメラルドが薄らと開かれ、ゆっくりと光を灯していく。焦点が結ばれて、視線が合う。和彩の瞳が丸くなり、瞬かれた。それから、きょろりと周囲を窺う。

 何があったのか。記憶が飛んでいるのではあるまいか。心配が急激に膨れ上がった。


「分かるか?」


 意識が繋がるのに時間がかかったのか。数秒を置いて、息を漏らすように頷いた。


「調子はどうだ? 気持ち悪かったり痛かったりしないか?」

「……大丈夫。佑くんこそ、大丈夫?」


 心配しているのはこちらだ。切り返される意味が分からない。

 眉を顰めると、和彩の手のひらを持ち上げてきた。動いて大丈夫なのか。不安しかなくて、慌ててその手を取る。和彩が伸ばしてきた意図は分からなかったが、やってしまったものはやってしまったものだ。和彩は捕まえられたままでいてくれた。


「ひどい顔」

「和彩のほうがひどいだろ」

「頑張っただけだから大丈夫」

「……お疲れ様。よく、頑張ったな。でも、もう無理はしないでくれ」


 手のひらを額に押し当てるようにしてしまったのは、無意識だ。

 労いながら願う。なりふり構わない言葉が出たのは、待っている間に煮詰まったのか。本心でしかないのか。どちらにしても、本気以外の何ものでもなかった。

 和彩の指先が動いて、絡め取られる。恋人同士のそれのように、切り結ばれた。


「ありがとう。佑くん」

「……和彩」


 言っていいものか。言質を取ったのは。取られたのは、どっちだっただろう。逡巡は一瞬だ。だが、一瞬の隙に、和彩は俺の言葉を拾ってくれた。


「もう、無理しないよ」


 その言葉が何を示すのか。お互いに意思の疎通は図れているのか。もう、に含まれた重さが、心に錨を降ろした。和彩の手のひらを包み込んで息を零す。


「佑くん」

「うん?」


 顔を上げると、エメラルドが真っ直ぐにこちらを見ていた。目が合うと、眉尻が下がって表情が崩れる。

 疑問を抱いていると、手のひらが動いた。意志を感じて、繋がっている力を緩めると、緩々と手が離れていく。それが、俺の頬に触れた。拙い不器用な手つきは、左手だからだろうか。それとも、慣れない動作だからだろうか。


「少しは、気分よくなった?」

「……心配かけてごめんな。大丈夫。和彩こそ、大丈夫か? 何があったかちゃんと覚えている?」

「ゴーレムの腕が頭に直撃したの。それで、フラついて、一気に囲まれちゃったから……珠装具、ごめんね」

「気にしなくていいって何度も言っただろ。珠装具は壊れるものだし、生身の身体が無事ならいいんだよ」


 頬に沿わされた手のひらに自分の手のひらを重ねる。体温が、今更しんみりと沁みた。


「俺の珠装具が役に立ったなら本望だ」

「ありがとう」


 へにょりと笑うのを見て、ようやく緊張の糸が切れる。本当にぷつんと切れた。そのままベッドに額を押し付けるように崩れた。


「佑くん。ずっといたの? 起きてたの? 今、何時?」

「……零時回ったかも?」


 言われて、そういえば何時だろうとのろのろ頭が回る。だが、ピンと来ない。

 二・三時間は起きないとは言われたが、寸分違わず目覚めるものではないだろう。そもそも、和彩が運ばれてきてから治療が終わるまでの時間がどれくらいだったのか。さっぱり時間感覚がなかった。


「夕飯は食べたの?」

「……食べてない。和彩は? お腹減ってないか? 何か買ってくるか?」

「私はいいよ。あんまり、食欲がないから。佑くんは?」

「俺もいい」


 自分から申し出ておいて何だが、和彩の元を離れることはできそうにもない。今日はもう、このままで構わなかった。

 そうした俺の感情が伝わったのか。俺は分かりやすいのだろうか。和彩が異様に勘が鋭いと思いたい。でなければ、不格好だった。


「一緒に寝る?」


 ぐぅと喉が鳴る。生唾が器官に逆流してきて、噎せた。


「君な!」

「そういうところじゃなかった?」


 冷厳……というには、頬が赤かったが、事もなげに言われてしまって、頭を抱えそうになる。

 そりゃ、そばにいるつもりでいた。だが、一緒に寝るほどに密着した解決策を持ってくるつもりはない。そんな度胸はなかった。


「……だからって、少しは躊躇わないのか」

「今更、佑くんに取り繕っても仕方ないと思うんだけど」

「取り繕わないからこそ生まれる感情があるとは思わないのか」

「問題、ある?」


 今度は噎せ返ることすらもできずに、呼吸が止まる。エメラルドの輝きをまじまじと見つめてしまった。その瞳が勢いや適当な態度で言っていないことを伝えてくる。

 ひやひやしながら、息を吐き出した。


「あるだろ」


 すらりと答えたはずの音が、自分の中で反論めいて聞こえる。

 想い合っている二人。一緒に寝る。伴うものが伴っているのだから、問題ではない。関係性だけを見れば、何も。過ごした時間がどうとかこうとか、そういうのは本人たちの問題でしかないし、自分たちが納得して話しているのであれば問題はないのだ。

 それでも、と答えた俺に、和彩は眉を下げた。

 ……そこで拗ねるというか。へこむというか。不服そうというか。そういう顔をするなよ。期待に胸が弾ませるほどに魅力的だ。

 うつ伏せたって繋ぎっぱなしになっていた手のひらを引き寄せて、唇を落とす。これで機嫌を取ろうとする自分のキザっぷりには、後々になって密かにダメージを受けた。

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