第25話

 そのまま、佑くんの冷静さに助けられて医務室に辿り着く頃には、寧音さんと保険医が治療の準備を始めていた。ひとつの区画に堀内くんを運び入れる。

 それが済むと、私は佑くんに隣の区画に引っ張り込まれた。


「座って」

「……怒ってる?」

「世界にね」


 この状況を私たちだけで変化させられるとは思っていない。動かせることは、精々ほんの少しの生存確率くらいだ。今日は堀内くんを連れ帰ることができただけで、いっぱいいっぱいだった。


「一旦、足首を外すよ?」

「今すぐ対処できるの?」

「最近、重くすることばかりを求められるから、接着用のエメラルドは常に持ち歩いてる」

「……お世話をかけます」

「よかったよ」


 このよかった、は不幸中の幸いの意だろう。

 佑くんはいつも通りに、悠然と珠装具の整備を始めた。その横顔は、まさしくいつも通りだ。

 静かな区画の中に、隣からの物音が聞こえてくる。寧音さんも同席しているようだった。堀内くんは心配をかけたくないだろうが、寧音さんが離れられるわけもないのだろう。

 二人の間合いは私には分からないから、そういった意味で心配はしていない。ただ、心労や怪我という意味では心配している。珠装具の痛みは、想像だけで疼くほどに知っていた。私だって、やったことがある。

 佑くんの珠装具がどれほど優秀でも、人工物である以上、致し方ないものだ。


「一誠は何があったんだ?」


 佑くんの声は潜められていた。区画は隣だ。筒抜けとは言わないまでも、話は届く。寧音さんのことを考えれば、声高に相談したいことではなかった。


「直接的に見られたわけじゃないけど、多分獣型に噛み付かれたんだと思う。突如出現で散ってしまったから」

「珠装具は引きちぎられてなかったから、引っ張られた感じかな」

「多分。噛み砕こうとして、捻られたりはしてるんじゃないかな。獣型はゴーレムよりも、攻撃が過激だから」

「そうなると、珠装具のほうはダメかもしれないな。ヒビを修繕したとしても、接合部は作り直しになるから、しばらく採掘師としての出動は無理だ」

「……堀内くんは、まだ」


 その続きは言葉にならない。

 佑くんに聞いても明らかにならないことであること。予想で何が出てきても、暗い話になるのは目に見えていること。寧音さんが隣にいることを鑑みれば、とてもじゃないが口に出せるものではないこと。色んな思考が言葉を刈り取った。

 しかし、勘が良い佑くんには……というよりも、大凡の人間は話の流れから想像することができただろう。


「どうだろうな」


 直接的でもなければ、曖昧でもない。半ば、無言の質問の復唱でしかなかった。しかし、程度としてはちょうど良い度合いだった。


「そうだよね」


 私の返答も半端な物言いになって、沈黙が横たわる。

 佑くんは削ってならした踵に、ガスバーナーでエメラルドを溶かして流し込んでいた。型を持ち運んでいることにも、違和感がないのが凄い。佑くんのツールポーチは四次元ポケットなのだろうか。

 そうして、横顔を観察していると、区画のパーティションを揺らされた。


「三枝? そこにいる?」


 不安定な声は寧音さんだ。


「治療は終わったのか?」

「うん。珠装具、見てもらってもいい?」

「ああ……和彩、パーティション取ってもいいか?」

「勿論」


 言いながら、片足で立ち上がって、けんけんでパーティションを外した。パーティションを外してしまえば、区画を広げることができるように造られている。

 視界が開けると、ベッドに腰を掛けた堀内くんと憔悴した寧音さんがいた。


「和彩、無理せず座っててくれ。頼むから」

「大丈夫だよ。早く見てあげて」

「……分かったから、座ってろって」


 踵を作業台に置いた佑くんがこちらへ歩いてきて、私を支えるように移動して椅子に座らせてくれる。顔つきは真剣で、私は為すがままになった。


「佑と安宝さんって、思ったより仲良くなってたんだな」

「お前も軽口を叩いてなくていいから。足は?」

「こっちだ」


 ベッドの反対側に置かれていたのだろう。出された珠装具はヒビが激しく、一部が砕けている。接合部は完全に破損されていた。血濡れている。


「……作り直しになる」

「構わないよ。佑に全部任せる」

「新しく調整したいことはあるか?」

「んー。軽くしてもらえるか?」

「これだけ破損するようなことがあって軽装にしていいのか?」


 重いほうが壊れにくくなる。動きに影響があるだろうけれど、採掘師である堀内くんの忍び足を主軸にした動きなら、重さに振ったとしても問題はないはずだ。

 けれど、堀内くんは眉を下げるように笑って頷いた。


「動きやすさに特化して欲しい」


 どこか弱々しい穏健な表情に比べて、声音は強い。翻ることのない意見であることは、付き合いの少ない私ですら分かる。妙に際立った音に、佑くんは受け取った珠装具を片手に難しい顔になった。緩く目を伏せて、息を吐き出す。


「……逃げられるように?」


 硬い音を理解するのに、数秒を要した。

 存在する選択肢だ。直前まで、私だって考えていた。だから、佑くんがそれを聞いてもおかしくはない。けれど、佑くんの音は、私の想像よりも色濃く硬かった。

 堀内くんは微笑するだけだ。佑くんの瞳が寧音さんに向けられる。唇を引き結んだ寧音さんの表情は決意に満ちていた。堀内くんの内奥を理解している。もしくは、既に交わした気持ちがある。

 それを悟らせるに十分な空気が、肌に食い込んでいた。


「佑はもう知ってるだろ?」

「分かっているから、具体的な話になったのかどうかを聞いてるんだよ。できることがあるなら、最善を尽くす」


 心がざわついたのは、どの部分へだっただろうか。

 佑が潔く認めたことか。手を貸すことか。それとも、その裏にある佑自身の逃亡への思考に意識を紐付けさせられたからか。どれかひとつに決めることは難しくて、多くのことが錯綜しながら胸の中央へと迫った。


「そのつもりでいるよ。僕はもう、寧音を置いていける気がしないし」

「あたしだって、いっくんを見送れる気がしないから」


 繋ぎ目のない言葉は、打ち合わせたみたいに意味が合っていた。お互いのことを想い合っている。その断固とした意志に、隙間はない。

 ……きっと、本当なら、いくらだってあるのだろう。正論でぶち壊す隙間は。けれど、そんなもので叩きのめしたところで先はない。


「……バレンタインだもんな」


 その感想は、間も場面も抜けていた。

 けれど、そうして示されたイベントが日付と結びつけば、そう突拍子のない発声でないことに気がつく。前情報が共有されていた堀内夫婦には、気がつくまでの思考も必要なかったらしい。ワンテンポ遅れた私より先に、二人は苦笑を浮かべていた。


「そういえば、お前聞いてたんだっけ?」

「お前らが場所も気にせずにイチャイチャやってるのが悪いんだろ。一緒に過ごしたいとか何とか言っといてこれじゃ、しょうがない」

「珠装具以外には諦めが早い」

「悪かったな。珠装具馬鹿で」

「それで助かってる子がいるだろ」


 そういう目線が私を捉える。佑くんがこちらを一瞥して、肩を竦めた。


「自分のことを引き合いに出さないところが面倒くさい」

「僕のことは言うまでもないだろ?」

「それこそ、和彩のことは言うまでもない」

「それは惚気じゃん」


 さらっと齎された耳慣れない色事に通じるような言葉に、脳がフリーズする。どきりとしたのか。ぽかんとしたのか。自分でもよく分からない打撃に固まっているのに、佑くんが苦い顔をした。


「鬼に金棒だの姫と従者だのと言ってきたのはそっちだろ。惚気てなんかない。一誠たちとは違うんだよ」

「一緒でもいいと思うけどな」


 ニヒルな笑みを浮かべる堀内くんの真意を読み切れない。佑くんは読めているのだろうか。困った顔になって、後ろ髪を掻いた。


「新婚の惚気と一緒にされてもな。逃げるために珠装具を整えてくれというやつと比べられても困る。軽くする代わりに塗料で何重にもコーティングすることになるからな」

「いいのか? それは」


 すんなりと元に戻された会話に、置いてけぼりを食らう。掘り下げるタイミングもなければ、掘り下げる方法も分からずに、そのままに流された。


「長期使用を考えるなら、経年劣化を早めるから勧めない。……人工樹脂にもギリギリ何とかできるかもしれないけど、どうする? 小太刀」

「あたし?」

「一誠に触れるのはそっちだろ?」

「佑、それひとつ間違ったらセクハラだからな」

「間違わなくてもでしょ」

「一誠に聞いても小太刀に振るだろ。一誠は珠装具にあんまり興味ないし。小太刀優先なんだから」

「佑に任せておけばそれでいいんだから、拘ることないじゃん」

「任せるって言っても具合があるだろ。和彩はちゃんと調子を教えてくれるし、珠装具について考えてくれるから助かるんだよ。一誠のは手探り過ぎる」

「調律してないの?」


 堀内くんと佑くんがどれほどの友人なのか知っていたわけじゃない。だが、この砕けた態度を見ていれば、珠装具のことでも深入りしていそうなものだった。

 そこに疑問を抱くと、堀内くんはぱちくりと目を瞬く。アクアマリンが輝いて見えた。


「安宝さんは調律してるんだね? 佑、そこまで仲を深めているなら、なんで教えてくれないんだよ」

「そうやって目を輝かせて食いついてくることが分かってるからだよ。詳細を聞こうとするなら、それこそ和彩へのセクハラでケチつけるぞ」

「ムキになんなよ。マジじゃん」


 佑くんはふんと鼻を鳴らして、堀内くんの珠装具を手に取る。


「どうする? 小太刀」

「……差異はあるんでしょ?」

「一誠の肌感ってわけにはいかない」

「じゃあ、いらない。いつも通りにピンクの珠装具にして」

「分かった。しばらくはかかるから大人しくしてるように。小太刀に看病してもらってろ」

「任せて」

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