第16話
生まれたときから、俺たちはいつも何かに追われている。そうして、追われて追われて、逃げ出すのだ。サイレンが聞こえてこない場所に。そこが魔物の巣窟であったとしても。
もう諦めている人間は、無謀な環境を厚遇と誤認したりするものらしい。感覚が麻痺している。こんな生活で、平静を保ち続けているほうがおかしい。
安宝さんのように、淡々と生きているものは稀有だった。……恐らく、淡々と見えているだけに過ぎないのだろう。心配されることを享受してしまう精神性は、やはりズレている。
「今日は一緒にいられるんじゃないのか?」
これ以上、要望を告げられても、虚しさがかさましされるばかりだ。水を向けると、一誠の目が明るくなった。透き通るようなアクアマリンの瞳は、小太刀のピアスの色と同じだ。
「そうだった。寧音、時間はどうだ?」
「ごめんね。もう少しかかりそうなの」
小太刀が作業台に置いてある大剣に目を向ける。宝石が混入されているとはいえ、刃の色は銀色だ。光の角度によって、時折エメラルドが光る。それを安宝さんの色だと強く認識しているのは、俺が珠装師であるからだろう。
「……センキのか」
大剣を見た回数で言えば、戦場にいる一誠に軍配が上がるはずだ。呟いた言葉は、しんと部屋に広がっていく。一誠の音は、妙にしみじみしていた。
「何かあったのか」
そう考えてしまわざるを得ないものだ。実際、俺の問いかけに一誠は渋面になる。
「別に一際どうってことはないよ。相変わらず、センキとして大活躍してる」
「危ない活躍でもしてるのか?」
渋くなる理由なんて、他にない。安宝さんの様相から見ても、あり得る動きだった。一誠の反応は鈍い。
「そういうわけでもないかな……どっちかって言うと、ちょっと落ち着いたかもしれない。無理やり足蹴にしてたりするのを見かけなくなった」
「それって、安宝さんにしては珍しいの?」
「どうだろう? 珍しいけどなくもないレベルかな。安宝さんにしてみれば、緩やかかなとは思うけど、誤差の範疇」
誤差。緩さ。落ち着いた。気をつけている。
それがすべて自分の心配に起因していると思うほど、自惚れていない。けれど、きっかけにはしてくれたのだろう。それくらいは、自惚れていいはずだ。
「それだけ? それが気になってるの?」
「うーん。やっぱり、勢いが僅かでも落ちるってのは気になるよ。正直、うちのコロニーにいる珠戦士で兵団を合わせたって、安宝さんは相当な戦力だから」
「安宝さんに全乗っかりなのが普通に怖い」
安宝さんは、タッパがあるわけじゃない。小さな身体に力が詰まっている。その肩にコロニーの運命を預けるのは、あまりにも重荷だ。
「そうなんだよ」
一誠がしかつめらしい顔になる。その状態が良いものではないと、一誠だって感じているのだろう。
とはいえ、今すぐ戦力が増強できるわけもない。……今すぐ、でなくとも、先々すらも増える可能性は極微少だ。
「そもそも、センキって言われてるけど、それは魔物たちを屠っていくっていうよりは魔物たちと渡り合えるって感じなんだよ。実質は」
「そうなの?」
「そうだよ。討伐数は多いかもしれないけど、その分怪我も多い。万全の珠戦士だから戦鬼って呼ばれているわけじゃなくて、がむしゃらにやり合っているのをそう呼んでるってほうが強いし……そして、その安宝さんの状態で、珠戦士の上澄みなんだから」
俺たち後方支援部隊が、戦場に出向くことはない。だが、外の様子を知らないなんて人間はいないだろう。
俺は学園に進学してくるときに、他のコロニーからこっちに移動してきた。際どい移動であったし、悲惨だ。それは知っている。
だが、珠戦士が魔物と一戦交えているのを直に見ることはなかった。ましてや、戦場に自分が加わった状態で、となるとますます機会はない。本部隊と後方支援部隊で役割は区別されている。その区別のために、俺たちは守られていた。
「……また、前線が引いたのか」
俺たちが戦場を知らないとはいえ、センキの噂の解説をする。一誠がわざわざそうする原因を探れば、戦況が悪化していることくらい考えられた。安宝さんの戦闘力に頼るのも、それ以外にはないだろう。
陰鬱とした雰囲気は、今更取り除けやしない。常時そんなものであれば、悪化に逐一右往左往していられなかった。自分のやるべきことをやる。それ以外に、やりようがない。
だから、こうして憂慮するのであれば、急迫さは切実だろう。
「ああ……珠戦士に限らず、逃亡者が増えるだろうな」
元より、珠戦士に限ったことではない。そこに注釈が入れば、意味合いはより危機的な状態を悟らせる。
後方支援部隊であっても、一般人であっても、逃亡するものもいた。それがいや増すということだ。そうなれば、またぞろ前線が下がって、コロニー内の安全が保証されなくなる。
その悲劇的な想像に、作業室が静まり返った。すぅと息を吸う音が、やけに響く。その発生源たる小太刀に目を向けるよりも、小太刀が呟くほうが先だった。
「あたしたちも、考えてるの」
「はぁ!?」
咄嗟に大声が飛び出る。
周囲にいくらだって逃亡者はいた。いなくなった人の存在も知っている。しかし、ただの顔見知りの同期やコロニーの住人と、友人とも呼べる男女ではインパクトが違った。
唖然として、悲鳴以外の声が出てこない。小太刀と一誠を交互に見ていると、一誠は困ったような顔で笑った。
「分かってるよ。心中と同じだって」
飄々と告げられると、動揺が広がる。
今更だ。分かっている。赤の他人ならば、許容していた。そうなるのもひとつの選択だろうといられたのは、他人事だったからだ。
それと、逃亡という言葉で濁していた結末を容赦なく口にされたのが効いた。褒められない選択であると理解して決めてしまったものは、はたして覆ることがあるのか。
考えは一挙に駆け抜けていたが、肝心の身体はついてこなかった。
「……愛に生きるなんて馬鹿みたいな綺麗事でまとめたって、死を選ぶなんて馬鹿のすることだ」
「殺人と変わらない」
自らその決断を口にしたくせに、二人して難点ばかりを告げる。その冷静さが、逆に恐怖を抱かせた。
「でもそれは、平時の話だろ?」
それを取り出されたら、どこに食い下がればいいのか分からない。平時ではないことは、俺たちにとって平時だった。
それでも。
「それでも」
何とか絞り出した否定の声も続かない。いや、続きは分かりきっている。分かりきっているからこそ、軽率にそれを告げられるのか。その逡巡のほうが大きかった。
二人もそれは理解できているのだろう。遠い目にした。その先は、どこを見ているのだろうか。
「それでも、褒められたものじゃないのは分かってるよ」
「逃亡者って言い方するのは、命を蔑ろにする非難も含まれてるだろうしね」
「でもな、生きていれば、なんてのは生きていれば何かが起こると確定できる環境があって初めて受け入れることができるもんだろ? 勿論、その時々の絶望に振り回されて生きられないと決めつけるのがダメだってのも分かってるよ」
淡々とした一誠の語り口は、少しずつ思考を落ち着かせていく。内容はとても落ち着けることではないが。
「けど、人類の……少なくとも、このコロニーの寿命は数年だ」
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